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今日もいろいろありましたが、省略。
みなさん、今年一年間、結城の活動へのご支援をありがとうございました。 新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
「更新情報」は結城のサイト内の更新をチェックする便利なCGIです。 今回、そこに表示されるリンクに更新時刻を混ぜ込むことによって、より便利になりました。 どういうことかというと、多くのブラウザでは「既読」「未読」によってリンクの色を分けています。 このため、更新情報で自分がまだ(更新されてから)読んでいないページがすぐに分かるのです。
DocBookをHTMLに変換するツールってないんだろうか…。 何か勘違いしているのかなあ。
風にのって、 http://sources.redhat.com/docbook-tools/や、 http://www.oasis-open.org/docbook/tools/index.shtmlあたりを見よというメッセージが私に届きました。 誰にともなく感謝。
[GnuPG] GnuPG 1.2 READMEの日本語訳はWebで公開されていますか? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
先日READMEを読みながら半分くらい訳しちゃったんですが、 もしGnuPG 1.2 README邦訳が公開されていないなら(ちょっと探した(=google and fresheye)範囲ではなかったです)、 時間があるときに全部翻訳して公開します。
…というわけで一応ざっくり翻訳できたので公開します。
家中みんな病気。というか、じゅんぐりに風邪orインフルエンザにかかっている。
最近、インターネットで禁止や抑止やコントロールに関する文章を読むと、 レッシグたんの「市場・規範・法・コード」のどれにあてはまるか考える癖がついている。 簡単に解説しておきましょう。
商売人は市場によるコントロールをまず考え、 道徳家は規範によるコントロールをまず考え、 法律家は法によるコントロールをまず考え、 プログラマはコードによるコントロールをまず考える。 …というのは話を単純化しすぎかな。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1814通。 いつもありがとうございます。
[CR](m) せっせと書いている。 この章のレビューアさんへの送付は、明日の予定だったけれど、 ちょっと難しいかもしれない。
[PQ/Book] ゆたかさんからの情報によると、 日経ソフトウェアの今月号で『結城浩のPerlクイズ』が紹介されている模様。 情報感謝します。
『結城浩のPerlクイズ』のキャラ「パールちゃん」は、 橋本礼奈さんにデザインしていただきました。
今年も(ちょっぴりさびしいですけれど)「よかった探し」リースが無事に終了しました。
みなさんのご参加・応援をありがとうございます。
今年は、総計33ページの参加者を得て、過去最大の大きなリースとなりました。 リースのアクセスカウンタは3400以上になりました。(^_^)
今後のリースですが、 各ページは登録なさった方のものですので、 それぞれの方の判断でキープされたり削除されたりする予定です。
「リース」をつないでいるのは、 結城のサイトにあるCGIで、 年末までには、すべて https://www.hyuki.com/ring/ へリダイレクトする予定です。 ですから、リースの各ページを構成していた方のホームページは、 いまのうちにブックマークしておいてください。 来年になると、結城のサイトからは直接たどれなくなります。
みなさま、ご参加ありがとうございました。
クリスマスおめでとうございます。
[REF] 図と文章を書いて、ソースプログラムの動作を確認して、zipでアーカイブして、 編集してくださる担当者さんにメール。 おつかれー。かんしゃー。 ふみふみ、ふみゃー、にゃお、なーご。
今年中に送らなければならない原稿は、おしまい、のはず。
何となくWebLogツールを使ってみようかと思い立つ。 けれど、Movable TypeやDrupalは面倒そうなので、 Greymatterを試してみる。原因は分からないがうまく動かない。おかしい。はまってしまった。 さくっと断念して、シンプルに動きそうなOpen Journalというのを試す。 すぐに動いたし、日本語も通りそうだけれど、機能が低くて何だかつまらない。 【勝手な言い分おれカネゴン】(←おれカネゴンさんのまね)
このくらいなら自分でつくっちゃえと思って、 YukiWikiMiniをベースにして、シンプルなWebLogツールを作りかけたが、 途中で何だか情熱がさめてしまった。 自分のローカルな環境で秀丸+MakeWeb+UpFtpで日記を書いているほうが はるかに楽なんだもん。わいわいやりたければWikiを使えばよいし。 というわけで1つ2つ既存のWebLogツールを試し、 2つ3つ小さなCGIを試作してあとは放置。 またそのうち遊ぶことにしよう。
[RING] よかった探しリースは、今日まで開催。 みなさんご参加ありがとうございます。 よかった探しリースが終わると、 年末気分になってまいります…。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1794通。
[REF] まじめにお仕事。せっせとプログラミング。 今回(次回)のリファクタリングは、 Replace Inheritance with Delegation (委譲による継承の置き換え) です。
こういう継承の使い方はよろしくない、というサンプルを作ろうとしたのだが、 作っているうちに、自然とリファクタリングしてしまって、 なかなかうまいサンプル(つまり、まずいプログラム)ができない。 苦笑。手が勝手にリファクタリング。
そうこうしているうちにプログラムは完成。 あとは図と文章。
今年も連載記事をたくさん書かせていただきました。 雑誌の編集者のみなさまに感謝します。
[CR] 本屋さんで情報処理技術者試験の或る参考書が目にとまったので、 ぱらぱらと暗号関連の部分を読む(最近、私は頭がcryptoなのでした)。
共通鍵暗号(対称暗号, 慣用暗号)で使う鍵と、 公開鍵暗号で使う鍵の両方を「秘密鍵」と表記して、 注意書きを何もつけないのは不親切じゃないかなあ、と感じた。
それから、一方向ハッシュ関数(メッセージダイジェスト関数)の説明文の中に、 「衝突を避けるためにオープンハッシュ法を使う」とあるのは、はっきりいって間違いだと思う。 著者はきっと、データ構造のハッシュと一方向ハッシュ関数を勘違いしているのだろう。
まあ、人のあら捜しより、自分のあら捜しをしたほうが建設的ですね。 > 自分
今日はクリスマスイブですね。
今日・明日と結城のサイトのあちこちをOperaで見るとクリスマスのご挨拶が見えるかもしれません。
クリスマスとはぜんぜん関係ないんですが、 現在結城が書いている『暗号とセキュリティ入門』(仮題)のレビューアの一人から、 「イブというと盗聴者イブを連想する」という一口ネタをいただきました。 Christmas Eavesdropper. (意味不明)
