> 結城浩の日記 > 2004年11月 | 検索 |
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午前中は礼拝。アドベントの季節。 この季節のテーマは「待つ」ということですね。 じっと待つ。備えて待つ。期待して待つ。 待っている間も、喜びは始まっている。
午後、少し頭痛がしたけれど、ちょっとお昼寝をしたら回復。 マクドナルドでポテトフライを読みながら、原稿を食べる。 …っと逆ですね。
夜中、レビューアさんのメールを読みながら、 図を書いたり、こまごまと修正したり。 ふと、とんでもない間違いに気づいてあわてて参考書を調べたところ、 実は間違いではなかったことが判明。ほっとする。
もう眠いので、寝ます。おやすみなさい。
この日記を読んでいるあなたに、神さまの祝福がありますように。
はてなダイアリーライターの1.1.1を公開しました。
詳しくは、更新履歴を参照してください。
いつものレビューでは「一章書くごとに」レビューアさんに読んでもらっていた。 今回は、全体がほぼできてからレビューアさんに読んでもらっている。 レビューアさんは、読む期間が短いのでちょっと大変かもしれない。 でも、まとめて読むことができるのはやりやすい点もあるかな、と思う。 結城のほうは時間にゆとりがあるので、レビューアさんからの反応は割と早く原稿に反映できる。 こまごました修正を繰り返しながら、また原稿を頭から何度も読むことになる。
書くときはプレーンテキストだが、読むときはPDFに変換している。 プリントアウトして読むことも多い。 プリントアウトはA4用紙に行う。 プリンタの機能を使って、1ページ/枚や、2ページ/枚、それに4ページ/枚のようなレイアウトをいろいろ試す。 レイアウトを変えると読むスピードや同時に見える量が変化するせいか、 いつもと違う視点での校正ができるように思う。
先日買った『Microsoftエンカルタ総合大百科2005』を、あちこちのぞいている。 エンカルタは、Microsoftの百科事典。想像していたよりもずっと面白い。 Wikipediaもいいけれど、オフラインの状態でちょっとした調べものにはエンカルタはなかなかよい。 もちろんWebにつながっている状態なら適当にGoogleで検索すれば面白いサイトはすぐに見つかる。 でも、バランスよく要約されて、読むに耐えるテキストは少ない。 存在はするだろうが、それを見つけたり見分けたりするのには時間がかかる。 エンカルタがあると、ある一定のレベルを保ったコンテンツが手元にあるわけなので、 その事柄をさくっと知りたいときにはすごく便利。 つまりは、時間と品質のトレードオフですね。 さっき、ふと「アーキテクチャ」という項目を読んでいたら、 デザインパターンの話や、JavaのAWTの話まで出ていて、へえ、と思った。
マルチメディア系というか、 動物の生態が描かれたビデオや、 機械(たとえばCD)の仕組みを説明するアニメーションなどもあって楽しい。 さっきは次男と一緒に「オウムガイ」「クワガタムシ」「カブトムシ」などを見た。 ビデオでは「ミツバチの巣を襲うオオスズメバチ」とか「ハキリアリの暮らし」など。
2004-12-01 追記
鈴木クニエさんから「お薦め」といわれた「タコは変幻自在な海の秀才」を見てみました。 確かに面白い。タコってこんなに賢いんだ。 それにカメレオンみたいに自分の変えて姿を隠すことができるなんて知りませんでした。
ところでどうしてアマゾンで「エンカルタ」を検索しても2005年版が出てこないんだろう。
…と書いていたら、
児玉サヌールさんkdmsnrさんから、
「Microsoft Encarta 総合大百科」で検索すると出てくるという情報をいただきました。
感謝します。
はてなダイアリーライターの1.1.0を公開しました。
詳しくは、更新履歴を参照してください。
これまで書いた原稿をまたゆっくりと読み直す。 レビューアさんから来たコメントを読んで、 ちょこちょこ直したり、考え込んだり、図を直したり。 編集長とメールのやりとりをしてこれからの相談などをする。
奥さんはお買い物に出かけ、長男は宿題をやっている。 次男は新聞の漫画をハサミで切り取って別の紙にのりで貼り付け、 小さな本を作っている。
ゆっくり過ごす土曜日。
この一年の、結城のサイトにおけるクリック数ランキングは以下の順(デザパタ本は増補改訂版に合算しました)。
レビューアさんに送付したけれど、原稿執筆は続くのであった。
今日は[ha]の章で作成残りがあった図を2枚描きました。 2枚描くのに1時間半くらいかかりました。 それから、[mo]の章で残っていた図を3枚描きました。 こちらは小さい図でしたので、40分くらいで描くことができました。
φ(*_*)
書き書き…。
あちこち「要修正」が残っているけれど、 一区切りということで、原稿をレビューアさんに送付。 どうぞよろしくお願いいたします。
ふひゅー。力抜けたー。
φ(._.)
書き書き…。
だいぶ[po]が整理できました。
うーん、あちこち「要加筆」が残っているけれど、 一区切りとして、 今晩中か明朝にはレビューアさんたちに送れるかな?
昨日、今日と、本一冊全文をプリントアウトして読み直した。 すごく楽しい。
レビューアさんが読みやすいようにと思って、 すこし荒いけれど画像をpLaTeXに入れて大正解だった! 私自身がすごく校正しやすくなったから。
相手を意識すると、仕事の質が変化する。
φ(._.)
書き書き…。
今日は「だまだま」になっていた[ow]をほぐしました。
今年も 「よかった探しリース」の季節がやってきました!
