> 結城浩の日記 > 2004年9月 | 検索 |
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奥さんが微熱なので、お惣菜を買って帰宅。
夕食後、食器の後片付けをする。 奥さんと子供が寝静まってから、ダイニングテーブルをきれいに拭き、ノートパソコンを広げる。 テーブルの上にはパソコンだけを置く。
PDF化した原稿を読む。 ひっかかるところが見つかったら、原稿を修正する。 もう一度PDFに変換し、最初から読み直す。 ひっかかるところがまた見つかったら、原稿を修正する。…というのをえんえんと繰り返す。 飽きてきたら、図を描く。夜は図を描くのによい時間。 また飽きてきたら、リビングで軽くストレッチをする。数分。 それからまた原稿を読む。何度も繰り返す。
だいぶ整ってきた。 でも、[ki]の章のクライマックスの節はまだ解決していない。 明日のチャレンジということにしよう。 もしもまとまらなかったら、保留にして次の章にすすもう。
日記にlast-modifiedを入れてくだされという要望がきたので、試しにMETAタグで入れてみました。
全ページのlast-modifiedが同じになるという、嘘っこ実装ですけれど、 更新したら新しくなるようにはなっています(当然か)。
今日も本を書いている。[ki]の章の続き。 昨日からもたもたしていた部分が気になっていたが、 道を歩いているうちにもっとずっとシンプルに書くべきだと気づいた。 再構成したあと参考書で確認したらそれで正しいことが判明。 書いた分を読み返して細かく手直しをした。 とてもよくなった。やっぱりきちんと削って磨くと気分がよい。
さて、気分をよくして、次の節に進む。 この節が、この章のクライマックスになるはず。 でも、うまくいかない。 予想していたよりもすっきり表現できないし、そもそもここでそれを書くメリットがあまり見えてこない。 うーん、この節は捨てるか。迷うなあ。捨てても章としての体裁は整う。 当初の予定とは違う方向で現在まとまっているようでもあるし。 うーん、どうしよう。迷う。いちおう走り書きで残しておく。 よいまとめ方のアイディアが見つからなかったら捨てることにする。
ここまでの範囲では「一勝一敗」という感じか。今日は木曜日だよねえ。 うーん、今週中にこの章をまとめてしまいたいなあ…。
おはようございます。 今日も、あなたに神さまからの愛が豊かに注がれますように。
先ほど感じた疑問。 どうして、Windowsのコモンダイアログはファイルのフルパスをcopy可能な形で見せてくれないんだろうか。
たとえば、C:\usr\hyuki\diary\diary.txt というファイルをエディタで編集していたとしますよね。
エディタのタイトルバーにはC:\usr\hyuki\diary\diary.txtという文字列が表示されているわけです。
いま、このファイル名をフルパスでほしい(どこかにペーストするためにクリップボードにコピーしたい)とします。
そのための方法は…ないんです (T_T)
。
一番近いのは「ファイル保存」を選んでWindowsのコモンダイアログを出すこと。 こうすれば、diary.txtというファイル名は得られる。ファイル名がtextcontrolに表示されるのでそこでCTRL+Cすればよい。 でも、C:\usr\hyuki\diary\diary.txt というフルパスでのファイル名は得られない。 コモンダイアログのモードをいろいろ変えると、 画面に表示されるようになる。でも、範囲選択できないし、コピーもできない。 「ここに見えてるのになあ」と悲しくなる。
何かうまい方法をご存知の方、教えてください…。
追記(1): みわさんから、以下のようなアイディアをいただきました。ありがとうございます。
ファイルのフルパスは私も取得方法が分かりません。 なので、私はいつもフォルダのフルパス + ファイル名ということで以下のようにしてます。 1. エクスプローラのメニューの [ツール] - [フォルダオプション] - 表示タブ - 詳細設定の中の「アドレスバーにファイルのパス名を表示する」をチェックする。 2. エクスプローラのアドレスバーにファイルへのフルパスが表示される。 3. フルパスをコピー 4. どこかにペースト 5. ファイル名をコピー 6. 4. でペーストしたフルパスの後ろに追加してペースト こういうことではないかな ^^;
追記(2): Wataさんから、以下のようなアイディアをいただきました。ありがとうございます。
「フルパスください」について。 私もよく同じ事を考えていたのですが、 日記をみていい案を思いつきました。 まず、引数をクリップボードにコピーするプログラムを作る。 例えば、こんな import java.awt.Toolkit; import java.awt.datatransfer.Clipboard; import java.awt.datatransfer.StringSelection; public class CopyToClipboard { public static void main(String[] args) { if (args.length == 0) { return; } StringBuffer buffer = new StringBuffer(); for (int i = 0; i < args.length; i++) { buffer.append(quote(args[i])); if (args.length != i + 1) { buffer.append(' '); } } Clipboard clipboard = Toolkit.getDefaultToolkit().getSystemClipboard(); StringSelection ss = new StringSelection(buffer.toString()); clipboard.setContents(ss, ss); } private static String quote(String string) { if(string.indexOf(' ')==-1){ return string; } else { return '"'+string+'"'; } } } 次に、このプログラムを呼び出すショートカットをつくって、 SendToフォルダに放り込む。 すると、エクスプローラやファイル選択ダイアログ上から フルパスをクリップボードにコピーできるようになります。 ではでは。
なるほど…。 みなさん30分足らずのうちに反応を送ってくださり、ありがとうございます。 私も考えてみます。 Perlでも、Win32::GetFullPathNameを使ってできそうですね。 あ、秀丸のマクロと組み合わせれば「現在編集中のファイルのフルパス名」も得られるかも!