[REF] せっせと仕事。プログラム書き。
[CR] せっせと仕事。図描き。
[RING] 今年の「よかった探しリース」ももうすぐおしまいですね。 現在33ページ。
昨日はクリスマス礼拝でした。「きよし この夜」を歌いながら、 「まぶね」の中の赤ちゃんを想像したら、何だか涙が出てきてしまいました。
そういえば、私が洗礼を受けたのもクリスマス礼拝でした。
23日、24日、25日と、 クリスマスの特別礼拝やイベントをする教会も多いと思います。 ぜひ、あなたのお近くの教会にお出かけください。
東方の博士たちが、イエスさまのところまでたどり着いたように。 夜中まで羊の番をしていた羊飼い——夜中まで仕事しているプログラマのようですね——が、 イエスさまのところまでたどり着いたように。
ぜひあなたも、教会に行って、あるいはまた聖書を開いて、 イエスさまを見出してください。
QuickMLの説明を読んでいた。 手軽さ、攻撃に対する無防備さ(ユーザを信頼する度合いの高さ)は「Wikiに類似している」と思いました。 すでにお互いのメールアドレスを知り合っているような人同士で使うのに向いていますね。 Webで広く呼びかけるような使い方には向いていない(と思う)。 注意点は以下。
QuickMLはWikiのようなメーリングリスト、とも言えるし、、 (プロセスに対する)スレッドのようなメーリングリスト、とも言える。
[CR/Review] No.015送信。 レビューとは直接関係ないけれど、 Javaのサンプルソースコードをレビューアさんに送付。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1706通。 連休のためか、レビューアさんからのメールが多めである。 いつもありがとうございます。 レビューアさんの中には新婚さんが複数人いらっしゃる。 新しいご家庭の上に神さまの祝福がありますように。
今日は、結城が翻訳したO. Henryの 『賢者の贈り物』に関して作品2点に関するメールをいただきました。 1つは、 『賢者の贈り物』(対訳風)です。 のテキストとフリーの翻訳を対訳風に並べて表示し、 単語単位で辞書検索ができるようにしたもの。 もう1つは、 『賢者の贈り物』(絵本風)である(クリスマス限定)。 フリーのテキストと会員からの写真を組み合わせて絵本にしています。 私が訳した『賢者の贈り物』は、 これまでにも、 パーム本文庫でパーム本版を作っていただいたり、 Xpdfのサンプル文書になったり、 『賢者の贈り物』CD-BOOKという商品にも利用されたり(この商品には結城は直接関係していません、念のため)、 『賢者の贈り物』(総ルビ版)として利用していただいたり、 フリーで利用できる翻訳として幸福な歩みをしております。
ぼぼるパパの研究日誌の12/20/2002のあかしは素晴らしいですね。神さまによる経済的な支えもさることながら、 それを通して神さまが中村ファミリーになさっている大きなことも素晴らしいと思います。
今日は、お世話になっている方からお招きを受けて忘年会に行ってきました。 たくさんおしゃべりができて、楽しかったです! 日本のPerl界の大御所、近藤さんともたくさんお話ができました。 感謝します。
忘年会の会場に向かう途中、ふと思いついて、 今日の忘年会がイエスさまに導かれ、 よいものになるようにと短く心のうちで祈りました。 あれっていいですね。 ぜひみなさんも(クリスマス会はもちろんのこと)忘年会・新年会の前に イエスさまにお祈りください。 きっと本当の意味でよいことが起こりますよ。
たとえば、こんな風に祈ります。
天の父なる神さま。あなたを賛美します。 いつも私の歩みを導いてくださってありがとうございます。 今日はこれから忘年会があります。 どうぞその場にあなたがいらしてくださって、 参加する一人一人の上に、祝福を与えてください。 互いに今年一年をねぎらい、親睦を深めることができますように。 有意義で、和やかな楽しいひと時となりますように。 イエスさまのお名前でお祈りします。 アーメン。
[CR/Review] No.014送信。 (h)。
[CR](m) 次の章をまたまたせっせと書いている。
[CR](r) 終わりに近い章で、わたしのささやかな「発見」を図と文章にまとめた。 美しい図が描けて、わたしはとても感動している。 文章はまだざらざらだけれど、これはすぐにすべすべになるだろう。 なんて素晴らしいんでしょう。うん、うん、美しいなあ。 この章まで読み進んだ人には、何かしらの驚きと喜びを伝えることができるんじゃないだろうか。 わくわくっ!
うん、今回のこの本も、だいぶ「つかんで」きました。 きっと神さまが完成させてくださいます。感謝です。
(以下、ライティング・ハイになっているので、適当に読み流してください)
いま結城が書いている『暗号とセキュリティ入門』(仮題)は、 とても読みやすくわかりやすい本になります。 暗号技術の正統的な本でありながら、難しくない本。 難しいところもあるけれど、面白くて、どんどん読み進みたくなる本になります。 専門用語だけが何となく頭に残る、という本ではなく、 暗号技術の重要ポイントがきちんと「わかった」と言えるようになる本。 今後、暗号のニュースなどを読んでいく際にも、 自分の頭で「これはこういうことなんだな」とつかんでいける本。 もっと暗号やセキュリティのことを学びたくなる本。 以前買って積読になっていた他の暗号本を読み返したくなる本。 ……そんな本になるような気がいたします。
祈りつつ、張り切って執筆しますので、出版をどうぞお楽しみに!
[CR] 文章を書くのに疲れたので、プログラムを作って遊ぶことにする。 とりあえず、javax.cryptoやjava.securityのjavadocを読んでお勉強。 ふむふむ。 小さなサンプルプログラムを書いて遊ぶ。 なるほど。おお、動いた。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1622通。 レビューアのみなさん、いつもありがとうございます。
家内の体調は少しずつよくなっています。 祈ってくださるみなさんに感謝し、いやしてくださる神さまに感謝します。
たとえば。私はあなたの声を知らない。 あなたの歌声を知らず、あなたのささやきをしらない。 あなたの顔を見たこともなく、あなたのくしゃみを聞いたこともない。
けれども、わたしは、あなたのメールの言葉遣いを知っている。 あなたの句読点の打ち方をしっている。 あなたの半角と全角の使い分けをしっている。 あなたが段落を区切るときのキャラクタの使い方を知っており、 あなたがあの人を呼ぶときのイニシャルの使い方を知っている。
あなたがわたしに伝えてくれるのは、あなたがわたしに届けてくれるのは、 ただのビット列に過ぎない。 けれど。けれども。 そのビット列の何を1として、何を0とするかは、あなたの意志の下にある。 そしてあなたのその意志は、ADSLを通じ、プロバイダを通じ、メールソフトを通じて、 わたしに届く。単なる01に過ぎない、とおろかな人は決め付けるだろう。 けれど、その01を決めているのは、送信者であるあなただ。
その01は、はるかなるネットワークを越えて、きちんとわたしに届いている。 わたしのコンピュータ経由で、わたしの心まで、きちんと届いている。