みなさんもぜひご参加ください。
よかったこと
以下に追加する予定です。
タイトルに意味はありません。 仕事中。 レビューアに原稿を送る準備をいろいろ。 うぎゃ。
「よかった探しリース」の開催、 もうちょっとお待ちくださいね。 たぶん、明日には。
うーん。図版が足りないけれど、いちおう[ha]は整理した。 次は[ow]だ。
まだ、本を書いています。[mo]の章の大きな懸案事項が解決。よかったよかった。 これで、レビューアさんたちに送付する版の整理が残っているのは[po][ha][ow]の章。 まずは、[ha]をやっつけよう。
懸案事項をいろいろと解決。でも、まだまだ残っている。
でも、もう眠い。おやすみなさい。ばたんきゅー。
朝食後、 長男が、バッハのインベンション(の右手)を練習しているのを聞きながら、 ぱたぱたと[mo]の懸案事項(の1つ)をクリア。 問題は懸案事項がたくさんあるということでして。
夜中、まだ台所にいる。
書誌情報を書き終えて、それぞれの本に一言コメントを書く。
食器洗い機が止まっていたので、お箸は引き出しに仕舞い、お茶碗とコップは食器戸棚に戻す。 フライパンはオーブンの上に置き、お鍋とボウルは下の引き出しに入れる。
夜、台所で原稿を書く。
少し仕事したところで、お皿とお茶碗を食器洗い機に並べて入れ、洗剤を入れてスイッチを入れる。
また少し書き物をしたら、炊飯器の中のご飯をラップでくるみ、あら熱をとったあとに冷凍庫に入れる。
今日はずっと頭をしぼって仕事をしていたので、 巻末の「読書案内」の書誌情報などを書く。頭を使わず手を動かす仕事。
残りは、[po][ha][ow]と[mo]の章。
ふみい。やっと[co]と[re]の調整が済んだ。さて、次だ。
今日も本を書いている。
以前結城の本のレビューをやってくださった方のうち数人に、 「お時間があったらレビューをしていただけませんか」 というお願いメールを出した。 「レビューアに送る」とイメージしただけで、気持ちに変化があるから面白い。 今回の本はいつものような大人数のレビューアの公募はしない予定。
図の調整が続く。[nu][lo][ki]の章は調整がいちおう終了。[mo]の章はちょっとあとまわし。 あとは[co][re][po][ha][ow]の章か…。がんばろう。
午前中は礼拝。お昼はお友達と一緒にレストランで歓談。
夕方からマクドナルドで原稿を書く。 今日はVisioで書いた図をPNGに変換し、それをebbで変換し、pLaTeXに取り込むPerlのスクリプトを書く。 これでいちおう、VisioとpLaTeXを融合させてPDF化して原稿を読めるようになった。 さっそく原稿をはじめから読み直し、図の調整を始める。 「はじめに」の最後に、自分で書いた謝辞を読みながら、なぜか少し涙ぐんでしまった。
私は20代のころ、ずいぶん親に迷惑をかけてしまった。 でも、父も母も、ものすごい忍耐力を発揮して、 私を愛してくれました。 ごめんなさい、そして、ありがとう。 お父さん、お母さん。
自分は、これほどの幸せに値しない存在なのに、 あふれんばかりの幸せを注いでくださる神さまに感謝します。
今日は、原稿の整理をした。[ha]の章のプリントアウトを読み返した。 それから[ra]の章はばらばらにした。 前から宙ぶらりんだったintro部分を裏返せば、 まとめの章になるということに気づいて[ow]とした。 ばらばらにしたものを構成しなおしてきれいな形にするのは楽しい。
最近家内が買ってきた「たんぐらむ」を次男(4歳)といっしょに遊ぶ。 たんぐらむは7枚の板を組み合わせて図形を作るパズル。 くもん出版の「たんぐらむ」は、 実物大の型紙がついていて、それに乗せて遊ぶのでわかりやすい。 大人でも意外に楽しめる。 ばらばらにしたものを構成しなおしてきれいな形にするのは楽しい。
昨晩は、デパートの隅にあった椅子に座って、[ha]の章の残りをざくざくと書いていった。 頭の中の編集者モードをオフにして、とにかく手の動くまま、心に浮かぶことをそのまま書いていく。 すると章の最後まで一気に書き上げることができた。ふむふむ。 あとは読み返して、細かい記述を直せば[ha]の章は整えることができそうだ。
残りの[ra]の章だが、ちょっと盛り込みすぎのような気がしてきたので、 重要なポイントだけを切り出して、他の章に散らすことにする。 そして[ra]の章は全体のまとめに徹する、と。 この構成変更で全体を書き上げることができるだろうか。
これまでに書いた部分はけっこう読み返しているから、 残りの部分を書き上げたら短期間で脱稿までいけると思うなあ。
早いもので、商店街ではそろそろクリスマスソングが流れ始めました。 で、今年もやります「よかった探しリース」。 いま、2004年版のCGIを準備中です。 毎年参加している人も、「よかった探しリース」って何?という人も、 もうちょっとお待ちくださいね。 参加開始はクリスマスの約一ヶ月前、2004年11月24日を予定しています。
そういえば 『Java言語で学ぶデザインパターン入門 マルチスレッド編』と、 『改訂版Java言語プログラミングレッスン』 が増刷になるということです。 みなさんご愛読、応援ありがとうございます。
「スレッドお化け坊や」も喜んでおります。
今日は、気分を変えて[po]の章はやめて、最終章を書くことにしました。 というか、ほんとうの最終章はまとめの章にすることにして、 その前に新たな章[ha]を挿入することに。 これで全体は8章から9章に増えました。ほんとうはあと3章くらい書きたい話題はあるのだけれど、 私の能力ではいまひとつ満足がいくできにならなかったので没。 おそらく9章の構成でいくと思います。