さらに追記
秀丸のマクロで以下のように書くと、 たった一行で「現在編集しているファイルのフルパス名」が得られる(編集しているファイルに挿入する)ことがわかりました。 とりあえず、結城が一番やりたかったことはこれのようです。お騒がせしました。
// 現在のファイル名をフルパスで挿入する insert filename2;
いろんな方からの情報
たくさん情報をありがとうございます。 (^_^)
C. S. ルイスは「自分は傲慢ではないと思っているなら、それは傲慢であることの証拠」といった主旨の文章を残している。 記憶で書いているので間違っているかもしれないけれど、たぶん『キリスト教の精髄』だと思う。 ふと思い出したのでメモ。 これを思い出すたびに、私は「ということは、自分は傲慢なんだなあ」と思う。
ここからは、私の思いつき。
もしも「自分は傲慢だ」と思っている人がいたら、その人は謙遜なんだろうか。 たぶんちがう。
…じゃないだろうか。 私自身は、自分のことをよくわかっていない傲慢な人かな。やれやれ。
「ん、じゃあ、謙遜な人は、自分のことをどう思っているんだ?」
謙遜な人は、自分のことなんか忘れているんじゃないかと思う。きっと。
追記
ある読者から、謙遜な人という表現が不適切である旨のご指摘がありました。 調べてみますと、「謙遜」というのは形容動詞じゃないんですね(!)。 知らなかった。
さらに追記
Bloglines.com経由で、自分の日記を見ていたら、記事の末尾に「2 References」といったリンクがあった。 なんだろうと思ってたどってみると「References for ...」と称して、 「他のblog/日記から結城の記事へのリンク一覧」が作られていた。 つまり逆リンクのページだ。 これは便利。おそらく、TrackBackのように明示的に送られているわけでもなく、 Refererのようにジャンプしたユーザがいるわけでもないだろう。 集めているページから、Bloglines.comが自力でリンクを抽出し、 referenceを作っているのだろうと想像する。
ふむふむ。 Bloglines.comはいろいろ探索してみると面白い機能がたくさんあるかも。
ところで「bloglines.comでsubscribeする(してもらう)」ためのURLって、 http://www.bloglines.com/sub/RSSのURL ですよね? http://www.bloglines.com/sub/HTMLのURL にしていて、うまくsubscribeできないサイトがあったため、メモ。
追記
もしかしたらRSSのauto discoveryができていないサイトなのかも。
本を書いている。今日も[ki]の章を書き進める。 残り2つのトピックを書けば、この章も終わる(と思う)。
いまのところ「書きすぎ」ている部分がかなりあるので、少し削るべき。 自分が知っているからといって、それをすべて書いてはいけない。 何かを書くのは、意図があってのこと。 知っていること、関係があることを全部突っ込んでしまったら、混乱状態になってしまうだろう。 もっと磨こう。何とか来週には次の章に入りたいものだ。
次男が食卓についた。 わたしはかがみこんで用事をしながら「シリアル食べる?」と問いかける。 でも返事が聞こえない。私は、あれ?と思って顔を上げて、次男を見る。 彼はにこにこしている。
もう一度「シリアル食べる?」と次男に聞いてみると、 彼は無言でうなづく。 きっとさっきも(私は見ていなかったけれど)うなづいて返事をしていたのだろう。
こういうことはよくある。 うなづいても見えるはずないのに、うなづいて返事をする。 またうなづくにしても、頭の動きはほんの少し。
次男も、長男も、それから奥さんも、そのような(ある意味)わかりにくい返事をすることがある。
もう少し若かったころ、私はこう考えていた。 「どうしてそんなにわかりにくい返事をするのだろう。 返事は『はい/いいえ』の二択であり、つまり1ビット。 せいぜい『はい/いいえ/ちょっとまって』の三択なのに…。 はっきり返事をすればいいじゃないか。んもう」
でも、あるとき私は「はっ」と気が付いた。 「そちらを見ていないと判断できないような返事(うなづき)や、 注意深く見ていないと見逃すような返事(微妙なうなづき)を行うのは、 『もっと私のことをよく見て』というシグナルである」ということに。
次男がうなづいて返事をするときには「ぼくのことを見てよ」と無言で訴えている。 家内が微妙なうなづきをしているときには「わたしのことを注意深く見てください」と無言で主張している。 …わたしはそのことに気づくまでずいぶん長い時間を無駄にしていたように思う。
人間の返事は1ビットではない。そこにはたくさんの「何か」が込められている。
今日の昼に書いた日記(進化論的世界観)に対して、 予想以上にたくさんのフィードバックが来て驚いています。
みなさん、ていねいな文章を送ってくださったのですが、 時間的な都合で、ほとんどお返事はできません。 何通かはお返事を書いたのですが…ごめんなさい。
その代わりといってはなんですが、 ある方に書いた結城のお返事を、少し手直しして以下に置いておきます。 「わたしはまさに結城さんのおっしゃる進化論的世界観をいだいています」 という文章を複数の方からいただきましたが、 そのうちのお一人にあてて書いた結城の手紙です。
結城は「害毒を流す考え方」などと表現してしまいましたが、 実際のところ、進化論的世界観をいだいているからといって、 すぐに何が起こるというものではないと思います。
結城は、「進化論的世界観」というものは、 自分が落ち込んだときや体調がよくないときに、 急激に危険なものとなると思っています。
普段から「進化論的世界観」を自分の心の基調としているとします。 すると、体調がよくないとき、仕事で大失敗したとき、 急に「ああっ、自分の存在にはまったく意味はないのだ。 自分なんかいてもいなくてもまったく違いはないのだ」という意識に とらわれてしまう危険があるのです。
これが「虚無への道」です。
わたしが20代で、まだクリスチャンでなかったころ、 そういう思いにほんとうにほんとうに苦しめられたものでした。 苦しかった。自分に価値がない。自分は偶然の存在に過ぎない。 自分は誰の役にも立たない。いや役に立つ・役に立たないということすら無意味だ…
現在私は40代。 イエス・キリストを信じている現在の私にも、そのような思いがやってくることがあります。 でも、いまの私は「いや、そんな思いはにせものだ!」と蹴とばすことができます。 聖書に書いてあるように、 私は神さまによって目的を持って作られた存在であり、 私は神さまから愛されている存在なのだ! と宣言することができるのです。
私たちは、ほんとうに弱い存在です。 よい調子のときもあれば、わるい調子のときもあります。 わるい調子のときに、ふと足元をすくわれてがくっとこないように、虚無の道——坂道を転がり落ちないように、 ふだんから自分の心の周りを整えておくことが大事だと思っています。
あなたの毎日の生活が、神さまに祝福されたものとなりますように、 イエス・キリストのお名前で祈ります。
アーメン!
はちこさんのところの日記で「進化論」の話題が出ていて、興味深く読みました。
いま時間がなくて詳しく書きませんけれど、 私自身は、たとえ科学が進化論を主張しても、あるいは否定しても、私の信仰にはまったく影響がないと思っています。 私は「科学的な学説としての進化論」はキリスト教に相反するものだとはまったく思っていません。 でも「進化論的世界観」はキリスト教と相反する(敵対するといってもよい)ものだと思っています。
ここで私がいう「進化論的世界観」とは何かというと(って書き始めると長くなるんですよね)、 この世は「偶然」にできたものであって、まったく存在には意味も意図もないのだ、背後には創造者などはいないのだ、という世界観のこと。 こういう世界観を主張する人はいるだろうか。よくわからない。 でも、もしそういう世界観を主張する人がいるとしたら、 その人に私が尋ねたいのは、 「もしそうなら、あなたの脳も偶然にできたものであって、何の意味もない。 とするとあなたの主張にはどれだけの信頼がおけるのだろう?」 という質問である。
進化論的世界観は非常によくない。害毒を流す考え方だと思っている。 なぜなら、それは虚無への道だからだ。それは人の心を深くまで蝕む。 いや、人の心を蝕むとかいうやわらかい表現じゃだめだな。 進化論的世界観は、あなたやわたしを殺してしまう考え方だと思っている。 ダッシュで逃げろ、という感じですね。 って、説明になっていないか。ごめんなさい。仕事の途中なのでした。
ちょっと話はそれるけれど、以下のインタビューの終わり(世界をリバースエンジニアリング)も参照のこと。
仕事に戻りますっ!