わたしはあなたの声を知らない。 けれど、わたしはあなたの言葉を知っている。 あなたが今日こころに浮かべた言葉を知っている。 わたしは、あなたのために祈ろう。 心をこめて、神さまに祈ろう。
あなたのうえに、神さまの祝福が豊かに注がれるようにと。
あなたのうえに、確かな信仰が与えられるようにと。
お化粧をしている奥さんの後ろをうろうろしながら私が話しかける。 奥さんはいつも文句をいわずに私の長いおしゃべりを聞いてくれる。
私「昨日ね、また一章レビューアさんに送ることができたんだ。ああ、楽しい!」 妻「よかったわね(ぱたぱた)」 私「でも、どんどん長くなっていくんだよなあ。どうしたらいいだろう」 妻「説明がくどいんじゃないの」 私「するどいところを突くなあ。 でもね、読み返してみて、 このままだとこう誤解されるかもしれないと思って加筆しちゃうんだよねえ」 妻「いつものことじゃない。そろそろ悟ったら」 私「うーむ。逃げ水のようにどんどん長くなっていく。 いっそのこと、思いっきり長い本にしてみようか」 妻「短くしよう、短くしようとしているくらいで丁度いいんじゃないかしら」 私「やっぱりそうかなあ」
[CR](h) 今日から新しい章だ。 (p)はずいぶん重たい章だったけれど、(h)は軽やかな章。 もう楽しくて楽しくて。 デザパタ本のときのように、足を踏み鳴らして、心踊らせつつ書いている。 とりあえず、半分ほど書いた。るんるんっ♪
ていねいに、ていねいに書いている。 簡単そうに見えること、自明そうに見えることでもはしょらないで、 ていねいにわかりやすく解説するためには、 まず自分自身がその内容を詳しく知らなければならない。 単に詳しく知るだけではなく、本質的な部分をばっちりおさえていなければならない。 手の中に置かれた宝石を指差すように、明らかになっていなければならない。
で、深く深く理解できると、面白いことに、何かを発見する。いつも。 本を書く前には気がつかなかったこと。目の前にずっと置かれていたはずなのに 知らなかったこと。あっと驚くようなこと。大広間に飾られていた花束と、 グラスの上に浮いている一片の花びらが、実は同じ花であったと気がつくような驚きと喜び。
もちろんそれは、本当の意味での発見ではない(かもしれない)。 そんなことは、何十年もその分野を研究している人には「あったりまえ」のことかもしれない。 けれど、大事なことは、自分自身がそのことを理解し、はっと発見することなのだ。 そして、それを——発見の驚きと喜びを——きちんと他の人に伝えることだ。
私自身には大きな発見はできない。 しかし、発見の驚きと喜びを一人でも多くの人に伝えることができ、 感動を伝えることができたなら、その伝えた誰かがその分野の探求をはじめ、 まったく新しい、大きな発見をなしとげてくれるかもしれないではないか。 わたしは、それはとても意義のあることだと思っている。
自分にできることは少ししかない。 けれどその少しのことをていねいに、誠実になしとげようとすることは素晴らしい。 そして、全部を自分がなそうとするのではなく、 他の人につなげていこうと考えることはもっと素晴らしい。
学ぶことは楽しい。学び、学んで、驚きと喜びを伴う発見につながるならそれはとても楽しい。 けれど、もっと楽しいのは、その発見を自分だけにとどめず、他の人に伝えていくことだ。
他の人に伝える。他の人に伝えていく。 自分が知っている人だけではなく、自分が知らない人々へも。
ぼぼるパパの研究日誌の[12/16/2002 深夜のダイアログ]は面白かった。 実はこの対話の相手のJさんは、 結城がよく知っている方でもあります。
[CR/Review] No.012送信。 (p)前半。
[CR/Review] No.013送信。 (p)後半。
いろいろ感謝。
家内が風邪で体調を崩しているので祈る。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1577通。
レビューアのみなさんは、 よく私におつきあいしてくださいますねえ。 感謝しています。お祈りしてくださる方々もいらして、 とてもはげまされます。
休み休み仕事をしていたら、 あまりおてては痛くなくなりました。感謝します。
感謝する、って大事だなあ。
感謝しなさい。愛しなさい。ゆるしない。 …聖書を読んでいると、そういうメッセージがたくさん出てくる。 それに従順に従うことが大事なのかもしれないなあ。 そういう命令にさっと従うということは、 神さまにしたがっているということだよなあ。 それは幸せに直結しているように思う。 幸せを探している人はきっとたくさんいると思うけれど、 その答えは聖書に(つまり神さまの言葉に)ばっちりあるんだよなあ。 たとえ「感謝できない」という状況でも、神さまの言葉のゆえに感謝してみようとする態度。 「愛せない」と思っても、愛そうとしてみる態度。 「ゆるせない」と思っても、神さまの前で「ゆるします」と宣言する態度。 そういう習慣づけって大事だなあ。 最初はたいへんだし、常に・完全にやり続けるのは難しいけれど、 何度も何度も正しい道に立ち返って、 感謝し、愛し、ゆるす練習をしていると、 少しずつやりやすくなる。これは確かなことです。 しょっちゅう失敗するし、毎日のように落とし穴に落ちるんだけれど、 それでも。あきらめず。たんねんに。 感謝し、愛し、ゆるす。 自分を苦しめた人のためにこそ祈り、 自分に悪いことをした人のために祝福を願う。 それは、人間的には一見逆説的な行いなんだけれど、 そのとき、問題は自分の手からすっと離れていく。 うらんでいると、問題はいつまでも自分の手にへばりついたまま。 相手のために祈ると、問題は自分の手から離れ、 自分は呪縛から解放される。これが「自由」だ。 神を信じ、人を愛する。 神さまの命令に従い、人をゆるす。 そうすると、気持ちはすごく楽になる。 ゆるさないと、いろんな重たいものがどんどん自分の上に積み重なっていく。 積み重なって、積み重なって、そのうちに動けなくなる。 これが「不自由」だ。 一見、この「不自由」はうらんでいる相手から来ているように見える。 でも、それだけじゃない。 自由になる選択の余地は常にあるのだ。 相手をゆるすこと。愛する、まではいかなくても、ともかく「ゆるします」とかみさまに宣言する。 まずはこの一歩がとても大事だと思う。 いつだったか、夕方、家内が何かのことで私に怒ったことがある。 たしか私に悪いことがあったときだ。家内の怒りは夜まで続いていた。 でも、夜になって家内は私に「怒りすぎてごめんなさい」と謝った。 眠るまでに怒りを持ち込んではいけないというのは神さまの命令だから (ごめん、聖書の正確な箇所は覚えていないんですが)、 家内はそれに従って、私にわざわざ謝ったのだ。私が悪かったのに。 こういう家内の態度はすばらしいと思う。私はこういう女性をとても素敵だなあと思う。 歳をとってくると、だんだん頭も硬くなり、心も硬くなりがちだ。 だから、できるだけ若いうちに——というのはつまり「いま」ということだ。 これからの自分の人生を考えると「いま」が一番若いときだから——若いうちに、 神さまに従う練習をしなければならないと思う。 神さまを信じ、人を愛する。 感謝し、愛し、ゆるす。 人生山あり谷あり。忙しい毎日だし、いろんな出来事があって、泣いたり笑ったりする。 でも、大切なことは、そんなに多くない。 神さまを信じ、人を愛する。 聖書を読み、祈り、感謝し、愛し、ゆるす。 感謝されることではなく、感謝することを喜ぶ。 愛されるだけではなく、愛することを求める。 ゆるされることを願うだけではなく、喜んでゆるす。 そういうことの積み重ねが、本当に豊かな人生なのではないか、と思う。 でも。 私ひとりでは、そんなことはできない。 人間なら誰も、ひとりでそんなことはできない。 けれど。イエスさまがいらっしゃる。