昨日のうちにアウトラインを作っておいたので、今日はいきなり[ha]章の頭から順番に書き始めました。 さらさらと半分くらい書いたところでくたびれたのでストップ。続きはまたあとで。
道を歩きながらいま書いている本について考えると、 何だか当たり前のことしか書いていないような気分がするのだけれど、 いざ校正原稿を読み返すと、何だか引き込まれるように読み、楽しくなってくる。 ふしぎな気分。
はやく全体を書き上げて、 書き残した部分を埋めていく「落穂拾いモード」に入りたいなあ。
RSSについて思うことをメモしておきます。 当たり前のことばかりですが。
ではお手本となるサイトはどこか。
RSSフィードが用意され、もちろんAuto-discoveryに対応し、 適切な長さの良質な文章が、一日一回全文配信されるようなサイト。
すぐに思いつくのは「百式」ですね。
追記
『Apacheモジュールプログラミングガイド』の著者の 小山さんから「O'Reilly JAPANの新刊&近刊案内RSSもRSSの使い方としてスマート」という情報をいただきました。 ふむふむ。
otsuneさんの文章を読んで、いろいろと思った。 私はこのhyuki.comの日記をどんな規範/規準で書いているのだろう。
(^_^)
, (^_^;
, *^_^*
, φ(._.)
くらい。
今日も、本を書いています。
先週終わるはずだった[po]の章をまだ書いています。 残りは1つの節か2つの節なのですが、全体とつながってくれません。 論理破綻したところは、とりあえず順序を変えて眺めてみています。 まだ[ra]の章のアイディアは湧きません。 他の章に関しては何度もプリントアウトして朱を入れています。 やっぱりクリスマスまでは脱稿できないかも。
先日は9年前を振り返りました。 今日は、8年前の1996年9月〜11月を振り返ってみる。
1996-09 ホームページの更新をもっと楽にする方法はないだろうか。 定型のテキストをメールで送ればそれがそのまま登録されるようにできないだろうか。 .forwardの中でパイプを使ってメールをフィルタリングすればできそうだ。 - - - - 自分をそのまま見るようにしよう。 これが自分だという視点に立とう。 弱い自分、情けない自分をそのまま認めよう。 けれどよいところも認めてあげよう。 自分をあるがままに見てあげよう。 1996-11 新連載のファイルをホームページからダウンロードできるように。 Navigator Gold のインストール。 息子の起き抜けの言葉「かーたん、おねぎ好き?」
行動が、今とあんまり変わっていない…。
午前中は礼拝。 何だかうれしいメッセージをたくさんいただきました。 毎週日曜日に礼拝に行けることは、本当に恵みです。
午後はずっと、C MAGAZINEの原稿を書いていました。 さっき、やっと編集部さんに送信したところです。 いつも遅くなってごめんなさい…。
これから熱い「どんぐりコーヒー」を飲んで、 本のお仕事に戻ります。
先日は10年前を振り返りました。 今日は、9年前の1995年11月を振り返ってみる。
1995-11-27 新しいマシン、Windows95とInternetとWinTeXとGNU Emacsと日本語入力。 息子はクマのぬいぐるみ「マロンちゃん」を「マノンニャン」と呼ぶ。 パーティションは一つにしておくか。 NTをいれることがあるだろうか。 Windows3.1はもう捨てても構わない。 Plus!を買う必要はあるか。 WTERMはWin95でなぜか文字化けをする。 テレホーダイ検討。 Wordくらいはインストールしておかないと不便か。 ホームページの充実。 意見を求めるためのフォーム考案。 開発環境インストール。VisualBasic 4.0とVisual C++。ヘルプファイルは重要。
1995年はWindows 3.1からWindows 95へ移行した年です。 当時はインターネットにつなぐのに電話回線を使ってダイアルアップしていたので、 電話料金が重要課題。23時以降の「テレホーダイ」は固定料金なので重宝しました。
そういえば、1995年は結城が「ホームページ」を開設した年。 来年(2005年)は、結城のホームページ10周年ですね。
「はてなでは、寄せられた多数のご意見を受け止め、住所登録そのものについて、皆様から更に広くご意見をお伺いし、住所登録の撤回までも含めた幅広い検討を行いたいと思います。」とのこと。「はてな」さんの柔軟さは、なかなかすごいと思います。
ところで、 「1. 全ユーザーの住所登録を義務とする」 「2. 住所登録を選択制にする」 「3. 住所登録は行わない」 という3択が与えられた上で、 「1. 全ユーザーの住所登録を義務とする」 を選ぶ人っているのだろうか…。
追記
はてなスタッフによって「はてな住所登録パブリックコメント」のまとめがなされているようです。 これによると「1. 全ユーザーの住所登録を義務とする」を選ぶ人もいるんですね。へえ…。
ふと「ちょうど10年前の1994年11月に私は何をやっていただろう」と思った。
ハードディスクを探ってみると、あるある、当時の日記ファイルが出てきた。
1994-11-10 編集長からメールがあった。LB2についての進行チェック。 来週、18日ごろにセットアップするのがよいと思う。それまでがっと書こう。 devotion:エゼキエル16章。 数えてみよ主の恵み。 TeX:118dpiでは印字できた。240dpiでも印字できた。 麻薬フォントは要町フォントよりも読みやすい(スペースが空いているからか) のだが、いまいちねじれている印象を受ける。ひらがなだけでも調整したいと考えている。 眠い。5時に起きて息子をあやしつつフォントを少しいじった。