本を書いている。今日は[ki]の章を読み返して、前半部分が固まったところ(たぶん)。 最初にどのくらい細かく注意して書くかの按配は重要だけれど、難しい。 アバウトに書き飛ばすと、書いていてだんだん重たくなる。どこかに何かを残してきたような気分が累積してくる。 だから、読み返す。読み返して細かいところを直していく。 細かいところを直して固まってくると、それを土台として自然な次の一歩を踏み出せる。 でも、あまり読み返しばかりしていると先に進まないからいやになってくる。 難しい。などとうだうだいいながら、無理やり先に進むのである。 うう。
高木さんがRFIDを子供に適用する事例をまとめていらっしゃる。
セキュリティの問題は微妙であり、「こうすれば安全」といった単純な割り切りができない。 守る側に便利な道具は、しばしば攻撃する側にも便利。 なのに、技術先行でどんどん適用事例ができてしまうのはとてもこわいことだと思う。 以下、引用。
悲惨な事件を防げるほどの能力を持つICタグがランドセルに付いていれば、 悲惨な事件を起こす犯罪者にもタグが便利なものとなりかねないので、 対策なしの導入をしないよう注意が必要だという、基本的な理解が必要である。
以前私が書いた以下のページも参照のこと。
Spiegelさんが「Web ブラウザをプラットフォームとした UI 設計」という文章を書いていらっしゃる。
この中で、特に「Javascript を信用しない」という項目には強く賛成する。 もっともいやなのは、JavaScriptでポップアップウィンドウを出し、 それが「必須」の項目になっているとき。 最近のフィッシング詐欺でも、ポップアップウィンドウを使う技法がありますしね。 (リダイレクトで本物のサイトを表示させると共に、ポップアップウインドウでパスワード入力画面を出す。 そして、入力されたパスワードは、にせもののサイトに対して送信される、という技法)。
「はてなアンテナ」は使いにくい。 で終わってしまったら面白くないので、 どこがどう使いにくいと感じるかを書いてみる。
サイトの追加までのステップが多すぎる。
私はふだん「はてな」をログアウトして巡回をしている。 気に入ったページがあったとすると、次の手順を踏むことになる。
この手順は多すぎる、と感じる。 似たような苦痛を「はてなダイアリー」に感じていたけれど、 これは「はてなダイアリーライター」を自作することで解決——自衛した。
「まとめて編集」ができない
上に書いたのは一個のURLを登録するための手順であるが、 もしも、URLを一度にまとめて登録できるならばそれほど苦痛ではない。 つまり、気に入ったページがあったらすぐに「はてなアンテナ」に登録するのではなく、 自分の手元のファイルに「あとで登録するURL一覧」を作っておき、 次回ログインしたときにそのURLをまとめて編集・登録すればよいからだ。 しかし、はてなアンテナではそれができない。 ログインは一回でよいけれど、URLは一個一個貼り付けて追加ボタン、貼り付けて追加ボタン、貼り付けて追加ボタン…をしなければならない。 (参考:増井さんの本棚.orgでは、ISBNの羅列をtextareaに貼り付けて一回ボタンを押せばすべて登録できる。あんな感じになってほしい…)
インポートができない。
実は、Webでまとめて編集できなくても、URLをごそっとインポートすることができれば、それで十分である。 毎回総入れ替えでもよい(実はそのほうがうれしい)。自分の手元にはテキストファイルで、 自分のアンテナのマスターファイルがあり、必要に応じてアンテナのサービスをするサイトにそれをインポート(アップロード)するという使い方だ。 はてなアンテナの「設定」ではLIRS, HINA-DI, HINA, RSSの各種形式でダウンロードができる。 でもアップロードはできない。 アップロード(インポート)ができないということは、サイトの編集はすべてWeb上でやらなければいけない、ということになる。 (参考:bloglines.comではOPML形式でダウンロードとアップロードができる)
追記:以下の「はてなアンテナをスッキリ!」というページでは、 LIRS形式をアップロードするスクリプトが紹介されている。 これを使うという手があるか…。 誰か、クッキー対応して「はてなアンテナライター」を作ってほしい…。 でも、このままだと、はてなアンテナへのアクセスが多くなりすぎるか?
イエス・キリストを信じ、聖書を読み、教会に行きたいと願っているけれど、 教会に行けないという方はたくさんいらっしゃいます。 教会に行けない理由もさまざまです。
近くに教会がない。引っ越してきたばかりで教会が見つかっていない。 教会はあるんだけれど、あまりしっくり来ない教会である。仕事がどうにも忙しくて時間が取れない。 日曜日に仕事が入っているため、日曜の礼拝に出席できない。家族に反対されていて教会に行けない。 反対されているわけではないが、あまり良い顔をしてくれないので足が遠のく。 そもそも教会に行っていることを家族には内緒にしている…。
自分の置かれている現状を嘆くのだけれど、なかなかどうにもしようがなくて、 日曜日になるとさびしいようなくやしいような気持ちになる。 教会に行きたい、よい教会に行きたいなあという気持ちがつのる。
…そのようなときには、賛美しましょう! 一人でもかまわない。心の中ででもかまわない。一人になる時間がどうしても取れないなら、トイレでもかまわない。 神さまをほめたたえる歌をうたいましょう!
神さまは、あなたの心を知っています。神さまは、あなたの賛美を住まいとされるお方です。 あなたがまごころ込めて神さまをほめたたえる歌をうたうとき、 そこに神さまがいらしてくださるに違いありません。そのことを信じて賛美しましょう!
そして、そうして、自分が置かれている状況を嘆くだけではなく、すべてのすべてを神さまに感謝しましょう。 いつも喜び、すべてを感謝し、たえず祈りましょう。それは神さまに喜ばれることだからです。 あなたは生きています。あなたは、いま、生きています。 あなたがどこにいようとも、あなたに命を与えてくださり、今日という時間を与えてくださっているのは神さまです。 そのことを覚えて、感謝しましょう。
他人を変えよう、状況を変えようとする気持ちも大切ですけれど、 まずは、自分自身を神さまにささげましょう。自分の歌声を神さまにささげ、自分の時間を神さまにささげましょう。 そして、自分自身を「神さまの御心のままに」変えていただきましょう。 かけがえのない自分だからこそ、神さまのご計画にかなうように、自分を変えていただきましょう。
感謝は要求に先立つ。 まず、感謝しましょう、神さまに。 まず、賛美しましょう、神さまを。
教会に行けたら、あなたがおこなうことはなんでしょう。 それは神さまを賛美すること、神さまに感謝すること、イエスさまを喜ぶこと。 だとしたら、たとえ教会に行けないときでも、 自分がいまいるところで、神さまを賛美し、神さまに感謝し、イエスさまを喜びましょう!