感謝。
この日記を「いま」読んでいるあなたの上に、豊かな祝福がありますように。 天の窓が大きく開かれ、神さまからの愛が、あなたの上に注がれますように。 経済的な悩みを持っている人には、必要なものがすべて与えられますように。 孤独に苦しむ人には、神さまからの慰めがありますように。 病にある人には、神さまからのいやしがありますように。 進路に悩む人には、聖霊様の正しい導きがありますように。 聖霊様は私たちの人生を導いてくださる方です。 よき判断を、最善の時にすることができますように。 すべての問題、どんな問題も、栄光の主が完全な解決を与えてくださいますから感謝します。 一見、困難に見える問題であっても、そのことを通して素晴らしいことがなされることを 期待し、感謝します。 そうです。先取りして感謝します。 祈り求めることはすべてすでにかなえられたと信じます。 幸福な人生の鍵である「聖書」を、一人でも多くの人が手に取り、 開いて味わい、自分のものとすることができますように。 たとえ教会になかなかいけない状況にある人でも、 聖書を通して、御言葉に触れ、イエスさまのことをよく知り、 あなたからの「愛」のメッセージを受け取ることができますように。 主よ。いまクリスマスシーズンで、世は浮き立っていますけれど、 一人静かに祈るときを私たちにおあたえください。 あなたがこの世にこられたとき、 きたないきたない家畜小屋でお生まれになったことをいま思います。 主よ。私たちの心もまた家畜小屋のようにごたごたとして、 汚れにまみれています。主よ。どうか私たちのところに来てください。 主よ。いま心を開いて、心を大きく開いて、あなたをお迎えいたします。 イエスさま、どうか、どうか、私たちの一人びとりに、 正しい道をお示しください。御言葉の炎をもって私たちをきよめてください。 私たちが他の人と話すとき、メールを書くとき、どんな形であれ 人と対話するとき、私たちから出る言葉があなたに喜ばれるものでありますように。 私たちの口に、主がきよい言葉を与えてください。 主よ、感謝します。感謝します。 私たちが、遠くの人だけではなく、すぐそばにいる人にも愛を示し、感謝を表すことができますように。 自分たちによいことをする相手だけではなく、 わるいことをする相手のためにも祈ることができますように。 主よ、感謝します。
この祈りを、私たちを愛してやまない救い主、イエス・キリストさまのお名前で祈ります。 アーメン。ハレルヤ!
[CR](p) たんねんに文章を書いているのだが、 どんどん長くなっていくのは何とかならないものだろうか。 まだ本全体の半分も書いていないんだよなあ…。 現在、おおよそ18分の7くらいだろうか。 がんばって書いていると、またおててが痛くなってきちゃった。ふえーん。 これはきっとお休みしなさい、ということなのだろう。 痛くなるのは左手の小指ですね。これはCTRLキーの打ちすぎ。
町のどこにいてもクリスマスソングが聞こえる。 そういえば、 デザパタ本のときも、 スレッド本のときも、クリスマスをまたがって書いていたなあ。
以下、思いつくまま書き、編集なしの自動書記。
文章を書いたり、本を書いたりするのって、近道はないなあ。 何だかとっても泥臭い。ハレとケという分類からいえばケですね。 毎日の生活の中で書かなければ書き上げられない。 環境がととのって、準備がととのって、気分も盛り上がって… のように条件がととのうのを待っていたら、いつまでたってもできない。 とにかく、現状の装備でかまわないから、武器を取り、 自分は戦うのだ! (いや、戦わなくてもいいんですが、まあそういうことです) と決心するのがとても大事だ。 信仰と似ている。結婚と似ている。まず意志が大事。 環境が整えば「自然と」何かができあがるわけはない。 もしそのようにしてできあがるものなら、それは私がやらなくてもできあがるものだ。 何かを作るというのは、不自然さをともなう。 不自然さというのとも違うな。流れに逆らう部分がある。 なんとなあくなんとなあく流れにまかせて進むのではなく(そういう時もありますが)、 適切に判断して、ぐっ、と舵を取る瞬間がある。 いや、そうじゃなくて、こうしなければだめだ、と思う瞬間がある。 判断して、決断して、意思決定して、ぐっと力をこめる瞬間がある。 毎日の中にありながら毎日に流されない工夫が必要だ。 ぐいっと、がりっと、ひっかかる何かが必要だ。 常識的な利害得失の思考を越えるときが必要だ。 せっかくここまでやったんだから、といわず、もう一度最初からやってみよう、とかね。 これまでいつもこうやってきたから今度も、と言わず、本当によい方法は何だろうと思い返す、とかね。 そこには意志があり、自由がある。 その中にあっても、 野放図にならないようにするために、 きちんと神さまの権威を意識することは大事だ。 そこが基準だからだ。 「罪」というのは「的はずれ」という意味だっただろうか。 自分の人生を的はずれにしないためには、神さまの権威を認め、 自由意志による服従が必要だ。自分の自由意志によって聖書に従うことが必要だ。 その一方で、自分をこの世の歯車におとしめないために、 きちんと判断しなければならない。 毎日起き、仕事をし、他の人とのインタラクションがあり、眠る。 その中にあって、自分がこの世にいま生きている意味をきちんと知る必要がある。 祈りが必要だ。祈りもとめることが必要だ。 自分が求めているものを、神さまに求めることが必要だ。しかも熱心に。 神さまの存在を喜び、神さまに感謝し、さらに神さまに自分を開いていくことが必要だ。 自分の中からよいものが出てくるという意味ではない。 自分を開き、神様に入ってきていただく。神様にきよめていただく。 神さまに導いていただくことが必要だ。 そして。それも機械的にするのではない。 神さまは私たちを生きた存在、かけがえのない存在として愛していてくださる。 だから十把ひとからげではなく、歯車のようにではなく、データを処理するようにではなく、 神さまは、私たち一人一人を取り扱ってくださる。 そのことを認め、感謝しよう。 自分が土の器にすぎないことを認めよう。 しかし、その器は神さまが御みずから作られたものだ。主はよき陶工、私たちは土の器。 けれど土の器であっても、そこに神さまがすばらしい食べ物を盛ってくださる。 かぐわしいぶどう酒を注いでくださる。そのことを期待し、感謝しよう。 毎日毎日は流れていく。昨日と違わぬ今日、今日と違わぬ明日、と考えがちだ。 しかし、朝ごとに世界は新しくなる。 神さまが世界を新しくなさる。毎日毎日はかけがえのない特別な日。 神さまが素晴らしいことをなしてくださることを大いに期待しよう。 まるで自分がこの世にはじめて誕生したような目をもって、 まるで自分が明日はこの世に存在しないかのような目をもって、 この世を、今日という日を見てみよう。 この世をおつくりになり、 いま、私たちをここに住まわせてくださる神さまに栄光あれ! 信じるものすべてに永遠の命を与え、 わくわくするような冒険の生涯を与えてくださるイエスさまに栄光あれ!