LB2というのは1995年に出版された『C言語プログラミングレッスン 文法編』(ISBN4-89052-519-X)のことです。 この本はLaTeXを使って書いていたので、TeXの実験をいろいろやっていたようです。 「麻薬フォント」や「要町フォント」はDOS/V用として使ったフォントだったでしょうか。 もうすっかり忘れてしまいましたが。
何だか、やっていることが今とあまり変わらない。
今日も今日とて[po]の章を書いている。 PDFを使って昨日書いた節を読み返し、表現を多少修正する。 それから無駄な枝葉を切って、新しい節を加筆する。
眠くてしょうがないので、 昨日朱を入れていた[lo]の章をファイルに反映させ、 思いついた図版を1個追加する。 あまりきれいじゃなかった図版を削除する。
今日は[mo]の章をプリントアウトして朱を入れる予定。
すでに[po]の章は残りが見えているのだけれど、 最終章の[ra]はまだまだ見えていないような気がする。 ふうむ。でも、きっと、そのときまでには よいアイディアが与えられるに違いないので焦る必要はない。 目の前の仕事を一つ一つていねいに進めていけば大丈夫。
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな。わたしがあなたの神だから。 (イザヤ41:10より)
この日記で毎日書いているような私の仕事の進め方・文章の書き方・本の書き方は、 わたしなりのスタイルだと思っている。世の中で仕事をしている人は、 みなそれぞれに自分のスタイル(「しっくりくる」やりかた)を持っているに違いない。
そのようなスタイルは一日で作られるものではなくて、 毎日毎日の積み重ねで作られていく。 そのスタイルは固定しているものではない。 毎日ほんの少しずつ変化している。 状況に適応するためにちょっとずつ修正されていく。
変化しすぎてはスタイルとはいえない。 変化しなければ役に立たない。
要するに、生きているということだ。
プログラマのダイエットを今年の7月から続けているわけだが、 体重は最近ずっと変化がない。 でも、気がついたことが1つ。 ジーンズのお腹まわりがゆるくなってきたみたい。 お腹、ちょっと凹んできたかな。
Webをつらつら見ていたら、 Creative Commonsのライセンスがついたコンテンツを集めているCommon Contentというサイトから hyuki.comがリンクされていてちょっとびっくりした。 "Japanese Version of Creative Commons Comics" って何だ? と思ったら、 「コミック版:クリエイティブ・コモンズのライセンス範囲」でした。
Wikiの話で盛り上がる「Wikiばな」のVol.3が開かれました。 結城は参加しませんでしたが、 参加者のレポートが出て来つつあるようです。
Bloglines.comを使っていてのメモ。 サイトはRSSを提供するだけではなく、Auto-discoveryにも対応したほうがよい。
<link rel="alternate" type="application/rss+xml" title="RSS" href="https://www.hyuki.com/diary/rss" />
Auto-discoveryがあると、RSSをsubscribeするときに便利だ。 Auto-discoveryに対応したRSSリーダーにHTMLのURLを与えると、 自動的に「えっと、このサイトのRSSはこれだな」と判断してくれるのだ。 上記のようなlink要素をheadに含めておくだけだからやらない手はない。 でも、RSSを提供している企業サイトでも対応していないところがあるみたいですね。
今週も相変わらず[po]の章。先日までほったらかしにしていた節に取り掛かる。 よい例をずっと探していたのだが、今日ふとよいアイディアが思いついたので、 それを展開してみた。なかなかうまくおさまりそうなのでうれしくなる。 今週中には[po]の章を終わらせたいなあ。
本文を何度も何度も読み返していると、 何だか「あたりまえ」のことしか書いていないような気分になる。 「こんなにあたりまえのことを書いてどうするよ」と、がっかりしちゃうのだ。 でも、数日ねかせておいた他の章を読むと、 「おお、何てすばらしい本なんだ。古くからの題材からこんなに面白い発見が引き出されるとは」 と、どきどきしてしまう(大げさ)。
心は「がっかり」と「どきどき」の間を行き来する。 でも、私の手は淡々と今日の分の原稿を書いていく。
教会で牧師先生のメッセージを聞いていると、 自分の一週間を振り返って 「ああ、たくさん失敗もあったけれど、神さまの恵みもたくさんあったなあ」 と思う。忙しい中にあっても、そうやって教会に行き、 普段と違う視点から自分の生き方を振り返るのは大切なことだな、と思う。
自分の失敗やまずかったことは、 もちろん神さまに向かって「ごめんなさい」と悔い改めをするのだが、 その失敗がまた繰り返されてしまうこともある。 自分でも自分がいやになるくらい繰り返して神さまに「ごめんなさい」する。
そうやっていると、 「そんなにおんなじ失敗ばかりして、神さまだっていやになるんじゃないかな。 もう悔い改めなぞせずに、なあなあ、でいけばいいじゃん」 という思いが心に浮かぶときがある。 わたしはこれは悪魔の巧みなささやきだと思っていて、すぐに蹴飛ばすことにしている。 ある思いが自分の心に浮かんだからといって、自分がそれに従わなければいけないなんて決まりはない。 そもそも自分の心に浮かんだからといって、自分から来たとは限らないしね。
私は、たとえ同じ失敗をしたとしても、根気よく悔い改めをして、 イエスさまの十字架のゆえにゆるしていただく恵みを味わい、 神さまをほめたたえていきたい、と願っている。 たんねんに悔い改めをして、しつこく神さまに祈ることが大事だと思っている。