プログラマのダイエット(76日目)
結城が持っていたGmail Invitationsの権利6個分は連絡くださった方にお送りしました。 募集してから、たった1時間半で6人からご応募があり、Gmailの人気の高さに驚くばかりです。 みなさんていねいなメッセージを書いてくださり、うれしい気持ちになりました。 ご応募ありがとうございました。(にっこり)
結城のGmail Invitationsは残り0個になりました。
以下のフィードバック欄からご連絡ください。
どなたでも希望なさる方に差し上げます。完全先着順。
できましたら、いきなり「希望」と書くだけではなく、あなたがどんな方であるか、
それから結城のページのどんなところを読んでいらっしゃるかなどを多少書いてください。
必須な情報は「あなたのFirst Name, Last Name, Email」です。
私のC言語の本を読んだのがきっかけで結城のWebサイトを訪れ、それから5年(!)経ち、 洗礼を受けるまで導かれたという方からメールをいただきました。 感動で思わず涙ぐんでしまいました。 時を越えて不思議を成してくださる神さまに感謝し、 この方の生活が神さまにさらに導かれ、 祝福に満ちた人生を歩まれますようにとお祈りします。
いろいろと疲れ気味。
黙々と原稿を書く。
午前中、ウォーキング(約1500歩)。
黙々と原稿を書く。
午前中、ウォーキング(約1500歩)。午後、約500歩。
このたび、洗礼をお受けになった方から、メールをいただきました。 以下、許可を得て感謝しつつ公開いたします。 この方の人生の上に、神さまの豊かな祝福がありますように。 また、この方を通して神さまの栄光があらわされますようにと 心からお祈りいたします!
結城さん、こんにちは。
以前に何度かお便りしたことのある“いちごいちえ”です。 「神様の時」が訪れて、9月5日にやっと洗礼を受けることが出来ました。
以前にお便りしたときにも書いたと思うのですが、結城さんのサイトに出会えたことを感謝しています。 「関心空間」で結城さんと出会えて、結城さんのサイトでいろんなことを知り、 初めて参加した「よかった探しリース」でお隣になった方と知り合えて、今の教会につながれました。
信仰を持った当初は苦しいことが多くて悩んでばかりのつらい日々でしたが、 そんなことさえもすべては神様のご計画のうちだったのだと、今は納得して思えます。 苦しいことも、悩んだことも、私のつたない信仰を成長させる過程だったのだと。
今までほかの方の洗礼式に同席したこともなくて、 全く前知識もなく(もちろん牧師先生との勉強会などは持ちましたが)受洗しました。
名前が呼ばれ「はい」と返事をし、頭の上に水が落とされて、 髪から顔をつたって胸の上にぽたりと落ちたときに、言いようのない衝撃を受けました。 ぽたりと落ちたその水を、イエス様の流された涙のように感じました。 興奮していたのか、緊張していたのか、受洗の時のことは、 そのこと以外はおぼろげにしか思い出せません。 「この希望は失望に終わることがありません」(ローマ5:5)というみことばが 今年の年間聖句として与えられたのですが、まさにその通りになりました。
今の教会へ繋がる大きな元になった結城さんに感謝です。 これからも、結城さんのサイトが、もっともっと祝福されますように。
感謝して…。
夜。忙しい仕事の合間に、ふと頬杖をついてぼんやりと思う。
いま、自分は生きているのだなあ、と思う。 あたりまえのように指を動かしてキーボードを叩いている。 自分の考えをテキストファイルに乗せて、日記を更新している。
でも、いつか、私の手も動かなくなるのだなあ、と思う。 年を取ってくれば、自分の頭も回らなくなってくるだろうし、 本当に年を取ってしまって、わけがわからなくなる時が来るかもしれない。
という文章を書きながら、でも私は悲しんでいるわけではない。 いやな気分になっているわけでもない。 ただ単に、淡々と、私のこの肉体はいつか消え去るのだなあ、と思っているだけだ。
私はイエス・キリストを信じているから、永遠の命が約束されている。 私には力がないけれど、約束をたがえることがない神様には力があるから大丈夫。 私はそのことをまったく疑っていない。 だから、一番根源的な不安——死——についてはとりあえず問題はない (実際の自分の死に直面したときには、ばたばたしちゃうかもしれませんが、まあそれはさておき)。
この世で生きる時間というのは本当に短いものだ。 本当に、本当に短い。 40代になってから特にそう思う。切実に思う。 20代はなかなか波乱万丈な時代だった。 20代の終わりにイエスさまを信じたことは大きな恵み、はかり知ることのできない恵みだった。 結婚もできたよ…。私が結婚できるなんて思ってなかったよ。 30代もいろんなことがあったけれど、ベースは本当に幸せだった。 でも、時は夢のように過ぎていく。時が流れるスピードは驚くほど速い。
今日の朝、ノートパソコンでぱたぱたやっていると、奥さんが起きてきた。朝の6時頃だ。 奥さんは私に向かって深々と頭を下げた。 私もすぐに立ち上がって奥さんに向かって深々と頭を下げた。頭を下げて、私はこう思った。
「うちの奥さんは偉いなあ。一週間のはじめにあたって、自分のご主人に頭を下げるなんて。私もきちんと奥さんに頭を下げよう。」
しばらくして奥さんは頭を上げてこういった。
「ふう、立ちくらみしちゃった。」
私に礼をしてたんじゃないんかいっ! その後、二人で改めて朝のごあいさつ。
…まあ、ともかく、天国では永遠に生きるとしても、 この世で生きている時間は本当に短い。最近特につくづくそう思う。
そして、聖書の神さまを信じる信仰を持つのがいかに大切なことであるか。
なかなか聖書を読む時間って取れないもの。お祈りの時間も取れないもの。 ほんとにちょっと油断すると「この世の調子」に流れていってしまう。 でも、めげる必要はない。「ちょっと最近まずいな。自分、ずれてきてるな」と気が付いたら、 さっとイエスさまにお祈りしよう。
「イエスさま、ごめんなさい。私、ずれてます。聖書をもっと読めるように、もっと祈れるようにしてくださいっ」
そんな風に、さくっとお祈りしよう。 携帯でメールをぱっと出すように、神さまにぱっと祈ろう。 ちょっとしたすきま時間にも祈ろう。きちんと時間を取って祈るのはとてもよいことだけれど、 生活のまっただなかで神さまに祈るのも大切だ。
毎日、私にお祈りのリクエストを送ってくださる、熱心なお母さんがいらっしゃる。 ご自身と子供さんとの関係について祈ってほしいというリクエストなどが中心である。 この方からのメールが来ると(この方のメールに限りませんが)、私はしばし目を閉じて祈る。 神さまに祈る。全知全能なる神さま、私たちのことをすべてご存知で、しかも深く愛しておられる神様に祈る。
「あなたのために祈ります」というページでは、祈りのリクエストを受けて、 その方のことを神さまに祈っている。 他の人のことを祈っているのだが、祈りを通して神さまに触れていただき、 祈り手自身が恵みをうけている。感謝なことである。
人生において、信仰はとても大切なものです。 私たちは偶然に生まれたわけではありません。 神さまが意図を持って、私たち一人一人を愛のうちに作られたのです。 神さまにはご計画があります。私たち一人一人に、特別の計画が。 神さまは聖書を通して、私たちが何をするべきかを教えてくださっています。 また、祈りを通して神さまとの親しい交わりを望んでおられます。
人生を生きるために、私たちはいろんなことを考えます。 ああしたほうがよいだろうか。こうしたほうがよいだろうか。 実はこのほうがよいのではないか。 必要と思われる知識を蓄え、情報を収集し、自分の生活に役立てようとします。 でも、神をおそれることは知識のはじめ。 自分を作った方を知ることなしでは、 自分がどっちに歩けばよいのかまったくわからなくなるのではないでしょうか。
…
私はいま、コンピュータに向かって、文章を書いています。 外では虫が鳴いています。もう、秋ですね。
この日記をお読みになっているあなたの上に、今週も神さまの祝福が豊かにありますように!