[RING] 最後の一週間を迎えた「よかった探しリース」。 現在の参加ページは32ページです。 みなさん感謝します。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1546通。
たくさんのレビューアさんからのメールを読んでいると、 その多様さに驚くとともに、多くの視点がいかにデバッグ…じゃなくて校正に役立つかがよくわかる。 私もいちおーレビューアさんに送る前には自分で読み直し、 資料を調べなおしているのだが、間違いというのはあるものですね。 普段自分が話したり書いたりしている内容も、 ずいぶん間違いを含んでいるものなのだろうな、と思う次第。
複数のレビューアさんが同じ指摘をする、という話は前にも書いたことがあります。 これは私にとっては決して無駄ではなく、これだけ多くのレビューアさんが 指摘したということは、重要なポイント(あるいは勘違いしやすいポイント)なのだろうと 実際に世に出したときの傾向を推測することが可能になる。
複数のレビューアさんで意見が分かれるという場合もよくある。 しかも、正反対の意見になることがある。Aの説明とBの説明を書いたとして、 ある一群のレビューアさんはAの説明がわかりやすいが、Bの説明はいまいち、とメールする。 しかし別の一群のレビューアさんは、まったく逆にBの説明は素晴らしいが、Aはちょっとね、と報告してくれる。 こういうときは、なかなか判断が難しい。
文章にちょくせつ関係のないレビューアさんの「ちょっとした一言」がものすごく大きな意味を持つこともある。 それは、たとえ話のヒントになったり、別の章の解説文の書き方に影響したり、 あるいはまた、まるごと一章を加筆するきっかけになったりする。 おそらく、レビューアさんが想像している以上に、レビューアさんのメールは私の大きな助けとなっている。
レビュー形式で執筆を進めるスタイル、とても自分の性格にあっているみたい。 すごく楽しくて、生き生きするもの。 私は、自分の書いた文章の間違いを指摘されるのが大好きなのです。 なぜかというと、文章の間違いを指摘してくれるというのは、 私の文章をていねいに読んでくれている、ということですよね。 それがとてもうれしいのです。 あ、もちろん「面白かった」「わかりやすかった」 という一言も宝物をもらったようにうれしいです *^_^* 疲れがいっぺんになくなる気がしますね。
[CR](p) 月曜日からどっぷり仕事三昧。 けっこうみっちりと文章を書いている。 何だかとってもいい感じ。すごく面白い。 なるほど!なるほど!といいながら文章を手直ししている。 あとニ・三日で(p)もレビューアに送れるだろうか。どうだろうか。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1518通。
クリスチャンになりたてのころ、 私は「どうして神さまをほめたたえるのだろう」と思っていた。
なぜそう思ったかというと、 もし神さまをほめることが必要だとするなら、神さまは単なる見栄っ張り。 人々の賞賛がなければやっていけない生意気で傲慢な存在ではないか、と思ったからだ。 今にして思えば、私自身が見栄っ張りで生意気で傲慢な存在だから、そういうポイントが気になったのだろうなとわかるが、 それはまた別の話。
で、今日、教会で礼拝をしていて、ふとたとえ話を思いついた。
ある晩、素晴らしいコンサートがあったとしよう。 オーケストラが難曲を奇跡的な演奏でこなした。 聴衆はその演奏に深く感動する。 いままで何度も何度もその曲を聴いていたはずなのに、 今晩の演奏を聴いて「ああ、この曲はこういう曲だったのか」と驚きつつ喜ぶ。 言葉で言い表せないほどの喜びがあり、 日々の疲れが吹き飛び、これからの自分の人生がすべて意味を変えるようなそんな素晴らしい演奏だ。 聴衆一人一人の感動の深さや質は違うけれど、 会場に集まったみんなが、その演奏を中心として、1つの何かをシェアしているという感覚を得る。
演奏が終わり、聴衆はみな痛くなるほど手を叩き、ブラボーと叫ぶ。 足を踏み鳴らし、喜びの声を上げる。 演奏者もまた偉大な演奏をなしとげた喜びにあふれ、指揮者を見上げる。 指揮者は聴衆の歓喜の声に応える。
…そんな情景が目に浮かんだ。
もしも、聴衆の一人が拍手をしなかったら、演奏の素晴らしさは損なわれるだろうか。 そんなことはない。聴衆の拍手は聴衆の応答なのであって、 拍手の有無が演奏の素晴らしさを左右するわけではない。 演奏は成し遂げられたものだ。 拍手をすることで、聴衆はその演奏に参与し、花を添える。 その場にいることを喜び、すばらしい感動をシェアしたことを表現する。 そしてさらなる喜びを得る。 拍手をしないことで、演奏の素晴らしさを損なうことはできない。 それは単に自分が聞く耳を持っていなかったか、共鳴する何かが欠けていただけの話だ。
神さまを賛美する、というのは、 この奇跡的な演奏に拍手を送り、ブラボーと叫んでいるのに似ている。
天地を作り、大宇宙を支配しておられる偉大な神さまが、 小さなゴミのような人間——私たち——を愛してくださり、 わざわざ、大切なひとり子をこの地上に使わされた。 汚い飼い葉おけの中の小さな赤ちゃんとして。ベイビー・イエスだ。 そして、人間として成長した後、人類が例外なく持っている「自己中心」という罪の身代わりとなって、 十字架にかかり、死んでくださった。 しかし死んで終わるのではなく、三日の後によみがえって天にのぼられた。 イエスさまを信じる私たちの住まいを天国に整えてくださるために。
そして、イエスさまを信じるとき、 いままで毎日見ていたはずの「生活」の意味が変わる。 私たちが住んでいる世界は、悲惨に満ちている。 しかし、これがすべてなのではない。 私たちはこの世界を歩く旅人であり、 いつか天国に帰るまでのわずかの間、この世に居留している民なのだ。 神を信じ、人を赦すことを学ぶ。神を愛し、人を愛することを学ぶ民なのだ。 聖書を通して、私たちはそのような事実を学ぶ。
孤独だと思っていた人生が、実は孤独ではなく、 イエスさまがいつもそばにおられることを知る。
さびしい人生だと思っていたのに、 神さまからの無条件の愛があふれんばかりに備えられていることに気がつく。
自分はもうだめだと思っていたのに、 神さまはイエスさまの十字架のゆえにゆるしてくださることを悟る。
私たちは、神さまのそのようなすばらしい奇跡の御わざのゆえに——これが奇跡でなくて何が奇跡だろう—— 神さまへの応答として拍手し、賛美する。神さまをほめたたえる。 神さま、ありがとうと叫ぶ。歌い、喜び、踊りだす。
今日、礼拝メッセージを聞きながら、 私は心に浮かんだこんなたとえ話を楽しんでいたのです。
もうすぐクリスマスですね。 みなさまの上に、神さまの愛が豊かに降り注ぎますように。 みんなで神さまをほめたたえ、賛美しましょうねえ。
本当の神さまを信じる最初の一歩は、とても個人的で小さな一歩です。
しかし、その一歩には、はかり知れないほど大きな意味があります。 なぜなら、その一歩には「あなたの命」がかかっているからです。 私には——いま半分泣きながら日記を書いている結城には——あなたの命を救う力はありません。 けれど、神さまにはあります。 私ができることは、あなたがほんとうの救いに至り、命を得るための道を指し示すことだけです。 そこから先は、あなたが自分の意志で選ばなければなりません。