なかなか変化しない自分がいる。 なかなか変化しない状況がある。 でも、わたしは、いまここに生きている。
めげた気持ちと敗北感で時間をすごすことも選べるし、 神さまからの助けを信じて勝利を先取りして時間をすごすことも選べる。
実際、そうなのだ。
毎日、自分がどのような態度で生きていくかは、 かなりの部分が自分で選択できるのだ、と思う。 実際にそれを継続していくためには神さまの助けが必要だけれど、 「私はこういう人生を生きます。生きたいです」 という第一歩は自分の意志にあると思う。
ほかの人がなんと言おうとも、私は 「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する」 という人生を選んでいきたい。
神さま、そのような人生を歩ませてください。
だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、 お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 御霊を消してはなりません。 預言をないがしろにしてはいけません。 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 悪はどんな悪でも避けなさい。 (第一テサロニケ5:15-5:22)
エッシャーの、数学的で不思議な版画をご存知の方は多いでしょう。 でも、エッシャーという人自身がどんなことを考えていたのかを知っている人は少ないかもしれません。 今日ご紹介する『無限を求めて—エッシャー、自作を語る』という本を読むと、 エッシャーの「全身全霊を版画に打ち込んでいる職人」という姿が浮かび上がってきます。
冒頭の、エッシャーが息子に宛てて書かれた手紙から少し引用しましょう。
やれやれ、もっとうまくデッサンできるように、勉強しておくべきだったと思います。 うまく仕上げようとするには、なんてたいへんな努力と辛抱が必要なんでしょう。 (中略) 万事につけて、才能なんぞが役立つというのはたわごとです。
エッシャーは、ときには創世記を引き合いに出しつつ(p.26)、 またあるときは哲学的な思索をつむぎながら、 自作および自分の活動について語ります。
版画の中で私は、私たちが美しく秩序のある世界に住んでおり、 ときにはそう見えても、決して無形の混沌のなかに住んでいるのではないということを 証明しようと努めてきました。(p.34)
あの平面や空間を埋め尽くす版画をなぜ作りたいと思ったのか、 そもそもなぜ版画をしようと思ったのか、 作品を作るときに考えていたことなどが、 エッシャー自身の言葉で語られます。
この本を読むと、作品に対する真面目で謙虚なエッシャーの姿に心打たれ、 背筋をたださずにはいられません。 時間をかけて、ゆっくりと味わいながらページをめくりたくなる、 大人向けの良い本だと思います。
Bloglines.comを調整している。
確かに、ぜんぶのサイトがRSSに対応しないかなあ、と思いたくなりますね。
まあ、確かに i-know.jpや MyRSS.jpのようなサイトを使って、いったんRSSに変換させるという手もありますが。 コンテンツ提供HTML→別のサイトでRSS化→別のサイトでRSSをアグリゲート。
コンテンツは夢野をかけめぐる(意味不明)。
Bloglines.comを見ていると、各サイトを購読(subscribe)している人が何人いるかがわかって面白い。 「結城浩の日記」は136 subscribers, 「ただのにっき」は159 subscribers, www.textfile.orgは238 subscribers, スラッシュドット ジャパンは608 subscribers, かのせさんのARTIFACTは427 subscribersだって。すごい。
本を書いている。[po]と[ra]の章はまだまだ。 今日は全体的に見直して、細かい表現をあちこち直していた。 でも、ファイルに反映させるときになって読み返すと 「いや、元のままのほうがよいな」と思うことが多くなってきたから、 細かい調整もそろそろやめにしなくちゃ。
Bloglines.comにだいぶ慣れてきた。 いまさらだけれど、確かにこれはよい、とだんだん思えてきた。 個々のRSSをどのように読むかの設定を調整して、
とやってみると、なかなか「しっくりくる」ようになってきた。 欠点は重いことかな。
otsuneさんの文章にあった、
あと殺伐系というかオープンソース文化に毒されているので、「改善点や脆弱点を指摘すること」は「攻撃」では無いんだけど。 そうではない一般的な義理人情やビジネス常識からすると違うんだろうなぁ。
という部分を興味深く読みました。 確かに、オープンソースやフリーソフトウェアの文化では 「バグの指摘」は「攻撃」どころか「応援」である場合が多いと思います。
それでちょっと思ったのは、Webの世界ではもっとすごくて、 内容がどうであれ「言及(リンク)」がすべて応援になることも多いかもしれませんね。 度を越せばslashdottedのようにサーバの負荷になってしまう場合もあるとはいえ。
公開されているWebサイトにとって、 「批判的な文脈でリンクされること」よりも 「誰からもリンクされないこと」のほうがずっとつらいに違いありません。
追記
ひらばやしさんのところからリンクあり。ふむ。 確かに「弱い人」はそう思ってはくれないかもしれませんね。 「批判的な文脈でリンクされるくらいなら、リンクされないほうがよい」と思う人も多いか…うーん。 でもどうだろう。