Another HTML-lint gatewayで、HTMLの正しさを検証。
やっぱりあちこちミスをしていた。せめてトップページだけは100点にしておこう。
HTML-lintを使うたびに闇黒日記を思い出します。
この日記のリファラをここ数日調べていた。
大半のアクセスがアンテナと検索エンジン経由であることがわかる。 特にアンテナは多い。ということは定期的に読んでくださっている方が多いということかしら。 ありがとうございます。
それにしても、はてなアンテナって編集しにくいよう…。 ウエブ日記/ブログのよさの1つがスピードにあるとしたら、 アンテナも同じでは。 あちこちでbloglines.comのよいニュースを聞くから、私もbloglinesに移ろうかな。
今日は礼拝。 礼拝の後、久しぶりにみんなでお食事。 帰ってきてからお昼寝。ちょっと喉が痛かったけれど、 喉巻き(タオルを首に巻く)をしてプロポリス飴をなめて眠ったらだいぶ回復。 それからスーパーで鳥の腿肉を買う。
お昼寝をするとき、子供がうるさいので、イアーウィスパーで耳栓をして、アイマスクをつける。 そうすると、まるで海溝の底で眠っているような気分になる。静かな眠り。
先日『ファインディング・ニモ』を見た。 心配性のマーリンと、楽観的なドリーが出てくる。 私は自分のことをマーリンだと思っていたが、家内によれば「あなたはドリーに決まっているじゃない」といわれた。
ドリーのような超楽観的+能天気な人と実際に暮らすとなったら、いささかたまらないと思うのだが、 自分がドリーのような性格だとは。
「泳ぎましょったら泳ぎましょ♪」
でも考えてみれば、私は自己肯定と現状肯定が非常に強い。 バカボンのパパではないが「これでいいのだ」と思いがちだ。 もっと若い頃、たとえば20代のころは自己否定が強かったように思う。 「これではいけない」という気持ちだ。 でも30代に移り行くころから「まあ、いいか」「これでいいのだ」「ちょっと待ってみようか」「時間をかけてみようよ」といった リラックスムードになっているように思う。
そういえば、今日礼拝の中で思っていたこと。 「年齢が少し上の人の言葉に耳を傾け、年齢が少し下の人に自分の言葉を伝える」 という態度は大事かもしれないな、と思った。 その年代でしかいえない言葉というものがある。 たとえ絶対的な真理を語るとしても「どう語るか」には年代が影響する。 若いときには若いなりに、年を重ねた後ではそれなりに、選ぶ言葉は変わってくる。 だから、時を移さずに、必要だと思った言葉はあらわさなければならないように思う。
自分が語る言葉は、大半の人から無視され、聞き流されるだろう。 それはそれでよい。 でも、きっと、何百人に一人、何千人に一人かはわからないけれど、 私が語る言葉を必要としている「誰か」がいるかもしれないな、と思うのだ。
また逆に、自分が接する言葉にも注意したい。 神さまからのメッセージがどんな形で自分に寄せられるかわからないからだ。 注意深く耳をすます。
現在ブログが流行していて、たくさんの人が「自分の言葉」を世界に向けて語っている。 それ自体は良くもなく悪くもないと思う。ネットは人を良くもしないし悪くもしない。 ただ、活動を増幅するだけだ。良い言葉も悪い言葉も、ネットで増幅される。
おはようございます。 結城の日記のテーマを はてなダイアリー標準のスタイルにあわせた版を作ってみました。
hatenaテーマをクリックすると、デザインが「はてな風」になります。
家の中にずっといると気分が腐ってくるので、 子供たちを連れて本屋さんまで散歩。
本屋さんには村上春樹の『アフターダーク』が並んでいた。
Yuki::Diaryに検索機能を導入しました。
といっても、例によって富豪的な(?)検索。 単に正規表現を使ってマッチする記事を探すだけ。 所要時間は二時間(いまできたばかり)。
カテゴリ分けに関して、何人かの読者からフィードバックをいただきました。 ありがとうございます。
カテゴリわけはしないほうがよい(cf. 超整理法)。 日記には不適切。などといった意見をいろいろといただきました。
ツールが変わると、気分も変わる。 特に、文章を書くツールは重要である。ほんのちょっとしたことが気分に大きく影響する。 私の場合にはコンピュータのキーアサイン、エディタの行間、フォントの大きさなどのすべてが気になる。 気になるところをちょっとずつ修正して、できるだけ気分がよく仕事ができるようにチューニングしてある。
プログラミング言語処理系も重要。 PerlとJavaがいつもフル稼働している。 リアル生活は散らかしっぱなしだけれど、ディスク中は整理整頓が行き届いていて、 どこに何が置かれているかをきちんと把握している。 何かを「やりたい」と思ったときに、ツールがすべてぴかぴかに磨いてあって、 なめらかにオイルも塗られている。思ったとおりの動作を指示通りにこなしてくれる。 自分のマシンがそういう状態になっているのは、とてもうれしい。
私の場合、エディタは考えるための道具でもある。 私は文章を書きながら考えごとをしている。いまもそうだ。 文章がどこに向かうのか、私にはわからない。 いつもカーソルという舳先に立って、目もくらむような大海原を前に、 心にうつりゆく言葉をどんどん書き進める。 ちょっと書いては読み、読んでは書き進む。 そうやって、私は考えている。
大昔、ワードマスターというエディタがあった(知ってますか?)。 私はワードマスターにはじめて触れたとき「ああ、これで考える速度で文章が書ける」と感動したのを覚えている。 エディタを起動し、手が動くままに文章をつむいでいくとき、私はとてもリラックスする。
今回、私がこの日記をYuki::Diaryというモジュールを作って再構成しているのはなぜだろう。 多分に、はてなダイアリーライターの作成が影響を与えているように思う。
もともと、はてなダイアリーは嫌いではないのだが、Webでいちいちログインしなくちゃいけないのがどうにも面倒であった。 ログインが必要な理由はよく分かる。でも面倒なのは確か。はてなダイアリーライター(はてダラ)を作ったのは、 その面倒なログイン(クッキーのやりとりが必要)を省略したかったから。 作るのは楽しかった。また、使っているうちに、その便利さと手軽さを気に入ってしまった。 はてダラのために、自分のサイトを更新するよりも、はてなダイアリーを更新するほうが楽になってしまった。
以前Yuki::Kakeraを作ったときの部品を組み合わせれば、すぐにYuki::Diaryは作れると思った。 また、テキストファイルをパーズしてPerlのオブジェクトとして管理させる方法は、 textfile.orgでやった経験を生かせると思った (っていうほど大げさな話ではない。単にPerlのオブジェクトに慣れているというだけ)。