誰もあなたに信仰を強制することはできません。 あなたがイエスさまを信じることを強制することは誰にもできません。 もちろん、あなたには自由があります。 イエスさまを信じるかどうかの選択を「後回しにする」という自由もあります。
しかし、私にできることは——主にあって愛する兄弟姉妹よ—— どうか、いまイエスさまを信じてほしい、と願うことだけです。 自分の罪(自己中心)を悔い改めて、 イエスさまに心を開き、イエスさまの救いを受け取ってください、 と心から祈り、願うことだけです。 世界中の富を得たとしても、自分の命を失っては何の得があるでしょう。
あなたには一生のうちに何回かイエスさまを信じるチャンスがあるはずです。 「自分はこのままじゃ何かマズい、マズいぞ。悔い改めるのはいましかないんじゃないか」 と思う瞬間が何回か訪れます。 そのとき同時に「いや、まあ、いつか落ち着いてから考えることにしよう」とか 「何とか自分の力でやっていけるさ」とか「こういうのには関わらんほうがよさそうだ」とかいう声も 心をかすめるかもしれない。
その瞬間、あなたは何を選ぶか。
一生のうちに、イエスさまを信じるチャンスがあなたに何回来るのか、私は知りません。 何千回も来るのかもしれない。もしかしたら、今日が最後のチャンスかもしれない。 私にはわかりません。それは神さまからのプロポーズに気づく瞬間です。 神さまはいつもプロポーズをしているのですが、 それに気がつくのが一生に何回あるか、という問題です。
選択は重要です。神さまからのプロポーズに「はい」と答えれば、 それだけであなたはイエスさまの花嫁です。 あなたの一瞬の選択があなたの一生を決めるのです。 しかし、プロポーズには「いいえ」と答える選択の自由もあります。 その選択には、あなた自身の命がかかっています。
具体的にはどうすれば「はい」と答えることになるのか。 それは以下のページに書かれています。 順番に読んでいくと、お祈りがありますから、そのお祈りをあなたが自分の口で言い表してください。 あなたがイエスさまの救いにあずかることを祈っています。
今日は、みんなで「横浜こども科学館」に行きました。 プラネタリウムを見ました。 こどもたちはプラネタリウム初体験。 プラネタリウム『国際宇宙ステーション』という番組は45分で、 3歳の次男には難しいかな、と思ったのですが、 騒ぐこともなく楽しんでいたようでした。 最後にちょっとスリリングなシーンがありました。 終わってから、 次男は私の手をきゅっと握って「あぶなかったねえ…」と一言。
3F宇宙トレーニング室では、 月面でジャンプしたらどんな感じかを試せる機械に乗ってみました。 小学生以上なので、長男の後に私もチャレンジ。 月の重力は地球の6分の1というのは知っていましたが、 そこでジャンプするというのがどういう感じなのかがちょっぴりわかりました。 6倍ジャンプというのはすごいことです。
2F宇宙研究室では、 うつくしいブラズマボールやプラズマチューブに触ってみました。 指で光を操っているみたい。 次男は顕微鏡を見せて、見せて!と騒ぎました。
B2宇宙工房のパズルランドでは知恵の輪やパズルをして遊びました。 スタッフの人がいろいろヘルプをしてくれる(じゃあ、次はこのパズルをどうぞ!)。 ここにあったスピンアウトというパズルが面白くて、 夢中になって解いていました。 すっかり私は子供になってしまって、 パズルが解けたとき「ねえ、できたよ!」と大喜び。 スタッフの人がまわりにいなかったので、 家内がぱちぱち、と拍手してくれました。 ええと、たぶん、こどもたちも遊んでいたはずです(^_^;
B2のボールマシンというアートも楽しみました。 ボールがフレームの中をくるくる回るんですけれど、 ところどころでボールが集まったり、音を鳴らしたり、 一人ずつジャンプしたり、何だかとっても人間くさい動きをします。
「横浜こども科学館」は、 こどもたちが(大人も)科学でたっぷり遊べる場所でした。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1490通。
[CR/Review] No.010送信。 (b)前半。
[CR/Review] No.011送信。 (b)後半。
レビューアのみなさま、いつもありがとうございます。
おお、今日は13日の金曜日。 といっても別に縁起をかついでいるわけではない。 単に、ウイルスの発生を気にしているのでした。 ノートン君、がんばって守ってね。
そういえば、我が家では、大安も仏滅も気にしないなあ。 結婚式のときも、引越しのときも、いわゆる暦のたぐいは気にしない。 星占いも運勢も気にしない。 なぜなら、必要な道は神さまがいつも整えてくださるから。
[CR](p) レビューアに(b)の章を送ったので、 今日からは(p)の章をせっせと執筆。 …のはずなのだが、 クイズを1つと図を1つ描くだけで2時間もかかっている。 図を描くって、なんて(以下略)。
[PRAY] さまざまな方のための祈り。
[RING] よかった探しリース、参加ページは現在28ページです。 みなさんのご参加を感謝します。 また、 リースをめぐってくださる方にも感謝します。
あなたも今年一年の「よかった探し」をどうぞ。
[CR](b) せっせと書いています。 夜よりも、朝のほうが頭がよくまわりますね。
全体を均等に書こうとすると、欠点はないけれど、 読み物としては何だかつまらなくなりますね。 そつなくこなしているけれど、後には何も残らない。 けっこうデコボコがあって、 ゆがみがあるほうが味わい深い文章になるような気がします。
まるで人間みたい。
[PI] 朝方、原稿送付。感謝。
[CR](b) 図をせっせと描いている。 図一枚を描くのに二時間もかかっている。 図を描くのって難しいなあ。 …私は、いつも同じことを言っている。
[SHOP] ↓この本の表紙、すてきですね。
[PRAY] さまざまな方のための祈り。
[PI] C MAGAZINEの連載記事をせっせと書いている。 プログラムはできた。あとは図と文章だ。 今回(次回)はGeneration Gapパターン。
[REF] C MAGAZINEではパターンの連載をしていて、 JAVA Developerではリファクタリングの連載をしています。 そして、パターンとリファクタリングの間には確かに深い関係があるなあ、と思います (『リファクタリング』の中にはパターンとリファクタリングの関連性が書かれています)。
たとえば「パターンを適用・導入する」というリファクタリングがいくつかあります。 「Template Methodパターンを適用する」のようなリファクタリングですね。 「State/Strategyパターンを適用する」なんていうのもありますね。 これらは、パターンを適用することで、 プログラムの機能を変えることなくソースコードの質を改善しています。 パターンが、リファクタリングに目標地点を与えるわけです。
ちょっと高い視点から見てみましょう。 リファクタリングという活動そのものは、 広い意味でのパターンといえるかもしれません。
実はこれらの内容は、JAVA Developer連載開始時から気にかかっていて、 1つの小さな試みをしています。 それは、JAVA Developer連載で記述している「リファクタリング・カタログ」を、 よりパターンっぽく書こうというものです。 まあ、半分自己満足のようなものですけれど。
ところで…こういう話を、私は原稿に書かなければならないのではあるまいか。仕事、仕事。
読者からの質問
結城さんはどのくらいの間を置いて、 日記ダイジェストに含める日記を選んでいらっしゃいますか?