面白かったのは、ひらばやしさんがリンクしていたyucoさんの文章の同じ箇所を 結城も読んでいて、そうだよな。idが家族にばれたらいやな人だっているよな。 と思っていたということ。
話はそう単純化はできないということか。 それとも、自分の感覚を他者に適用するのは危険ということか。
かんさんから教えていただいた方法(i-knowで巡回し、そのRSSをbloglinesで読む)を試している。 確かに便利ですね。
たとえば、以下を参照。
相変わらず今日も本を書く。 昨日書いた[po]の節を読み返し、別の節を少し書く。 途中で論理が破綻して頭を抱える。 とりあえず「途中で論理破綻」というメモをファイルに書いておき、 別の箇所に進むことにする。 紙に入れた朱をファイルに反映する。
原稿ファイルに書いていた文章で、 校正中に削除した部分は、(捨てるのにしのびなくて)別ファイルにとってあるのだが、 そのファイルの量は、だいたい原稿ファイルの量と同じくらいになっている。 だからおおざっぱにいって、2倍書いていることになるんだなあ、と思った。
私の書き方は次のような感じだ。まあ、この日記でもよく書いていることだけれど。
まず、テーマが決まったら、それについて書きたいと思うことをどんどんファイルに書く。 目次も作る。章の構成も考えて書く。 それから各章ごとに別のファイルを作り、そこに書き込んでいく。 思いついたことは、そのことを収める章のファイルに入れる。 プログラムや図などを書く。文章を書く。 pLaTeXに変換し、PDFを作り、読む。そしてまた書き直す(このときに、上で述べた「削除」が起きる)。 はじめから最後の章まで一通り書いたら、 またはじめから最後の章まで読み返して修正を加える。 加筆が必要なところには「加筆」というメモを残しておき、あとで加筆する。 適切な加筆ができないときには、その前後と調整をして、加筆が必要だと感じさせないような構成にする。 で、また、はじめからおわりまで…というのを延々と繰り返す。 大きな修正がなくなり、修正が微振動しか起こさなくなったら、できあがり。
ずいぶん効率が悪いみたいだけれど、私にはこの方法がとてもしっくり来ている。
本を書くのはとても地味な作業である。 インスピレーションやセンスで書くのではない。 少なくとも日々の作業はそういう感じではない。 まずは原稿に向かい、昨日まで書いた分を読み返して修正し、今日書く分を進める。 そういう「平凡なルーチンワークに見える」作業の繰り返しだ。 というか、外面的にはルーチンワークに見えるように自分のスタイルを作らないと、長い文章は書けない。 ルーチンワークというのは、あまりメタなところに気を遣わずにすむということだ。 そうしなければ内容に集中できない。
それは、教会の礼拝が儀式であることに似ている。 礼拝が儀式でなければ、神さまに集中できない。
外面的にはルーチンワーク、外から見たら儀式的に見える。 でもその中身までが完全にルーチンワークになってしまってはいけない。 そこが面白くもあり、難しくもある。
単純な繰り返しのようだけれど、何かが少しずつ少しずつ変化する。 そして、あるときふと、その変化に気がつき、感動と喜びが生まれる。
同じような季節の繰り返しの後、子供の成長に驚くように。
プライバシーポリシーの再改定・発効日延期に伴って、住所登録期限を1ヶ月延長、とのこと。 住所を登録しない場合、2005年2月1日以降ははてなを利用できなくなるようです。
はてなからのメールを読んで気になった点が1つ。
質問の登録や日記の編集、アンテナの編集などの操作が、住所登録後に可能 となりますが、これまでにご登録頂いた情報が突然削除されたり、閲覧不能に なることはありません。
ということは、このような事態が考えられます。 知らないうちに著作権侵害をしていたユーザがいたとする。 著作権侵害をたとえば友達に指摘されて「しまった。消さなきゃ」と自分で思ったとします。 でも「はてな」が「このユーザは住所登録していないので日記編集不可」という措置をとっていたら、 このユーザ(日記作者)は著作権侵害をし続けてしまうことになりそうですね。
「はてな」は情報を削除したり閲覧不能にすることはない。 日記作者は、住所を登録しない限り日記を編集できない。 とすると、著作権侵害をしている日記は、ずっとそのまま存在し続けてしまうことになる。
あ、こういう話は「はてな」に問い合わせたほうがよいのかもしれない。 メールしておこう。
追記
いしなおさんが私と同じところに反応しているのを発見。
もっと追記
話は少しそれますが…思うところをつらつらと書きます。
「はてな」は「住所を登録する」という方針には変更はないようで、 ただ、みんなが住所を登録してくれるように、 よりきちんとしたプライバシーポリシーを作ります。 というスタンスのようです。
でも、私は「はてな」のプライバシーポリシーがどうなのかにはそれほど関心はありません。 私は、個人情報漏洩は、プライバシーポリシーとは直接関係がないと思っています。 もう少し正確にいうと、プライバシーポリシーがちゃんとしてないというのは問題でしょうけれど、 プライバシーポリシーがちゃんとしていれば個人情報漏洩が起こらない、というのは誤りだと思っているのですね。 それは、プログラムの設計がちゃんとしていれば、 セキュリティホールは存在しない、というのに近い誤りではないかと思っているのです (というか、この文章を書いていて、私は自分がそのように考えていることに気がついた、というのがより正確ですが)。
ですから、自分の個人情報漏洩を防ぐ方法は、 どうしても必要なとき以外は自分の個人情報を出さない、 ということくらいしかないのではないでしょうか。 完全に防ぐという意味ではなく、可能性を減らすという意味でしかありませんが。