こんな風にして、Yuki::Diaryを作り始めた。 はてダラを作ることも、Yuki::Kakeraを作ることも、textfile.orgを運営することも、 もちろんYukiWikiを作ることも、それぞれはそんなに大した話ではない。 でも、自分の「あ、こういうの作ってみたいな」と感じる気持ちを、 その都度その都度かたちにしていくことは大事だな、と思う。 うまくいかなくてもいい、汚いプログラムになってもいい。 自分が使うツールを自分で作っていくことは、とても楽しい。 しかも、プログラミングの勉強にもなる。
そうしてできたツールを公開する。そうすると他の人にも喜んでもらえるかもしれない (MakeWebも、YukiWikiも、Yuki::Kakeraも、はてダラも、いろんなユーザが使って下さっている)。 それって、お金では買えない楽しみだと思いますね。
…
うん、このくらいの長さの文章なら、 単独ページにしても、かっこがつきますね。
日記にカテゴリをつけるのは意外に難しいな。
何が難しいかというと、
カテゴリを意識しすぎると、 文章を書くのに構えちゃうからよくないな。 www.textfile.orgのように、情報クリッピングのようなページならよいけれど、 日記のような「ごった煮」のページだと、カテゴリを気にしすぎるとよくない。
それはともかく、 カテゴリで日記を縦断できるのは面白いものだ。 たとえば、 prayとか writingとか。
はてなダイアリーライターの1.0.2を公開しました。
詳しくは、更新履歴を参照してください。
テーマを変更したときに自動的にリダイレクトするようにした。 perldoc CGIを見てちょこちょこと直す。
hazakura と default を試す。 よしよし、うまくいった。
Yuki::Diaryのデータファイルは単なるテキストファイル。
指定したディレクトリの中にあるすべての /$\d+\.txt$/ なファイルを読み込んで処理する。 ファイル名には特に意味はない。数字にしているのは何となく。 日記の日付情報は、或るフォーマットで本文中に記入する。
現在、私の日記は、2003.txt, 2004.txt, それに0000.txtという3つのファイルに書かれている。 2003.txtには2003年の1月から12月分、2004.txtには2003年の1月からついさっきまでの分、 そして0000.txtには最新の分を入れておく。ふだんは0000.txtを更新すればよい。 0000.txtが大きくなってきたら、適当に切り取って2004.txtに移す (この「適当に切り取って」というのが、私の心にしっくりくる)。 ファイルをサーバに送るのはupftpを使う。
日記を書いたり更新したりするのが、すごく楽になった。
Yuki::Diaryで簡単なキャッシュを実装した。
もともと、Yuki::Diaryでは富豪的なプログラミングをしているので、キャッシュが必要になると思っていた。 富豪的なのは、アクセスのたびにすべてのデータファイルを読み込み、かつ解析しているところ。 でも、今回実装したのはデータファイルの解析した結果をPersistent Objectとして保存するという方法ではなく、 最後のHTML(やRSS)の出力結果を保存するという方法。だってそのほうがシンプルだから。
[ki]の章を書いている。 長い文章を書くときのコツは「書かなくてもいいんだよ。読むだけでいいからね」と自分に言い聞かせて読み始めること。 読み始めると、自然にどこを書けばいいか、どこを修正すればよいかがわかってくるから。 …というような話は何度も書いているよなあ。
クッキーを使って、テーマが切り替わるように修正しました。
デフォルトのテーマをクリックすると、いつもの私の日記のスタイルになります。 hazakuraのテーマをクリックすると、hazakuraスタイルになります。
CGI::Cookieを使えば一瞬…まあ一時間くらい。
日記ツールによくついている「カテゴリ機能」は便利。 自分の知らなかった視点で見ることができ、自分の日記なのにちょっと新鮮な気分。
2004年の分しか変換していなかったけれど、過去日記もYuki::Diaryに変換しようかな。
Yuki::Diaryの拡張性を試すため、この日記を一時的にhazakuraテーマにしてみました。
Yuki::Kakeraのときと同じように、 Yuki::DiaryではHTML::Templateの機能を使ってページの構成を柔軟に変更することができます。 Yuki::Diaryでは、HTML::Templateに提供する「部品」を作ります。 HTML::Templateではページの「構成」を決めます。 そして、テーマがページの「見え方」を決めます。 テーマというのは、スタイルシートの集合と画像ファイルのまとまりで、スキンなどと呼ぶ場合もあります。
hazakuraは、はてなダイアリーで使われているテーマで、淡い緑を基調にした素敵なスタイルです。 作者は、id:chepookaさん。 はてなダイアリーで使われているテーマはすべてGPLなので、 安心して使うことができます。すてきなテーマをありがとうございます。
トップページには最新の情報を置いておくが、 いざpermalinkで参照すると過去ページのほうが表示されるというのはよくある話。
たとえば、 Spiegelさんのところ もそうだし、 結城の以前の日記でもそうやっていた。 こうしておくと、最新情報を把握しやすく、 また誰かが「その日」にリンクした場合でも、 リンク切れになる危険性が少ない。
こういうリンクのつけ方(URLの管理)は、何らかのツールを使わないと間違えやすい。 「日記を認める(したためる)システム」や、いわゆるブログツールの基本的な機能になる。
そのときに、ユニークなIDが必要になることが多い。 ユニークなIDで最も便利なものは「時刻」である。 このYuki::Diaryでも、時刻をフル活用してIDとしている。
たとえば、個々の記事では「年月日時分秒」の14個の数字の列をIDとしている。 いま読んでいるこの記事を例に取ると、2004-09-08 09:07:17という時刻から、 20040908090717というIDを生成している。 ちょっと工夫してエンコードすればもっと短くできるが、 明確な「意味」を失ってしまうというデメリットがある。
時刻を元に作ったIDから、元の時刻を復元するプログラムは簡単に書ける。 たとえばPerlなら、次のように書けばよい。 もちろん「他にも方法はたくさんある(There is more than one way to do it)」。
my $id = "20040908090717"; if ($id =~ /^(\d\d\d\d)(\d\d)(\d\d)(\d\d)(\d\d)(\d\d)$/) { my ($year, $month, $day, $hour, $minute, $second) = ($1, $2, $3, $4, $5, $6); # ... }