結城の回答
特に決まっていません。 だいたい、疲れているときや、仕事の忙しさから逃避したいときに、 日記ダイジェストの更新をしていると思います。 ご質問ありがとうございます。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1350通。 みなさん、いつもありがとうございます。
神さまに対してはもちろんだけれど、 日々の生活を支えてくれる家内に対して、 私はもっともっと感謝しなければならないなあ。
[DP/2] 以下、宣伝です。
もうすぐ年末年始。 休み返上で忙しい方もいらっしゃるでしょうが、 お休みの方も多いと思います。
このお休みには、じっくりとマルチスレッドのお勉強などいかがでしょう。
『Java言語で学ぶデザインパターン入門 マルチスレッド編』は Javaのマルチスレッドプログラミングの初歩から応用までを、 12個のパターンとシンプルなプログラム例を通じて学びます。 分かりやすい解説と、 頭を活性化させるヒントがいっぱいの楽しい本です。
長男「ねえ、何か問題出して」 私「じゃあ、2つの円の関係を考えよう。半径は違っているかもしれないし、同じかもしれない。 この2つの円の交点…交わっている点の個数にはどんな場合があるだろうか」 長男「重なっているの?」 私「重なっているかもしれないし、そうでないかもしれない」 長男「うん。じゃあまず0個の場合があるよねえ」 私「そうだね。どういう場合?」 長男「重なっていないとき」 私「うん」 長男「それから2個。こんな風に重なっているとき」 私「1個のときはあるかな」 長男「ええと。うん。交わってないけれど。 丸いのと丸いのがこんな風にくっついているの」 私「そうだ。そのときは交点とはいわず、接点という。接点」 長男「接点」 私「そう、接点。接点の「接」というのはタッチしている、という意味だ」 長男「ふんふん。円と円とがタッチしているんだね」 私「その通り。ところで、円と円のタッチの仕方には二通りある」 長男「へ?」 私「こういう風に外からタッチするのと、こういう風に中からタッチするの」 長男「中からタッチ?ああ、なるほど」 私「外からタッチするのを外接といい、中からタッチするのを内接という。 外接の外は「そと」という意味で、内接の内は「うち」という意味だ」 長男「三点でタッチすることはないの?」 私「ない。二つの円が三点でタッチしている場合、 実はその二つの円はイッチしている」 長男「あはは」 * * * 長男「ねえ、平行ってどういうこと?」 私「平行というときには、何と何が平行、と言わないとはっきりしない。 たとえばニ直線が平行、とかね」 長男「にちょくせん?」 私「二本の直線。二直線」 長男「二直線」 私「平面の上にある二直線が交わらないとき、 だから線路の二本のレールみたいになっているとき、二直線は平行だね」 長男「ふんふん。交わったらたいへんだね。がっちゃん、ばらばら!」 私「そう。平面の上にある二直線が平行でないと、必ず交わる。 平行でないというのは…」 長男「こんな感じ?(といって両腕をハの字に広げる)」 私「そう。直線は無限に伸びているから、いつか交わる」 長男「でも、こうだったら?(といって両腕を逆のハの字にする)」 私「それでも交わる。直線は両方向に無限に伸びているんだ」 長男「なるほど」 私「じゃあ、ここで問題。1つの平面上にない——つまり空間中にある—— 二直線では、平行ではなくしかも交わらないということもある。どういうとき?」 長男「ええ?…わかんない」 私「こういう感じ。(といって両腕を離して交差させる)」 長男「なるほどお!」 私「こういう二直線は世の中にたくさんある。交差している電線とか」 長男「あ、歩道橋と道路も!」 私「そうだね。立体交差だ。こういう二直線は「ねじれの位置にある」という」 長男「ねじれの位置」 * * * 私「次はニ平面の平行を考えよう。ニ平面の平行というのは?」 長男「紙が重なっているようなの」 私「ふんふん。そうだね。紙が離れているならね。 ニつの空間が平行、というのもありそうだけど、やめとこうか。 四次元で考えないと難しそうだから」
[PI] せっせと書いている。プログラムは8割方できた。がんばって書こう。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1329通。 今日は、レビューアさんから、とんでもない間違いを見つけてもらいました。 感謝します。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1253通。
[CR](b)の図を描きながら、じっくり考えつつ文章を書き、 参考書でチェックする。そうしていると、下調べしていたときには 気がつかなかった「物語」を発見してすごく感動することがある。 そういうとき「勉強するのは楽しい!」と感じる。
[RING] 「よかった探しリース」の参加者は土日を越して 現在24ページになりました。 みなさんおててをつなぎましょう。
リースの楽しみは、Webページを公開するだけではありません。 気分にあわせてリースを巡ってみたり、 またそれぞれの「よかった探し」のページから、 作成者のホームページを訪れてみたり… いつもと違う何かを発見するかも。
[REF]校正。
もし、あなたが迷子の羊のように感じられても、 恐れる必要はありません。 イエスさまはよい羊飼い。 必ずイエスさまがあなたを探してくださいます。 イエスさまがあなたを見つけ出してくださいます。
必ず。
[CR/Review] No.008送信。 (s)前半。
[CR/Review] No.009送信。 (s)後半。
おやすみん♪ ばたんきゅー。
[CR] 書いています。
Rijndaelの本に誤りを発見。 errataはどこだろう。
今日は打ち合わせの一日でした。 あまりタイプをしていないので、手は痛くありません。感謝です。 さまざまな方から励ましのメールをいただきました。 ありがとうございます。お返事は約束できませんけれど、 メールをいただくのは、いつでもどんなときでもうれしいです。 昨日の日記にも後日談を加筆しました。感謝です。
参考書を調べていて、昨日書いた分が全部無駄になるか、 というびっくりする文章を見つけてしまったのですが、 気を取り直してご飯を食べながら調べなおすと、 ぜんぜんそんなことはありませんでした。 ふう、よかったよかった。
元気がなさそうな様子をしている私に、 家内は手をあてて祈ってくれる。 涙が出るくらいうれしい。 私のために神さまに祈る妻を持つ喜び。
いつものようにキーの打ちすぎで手が痛くなってきたので、 ゆっくりタイプすることにする。
[CR] 図を描いている。図を描いている。じいっと図を見る。 何だかおかしい。説明文と一致しない。図と文とどちらが間違っているのだろうか。 じっくり考える。どうも、私の理解がおかしかったらしい。図と文の両方が間違っていた。 やれやれ。