なんだか当たり前のことを書いているような気がしてきたので、おしまい。 眠いせいか、文章がひどいですが、ご勘弁。
はてなアンテナとはてなダイアリーの利用を停止してみた。 アンテナはi-know.jpに移動できたので「はてなアンテナ」に戻る必要はなくなった。 結果的にアンテナ編集のユーザインタフェースが向上した。
はてなダイアリーは頻繁に更新していなかった。 でも、hyuki.comの日記とは別のトーンで書けて、 他のはてなダイアリーユーザからの反応をすぐに得やすいというメリットはあった。 このままid:hyukiがなくなるのは残念だけれど、しかたがないと思っている。
先日は、特に「はてな」を批判するつもりはない、と書いたけれど、 このようにして「はてな」から自分の日記やアンテナを引き上げようとしているということは、 間接的な批判になっているかもしれないな、と思う。
私自身も、自分の気持ちがよくわかっていないので、 現在感じていることを少し書いておく。
「住所を登録してほしい」というはてなからのメールを見たとき、 実は私は内容を詳しく読まなかった。 そのため、住所を登録しないと2005年から「使えなくなる」ことを知らなかった。 そのあと、ネットを巡回して情報を得てからメールを読み返し、 ハガキで住所確認を行うことや、2005年から使えなくなることを知った。
高木さんの日記がプライベートモードになったのを見て、一瞬ショックを受けた。 なるほど、高木さんの日記のセキュリティやプライバシーに関する話題は、 もう読めないかもしれないのだな、と思った。 2005年になって結城のはてな日記が突然なくなったら、 もしかしたら大きなトラブルを生むかもしれないと思い、 いったんプライベートモードにしてみるのがよいと考えた。
私は「はてな」の有料オプションは使っていない。つまりはてなに対して直接的な料金は支払っていない。 関心空間やジオシティーズやそのほかのネット上の無料サービスと同じような感覚ではてなを使っていた。 いや、もう少し好意的な扱いをしていた。 直接的にお金は払っていないけれど、ことあるごとに「はてな」を紹介し、 「はてな」上に多少のコンテンツを置き、また「はてなダイアリーライター」を作って公開することで、 「はてな」にはそれなりの貢献をしている、と勝手に思っていた。 それは「はてな」が面白いサービス、よいサービスを提供していると思ったからだ。
ではどうして私は今回「引き上げよう」と思ったのか。 それは単純で「自分の住所を登録したい/してもよい」と思わなかったからだ。 たとえば、 アマゾンのように自分の家に本を配達してもらわなければならないサービスなら、 住所を登録するのは当然と思う。 でも、自分の住所を登録してまで、はてなアンテナやはてなダイアリーを使いたいとは思わなかった。 アンテナならたくさん存在するし、たとえなくても、自分で巡回すればよい。 日記はすでに自分のサイトにある。
おそらく私は自分からはてなのidを削除することはせず、 プライベートモードにしたまま放置するだろう。 ということは使えなくなるまで、 虚偽の住所を入力したまま使ってればよいという考え方もある。 でも、それはちょっといやだと思った。 虚偽の住所で使い続けることがいやなのではなく、 いつ「ふっとなくなる」かわからないようなURLに、自分のコストを使うことがいやなのだ。
うん、そのあたりが私の感覚の正直なところかな。 自分が何がしかの時間をかけて小さなノアスフィアを開墾し、Web上に自分の空間を拓く。 私は、便利な機能、面白いサービスを試してみたい気持ちは旺盛だから、 あちこちに首を突っ込む。で、そこに自分のリソースを(わずかなりとも)注ぐ。 たとえばgenpaku.org, aozora.gr.jp, kanshin.com, ... 私の主戦場は自分の書く書籍にあると思っているから、 Web上の活動は趣味といえば趣味だ。 でも、自分のリソースを注ぐ、とても大切な場所だ。
今回のはてなのように、自分の場所を作っても、 ふっとなくなるかもしれないんだったら、 何かを構築する気持ちは起きないということなのだろう。 無料だから文句をいう筋合いはまったくない。 ただ、自分のリソースをそこに注ぎたくなくなるだけだ。
もちろん、他の無料サービスでも「ふっとなくなる」可能性はある。 でもそれが、自分の住所を登録していないことで「ふっとなくなる」 サービスというのは少ないのではないだろうか。
「はてな」以外でも、同じようなポリシーを打ち出したら、 わたしはきっと自分のコンテンツを引き上げるだろう。 そのときには、こんな言い訳のような文章は書かないかもしれない。 そういう意味では、わたしはきっと「はてな」が気に入っているのだろう。
今日も仕事。先日書いた[po]の一節を読み返して磨く。 それから、この章の終わりの言葉と次の章への道しるべを書く。 後ろを固めたところで、また[po]の前の節を書かなければならない。
書くのがつらくなったので、[co]章と[re]章の朱をファイルに反映する。 とりあえずここまでcvs commitしてcvs tagする。
これから[po]の節を書いて、最終章[ra]を書いて、 プリントアウトして何回も読んで…うーん、やっぱりクリスマスまでかかりそうだなあ。 神さま、どうぞお守りください。
はてなアンテナはi-know.jpに移して、スタイルシートを変更した。 だいぶしっくりくるようになった。
RSSの巡回用にbloglines.comを試してみたのだけれど、どうも私の使い方とはしっくり来ない。複雑すぎるのかな。
はてなダイアリーのうち、人狼BBSの紹介記事は非公式まとめサイト(wolfbbs.halfmoon.jp)に転載した。 今年の夏書いていた避暑日記はすでに「夢の中の対話」としてhyuki.comへ移してある。