時刻は、1秒の粒度でユニークさを保証できるし、 また単純なソートをするだけでも「時間順に並ぶ」という有用な性質を持つ。 たしか「Tim Berners-Leeも時刻はURIに使うと便利」という主旨のことを言っていたと記憶している。
Spiegelさんから、この日記のRSSの間違いを教えていただいた。 またdc:subjectでカテゴリを表現する場合があることも教えてもらった。
さっそく、この日記のRSSでもdc:subjectでカテゴリを表記してみた。 ただ、dc:subjectで使うカテゴリは何らかの標準的な分類法に基づいているほうが望ましいらしい(それはそうだろう)。
RSSリーダのglucoseで見てみると、確かに「カテゴリ」として認識されるようになった。 すばらしい。
次男はデカレンジャーカードを集めている。
いつもデカレンジャーのカードを何枚か束にしたものを持ち歩いている。 でも、よくあちこちに置き忘れてパニックになる。
「おとうさん、デカレンジャーカード知らない?」
簡単なカテゴリ検索に対応しました。
たとえば、 dietや family、それに securityとか。
今度の日記では、 「月内固定リンク」と「単独固定リンク」を分けてみました。 次の二つを見比べてみてください。
「月内固定リンク」のほうは、その月全体を表示した上で、目的の記事にジャンプします。 一方「単独固定リンク」のほうは、目的の記事だけを表示します。 短い記事や、前後の文脈と絡めて読んでもらいたい場合には「月内固定リンク」のほうが適切ですけれど、 長い記事をひとつのまとまったものとして読んでもらいたい場合には「単独固定リンク」のほうがよいかな、 と思っています。
たとえば、 「プログラマのダイエット」 のように、最初は 日記の一エントリだったのだけれど、 後から 単独の記事として扱いたいような場合に「単独固定リンク」は便利かも。
メインの日記(あなたがごらんになっているこの日記です)をYuki::Diaryを使って置き換えた。
最初は「せっかくCGIにしたのだから多彩な機能を提供しよう」と思い、 月・日・記事単独ごとのページ群を作ってみた。 でもいろいろやってみると「その日一日単位」というページの見せ方はあまりしっくりこなかった。 日記なのだから、やっぱり前後のコンテキストがちらちらと目に入ったほうがなじむ。 それから、リンクをたどったときに似て非なるページに遷移してしまうと道に迷う。 結局、以下のようにした。
もっとも、どのように見せるかはYuki::Diaryのフレームワークとしての機能ではなく、 HTML::Templateのテンプレートの記述方法になるのだけれど。
サイドバーはどうしようかな、と迷ったけれど、 クラシカルな(?)ページデザインのまま進んでみることにした。
試みとして、トップページは新しい記事が上、各月の記事は新しい記事が下になるようにしてみた。
うまくいかないようならまた修正する。→やっぱり修正。
現在のファイルの行数を以下に示す。 MakeWeb.pmは以前作ったものだから、今回の作成分はだいたい700行程度。
138 index.cgi 486 lib/Yuki/Diary.pm 1029 lib/Yuki/MakeWeb.pm 4 theme/makeweb/do_date.txt 4 theme/makeweb/do_list.txt 41 theme/makeweb/do_rss.txt 10 theme/makeweb/do_section.txt 4 theme/makeweb/do_top.txt 80 theme/makeweb/footer.txt 102 theme/makeweb/header.txt 16 theme/makeweb/item_list.txt 13 theme/makeweb/mokuji.txt 4 theme/makeweb/section_link.txt
できたこと:
できてないこと:
(^_^;
)
Yuki::DiaryとHTML版日記を融合させたいと思っている。 正確には、Yuki::Diaryを使ってメインの日記を更新したいと思っている。
Yuki::Diaryを改造している。
HTML::Templateで使うテンプレートファイルを修正するだけで、 自由にレイアウトやスタイルやサイト構成を変えることができるが、 相対ジャンプの際には注意が必要だ。 たとえば「そのページの上から何個目の見出し」という相対ジャンプをさせたいとしよう。 ちょっと考えると、上から順番に番号をふればよいようだが、 そうしてしまうと、URLのユニーク性が保てなくなってしまう。 Yuki::Diaryでは各セクションに時刻でユニークなIDをふっているから、 それを利用してフラグメントの値を決めるとよい。
たとえば、SECTION_IDにIDがふられているとして、 以下のようにする。
<a id="i<SECTION_ID>" name="i<SECTION_ID>"><SECTION_TITLE></a>
Yuki::Diaryを改良してテンプレート対応にしてみた。HTML::Templateは強力だ。 今回、HTML::Templateのモジュール化が手軽に実現できたのは、以前 声のかけら。を作ったときの経験が役に立っている。
RSSにも対応した。
以前作ったYuki::RSSを利用した。
URLを整えるのには、Apacheのmod_rewriteを使った(バッドノウハウ…)。
個別のURLによって表示される内容を変えてみた。 日記のエントリを、そのまま単独記事にできるというメリットはあるけれど、 必ずしも見やすくはなりませんねえ…。 複数日付をまとめたナビゲーションがもう少しうまくできると読みやすくなるのだろうか。 ページの目次からジャンプするときにはfragmentを使い、 各記事に明示的にpermalinkとなっているもののときだけ単独ページにするのがよいかもしれない。 もっとも、そういう調整はプログラムではなく HTML::Templateに渡すテンプレートを書き換えるだけでできちゃうんですけれどね。
そもそも今回Yuki::Diaryを作っているのは、 純粋に自分の日記更新を楽にしたいからだ。 現在の(HTMLベースの)日記は、月単位で新しいファイルにしなくちゃいけないし、 個別リンクのリファラを取ることも難しい。 全体をCGI化して動的生成させるようにすれば、 もう少し管理が楽になるかな、と思ってやっている。 スクリプトがまとまれば、公開する予定だけれど、まだまだそれは先の話。 いまは、自分が欲しい機能から順番に入れていっている。 ある程度機能が入ったら、現在のHTMLベースの日記 ( https://www.hyuki.com/diary/) をPowered by Yuki::Diaryにしようと思っている。
そうそう、
このYuki::DiaryのRSSは、descriptionのところに日記全文を含めています。
神崎さんの
RSS -- サイト情報の要約と公開を読むと、descriptionに全文を入れるよりは