家内に「ねえ、本を書くって孤独な作業なんだよ」と言う。 家内は「そう? 楽しそうに見えるわよ」と答える。
家内に「うーん、楽しいけれど孤独な作業なんだよ」と言う。 家内は「そう? わいわいやっているみたいに見えるわよ」と答える。
家内に「あのねえ。わいわいやっているみたいに見えるし、実際楽しいんだけれど、実は孤独な作業なんだよ」と言う。 家内は「そう? とてもそうは見えないわよ」と答える。
家内に「でもね」と反論しようとして、 ふと「確かにそれほど孤独ではないのかもしれない」などと思い始めている自分に気がつく。
[CR] せっせと書いている。 祈りながら書いていたら、 おててはそれほど痛くなくなりました。
何だかすっごく面白いんですけどー。
当たり前のことでも、他の人が読んで本当に理解できるように表現するのはとても難しい。 でも、それがうまくいくと、 「ずっと目の前にあって、よく分かっていると思っていたこと」 に新しい光を当てることができる。 そしてその光が読者の「なるほど」を生むのだ。
がんばれ。そして祈れ。 > 自分。
後日談: 上のような日記を書いたところ、たくさんの方から 「結城さんは孤独じゃないですよ」という応援のメールをいただきました。 ありがとうございます。
クリスチャンの方々からはもちろんのこと、 クリスチャンではない方たちからも 「イエスさまがついているではないですか」というメッセージをいただきました。 みなさんのおっしゃるとおりです。 私は孤独ではありません。
感謝します!
映画『マトリックス』は、 『CODE』の4つの力(法律・市場・アーキテクチャ・規範)のうち、 破ることが不可能なはずの「アーキテクチャ(コード)」を 破ろうとしているネオを描いている。
[DOMAIN] ちょっと調べ物をしていて気がついたのですが、 2002年12月3日01:02現在、 textfile.jp, textfile.net, textfile.info の3つのドメインが空いている(登録できる)ようです。
だから何? という方も多いと思いますが、 いえ、べつに、なんでもないです。 ただ、結城はtextfile.orgドメインを持っているので、 ちょっと気になっただけです。はい。
さらに調べ物をしていて、Googleでtextfileを探すと、 www.textfile.orgがトップに来ますね。 ちょっとうれしかったりして。
[CR] (s)。 293行書いて350行削除しました。 書いているうちにどんどん長くなるのは何とかならんのか>自分。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1057通。
レッシグ教授の『コモンズ』(山形浩生訳)を入手。 とりあえず前書きと後書きを読む。なるほど。 無見識にアメリカの後追いをするなと。よく考えろと。 『CODE』の要約まで載せている山形さんの後書きは親切ですね。
『CODE』も『コモンズ』も読みやすい(読みやすそうな)本だけれど、 そこで語られていることをよく理解するのは結構むずかしいのではないか、 と思っている。 微妙な内容を豊富な題材で語っているから、 その一部分を切り出すといろいろ知ったかぶりは書ける(書けそうだ)。 でも本全体を通して語られていることを理解し、自分のものとするには ずいぶん読み込まなければならない、と感じている。 やっぱり、自由とか規制とか権利とか義務とかについては私はよく分かっていないのだな、 と思う。
たとえば、フリーソフトを作る。そのときライセンス条項をどう書けばいいんだろう。 そしてそのライセンス条項は「本当のところは」何を意味しているんだろう。 実は私はよくわかっていないのではないか。と思うね。 ソフトウェアに限らない。こうやってWeb日記を書いて公開するというのは、 いったい何をしていることになるんだろう。 自分の楽しみ。うん、それはそうなんだけど。 何か公開するっていうのはいわゆる「コミュニティ」に何か貢献している (貢献って変だけれど、まあ貢献)のだろう。 で、その話題が『コモンズ』にはたくさん出てくるらしい。それは楽しみである。
単純に「自由オッケー、規制やだやだ」ではなく「規制第一、自由はNG」でもなく、 適切なバランスが必要だという。そして自由を守るために必要な規制…。 うーん。難しい。まあ詳しくは『コモンズ』を読んでからだな。
ところで、『コモンズ』とは直接関係ないですが。 よく考えてみれば「聖書」というのはまさに規制と自由の絶妙なバランスを 提示しているのではないか、と書いておこう。 一言で言えば、 「神の権威に従順することによって、真に自分らしい自由な人生を送れる」ということですね。 愛なる神に従順することが自由につながるという のは一見矛盾しているように見えるが、真理だと思います。
そしてまた、 従順というのは幸せな結婚生活を送るための秘密でもあります。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1090通。 みなさん、いつも励ましや貴重な情報をありがとうございます。 本を書くのは楽しくも孤独な作業なのですけれど、 自分の書く文章を読んでくださる方がいらっしゃる、 と自覚することは本当に励みになります。
[CR/Review] No.006送信。 (t)前半。
[CR/Review] No.007送信。 (t)後半。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1012通。 みなさん、いつも素晴らしいレビューをありがとうございます。 とても励みになります。
送った原稿を読み直す。 うんうん、なかなか面白いじゃないですか(自画自賛)。
[CR] (s)。 260行書いて163行削除しました。
昨日、ここには書けない大きな出来事があり、 なかなか大変でした。 でも、それを通しても驚くべき神さまの働きがあったことを知り、 感謝しています。
また、昨日、人間の目に困難に見えるような状況が起こったときに、 私は動転するばかりでしたが、 家内は、さっと神さまへの祈りをささげました。 家内を通して「神さまを信じる姿勢」を深く学ばされた次第です。 普段はえらそうなことばかり言っている私ですが、 家内にはまだまだかなわない、とそのとき自覚しました。 とっさの時の姿で、実力はバレバレになりますね。
…
夜。仕事から帰ってきて、ご飯(今晩は温かいうどんでした)を食べて、 子供を寝かしつけてメールチェックすると、 すでにNo.006, No.007へのレビューがたくさん返ってきている。 うーん、速いですねえ。とっても感謝です。
[CR/Review] レビューアとのやりとりは1046通。
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