ちょっと一段落かな。
ずいぶん以前から考えていた、新しい本のアイディアが心に浮かび上がる。 ノートにそのままメモする。あとから、ノートを読み返し、コンピュータに入力しておく。 このメモが、来年や再来年に育ってくれればよいなあと願いながら。
ソースの品質を上げるための最もよい方法は、 繰り返し読むことではあるまいか。
「はてなアンテナ」からLIRS互換のデータをダウンロードしてi-know.jpに移行する手順は以下の通り。
はてなアンテナの代わりにi-know.jpというところを試してみた。 i-know.jpはメールアドレスすら登録しないという方針のようだ。
はてなアンテナの「設定」からLIRS形式のデータをダウンロードして、 i-know.jpの「アンテナ編集」でブックマーク/LIRSファイルのインポートを行うと、 i-know.jpが重いのと、CGIがときどきpremature headerなエラーを出すので手間取ったが、 何回か試して15分ほどで移行することができた。
スタイルシートはとりあえずhyuki.comのを食わせた。 各サイトの更新チェック範囲はまだ少しおかしい。
i-know.jpはRSSを食べてくれないのかなあ。
追記
かんさんからBloglinesは便利ですよという情報をいただく。ふむふむ。 現在はやってないとのことだが、 RSSフィードしていないサイトは、i-know.jpから巡回させ、 そのRSSをbloglines.comで読むという手があるという情報もいただく。 なるほど。
まあこの機会に、巡回サイトも少し整理をして、定期的に入れ替えられる工夫を考えようかな。
「はてな」から「住所登録がなされない場合、2005年1月1日以降は「はてな」を利用できなくなります」 という主旨の連絡が来ました。 結城は「はてなダイアリー」と「はてなアンテナ」を利用していましたが、 この機会に「もしも「はてな」が利用できなくなったらどんな感じがするものなのか」を確かめようと思い、 結城が使っている「はてなダイアリー」と「はてなアンテナ」をプライベートモードにしてみました (私自身も「はてな」をほとんど使わず、代替サービスを探してみようかと思います)。
念のために書いておきますと、 結城は「はてな」を批判したり「はてな」に抗議したりするつもりはまったくありません。 無料で提供しているサービスだし、「はてな」がどのようなポリシーを提示しようとも、 自由だと思うからです。
もちろんユーザ側も、「はてな」を利用する/しないを選択する自由はあるわけです。 ユーザは、実名・正しい生年月日・性別・住所を「はてな」に示すリスクと、 「はてな」が提供しているサービスとをはかりにかけて判断することになるのでしょう。 うーん、でも実際のところ、そんなことを考えずに住所を入れるひとも多いんでしょうか。 あるいは「はてな」からのお知らせメールを読んでない、というのが大半のユーザかもしれませんね。
ダイアリーはとりあえずいいとして、よいアンテナはどこにあるでしょう。 bloglines.comかなあ。 それともi-know.jpかな? とりあえず、 kdmsnrさんにならって、アンテナのリストは「はてな」から引き上げた。
SEOコンテストで「ゴッゴル」が流行っているようですが、 さきほどGoogleを見て驚きました。
合言葉「ゴッゴル」でポイント進呈
というスポンサーが。しかも複数。 SEOコンテストを逆手にとって…いや、逆手じゃないのかな、よくわからん。
妙にアクセス数が多い、と思ったら梅田望夫さんのblogからリンクされていた。
あったかくして眠ったら、体調はだいぶ上向き。 今日は天気がよくて気分がよい。 みなさん、お祈りありがとうございます。
ばさばさと削り、構成を直す。今日は[po]の章の中の一節をあらあら書く。 この章はあと2節くらいかな。図がちょっと難しいか。 疲れたところで、[ki]の章の朱を反映。
C MAGAZINEの編集者さんから校正の質問と意見が来たので、メールで対応。 編集者さんはいつも細やかな配慮をしてくださり、 夜中遅くまで働いていらっしゃるので、頭が下がる思いがします。 いつもありがとうございます。
SSL経由でアマゾンにアクセスできないというトラブルが起きた。 おかしいなと思っていたら、SSL経由でユニセフにもアクセスできない。 これは私のマシンがおかしいのだろうと思っていろいろと調べる。 Norton Internet Securityの設定を見ていたら、 なぜか「安全なサイトへのアクセスを遮断」という設定になっていた。 設定を変更したら直ったが、そんな設定をした記憶がないので、 ちょっと釈然としない。
もう霜月。まだ不調。
とりあえず、[ra]の章をイメージしつつ、[nu]の章と[lo]の章の朱を反映。 どちらかというと、大きな構成変更ともたついているところの削除が中心。 悩むのは「荒削りでわかりにくいんだけれど、大事なことを言っているような部分」をどう扱うか。 そこを磨いていくべきか、それとも他の部分を生かすためにばっさり削除するか。むー。悩む。 1つの方法は、ばっさり削っておいて、後で読み返したときに物足りなさを感じるかどうか。 経験上、物足りなさを感じることはないんだよね…。 つまり「せっかく書いたんだから」といって残すような根性はよくないということ。
今週は体調をみながら、全体的に固めるようにしようか。 もしかしたら、うまくいけば、クリスマスを待たずに脱稿できるかも。 今月中に脱稿できるとうれしいなあ。…あー、でも、のどいたーい。
即買い。
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