Contentモジュールに入れるほうがよいという話なので、そうやってみました。
もし、RSSリーダーなどをお持ちでしたら、 これは便利/変だ/読めないなどのご報告をしていただけると感謝です。 文字コードはEUC-JPです。URLは、 https://www.hyuki.com/d/rssになります。auto-discoveryでも見つかります。 コメントを結城に送ってくださる方は、以下からお願いします。まだツッコミ欄を作っていないのです。
できたこと:
できてないこと:
テーマ別によるスタイルシートサンプルを眺めながら、いろんなスタイルがあるなあと感心することしきり。
いろいろいじっているうちに、日記CGIっぽいものを(また)作ってしまいました。
実験中なので、リロードするごとに(秒替わり)で別のCSSを試すようになっています。
スタイルシートは
tDiaryに同梱されているものをお借りしています。
→自前のものに直しました。
(一応)できていること。
できていないこと(気が向いたらやるかもしれないこと)。
はてなダイアリーライターの1.0.1を公開しました。
また、実験的にPARでWindowsのexeファイルにしたものも公開してあります。 こちらを使えば、Perlをインストールしていない環境でも「はてダラ」が使えるはず。
というわけで、今日は久しぶりに飲み会がありました。 yomoyomoさんが上京なさっているということで、 歓迎飲み会(?)に参加しました。 今回はじめてお会いしたのは、 いつも鋭い[neta]リンクを参考にさせていただいている Otsuneさん、それから、 八木の野郎さん、それにアニメ・イラスト系、オタク系情報サイトartifact-jpの 加野瀬さん、それに、 オンラインブックストアbk1の土屋さん、でした。 Otsuneさんはサイトとは違い(サイト通りの?)楽しい方で、 終始にこやかな表情を崩さす、いい味を出していましたね。 幹事の 青月さんありがとうございました。
はてなの近藤さんもいらしたので、 失礼を省みず 「はてなアンテナ編集しにくいです(もっと使いやすくしてください)」 などと主張しました。 近藤さんからじきじきに「 はてなダイアリーライターはどうですか」などとお言葉をいただいたので、 「はてなダイアリーに更新用のAPIをつくってください」 というお願いをしてきました。
ついでに、今度よい機会があったらはてなのオフィスを見学させてくださいね、 とずうずうしいお願いをしてしまいました。 近藤さんはいつも誠実な(でもユーモラスな)対話をなさる方です。 で、はてなのサービスに関してのコメントにはいつも真剣に耳を傾けておられる、 そんな方でした。
いま、飲み会帰りの電車の中でキーボードを叩いているので、文章は少し変です。 ごめんなさい。
あー、えーと、日記に書けない題材とネタが山ほどあって、なかなかつらいですが、 とりあえず、このへんで。おやすみなさい。ぐー。
森山さんの日記で、8月分の売り上げランキングというのをやっていたので、 うちでもやってみました。みなさま、お買い上げありがとうございます。 7月・8月分の合計による売り上げランキング。1位から10位です。
9番目まで、ふむふむと読んできて、10番目で「?」になりました。
この『おつきさまこんばんは』って何だろう…(^_^)
ははあ、林明子さんの絵本ですか。いいですねえ。
ここは、プログラミングの本と絵本がランキング入りするサイトです。なんだか楽しいな。
私「ジャンケンはグー、チョキ、パーの3つの手があるけれど、4つの手を考えたら勝負はどうなるかな。」
長男「ぐるぐるまわるね。」
私「そうだね。手を1, 2, 3, 4だとすると、1よりは2が強い(1→2), 2よりは3が強い(2→3)、3よりは4が強い(3→4), 4よりは1が強い(4→1)。」
長男「うん、そうなる。」
私「対角線はどうだろう。」
長男「対角線?」
私「こういう正方形を考えたときの対角線。」
1 → 2 ↑ ↓ 4 ← 3
長男「1対3ってこと?アイコじゃないの?」
私「2と4では?」
長男「やっぱりアイコ。」
私「ふうん…。なんだかつまらないね。」
長男「どうして?」
私「だって、1は2に負けるけれど、4には勝つ。1は1とアイコで、1と3もアイコ。何だかアイコが2つあるのがやだな。」
長男「じゃあ、アイコみたいなのをもう1つ作ればいいじゃん。」
私「あなたはなかなか賢いねえ!」
長男「ふふん。」
私「じゃあアイコじゃなくて、ダッコにしよう。1対3のときはアイコじゃなくてダッコ。」
長男「ダッコ? なんだそりゃ。ダッコのときはどっちが勝ちなの?」
私「どちらも勝ちじゃない。」
長男「じゃあアイコと同じじゃん。」
私「うーん。そうか…(考える)わかった!」
長男「何が?」
私「アイコを0点だと考えるからいけないんだ。アイコは両方が-1点になる。」
長男「ほうほう。」
私「で、ダッコは両方が+1点になる。つまり両方とも勝ちなんだ。」
長男「アイコは両方が負け?」
私「そう。一覧表を作るとこうなる。」
1 2 3 4 1 -- -+ ++ +- 2 +- -- -+ ++ 3 ++ +- -- -+ 4 -+ ++ +- --
長男「「-」というのが-1点を表しているんだね。これは線対称になる?」
私「よく気が付いたね、その通り。ナナメに降りていく線で折ると対称(でも+-と-+はひっくり返るけれどね)。」
長男「対角線のところがアイコだね。--になる。」
私「そう。++のところがダッコだ。こうすると、ジャンケンに必要な条件の一つである「どの手を出しても有利ということはない」が満たされる。」
長男「ふんふん。」
私「ここで「カチ」「マケ」に対応させて「ダチ」「バケ」という用語を作ろう。」
長男「ダチバケ?」
私「カチは、自分が+1で相手が-1だよね。自分がカチなら相手はマケ。」
長男「うん。」
私「ダチは、自分が+1で相手も+1のとき。自分がダチなら相手もダチ。」
長男「ははあ。」
私「バケは、自分が-1で相手も-1のとき。自分がバケなら相手もバケ。」
長男「はいはい。」
私「そうすると、上の表を見ると、1の手を出した人は、1, 2, 3, 4に対してそれぞれ「バケ」「マケ」「ダチ」「カチ」の4通りになる。」
長男「まあ、そうだね。」
私「どの手を出しても、相手の4種類の手に対して「バケ」「マケ」「ダチ」「カチ」の4通りになる。」
長男「ふんふん。それで?」
私「それだけ。何となくきれいになったって感じがする。」
長男「がく。」
私「ところで、このゲーム、ジャンケンに似ているけれどちょっと違う。何て名前をつけたらいいと思う?」
長男「(考える)うーん、元のジャンケンがどうしてジャンケンって言うかわからないから…。」
私「そうだねえ、確かに。」
長男「ジュンケン(順拳)って感じかな。」
私「ふんふん、何となく雰囲気は出てるな。」
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