あなたへのメッセージ

結城浩

2001年12月28日

まずは、クリスチャンのあなたへ。 主の御名を賛美します。 今年はいかがでしたか。 主の御わざがあなたに臨み、主のあわれみとめぐみがあなたに注がれた年だと信じます。 主はあわれみふかいかた、めぐみふかいかた。主の御名をほめたたえます。 主の栄光がとこしえまでもありますように。アーメン。

あなたは、主にある兄弟姉妹です。 あなたは私のお兄さん/おとうと、 あなたは私のお姉さん/いもうとです。 イエスさまは私たちの共通のお兄さんですね。 私たちは主にある家族です。 天国で会えるのが楽しみです。 ハレルヤ!

でも、今年一年、神さまの望むようにできなかったときがたくさんあることも、私は理解できます。 神さまが望むようにできなかったこと、神さまが望まないことをたくさんやっちゃったことも、 私は理解できます。私自身がそうだったからです。 いま、いっしょに祈りましょう。

かみさま、いま、イエスさまの御名によって祈ります。 この弱い存在をゆるしてください。 あなたの恵みを知っているのに、 あなたの救いを知っているのに、 あなたの赦しを知っているのに、 あなたが望むことをさぼって・さきのばしにして・聞かないふりをしていたことを、 ゆるしてください。

いま、イエスさまの十字架のゆえにゆるしてください。 どうぞ来るべき年は、少しでもあなたの御声に聞き従うことができますように。 即座の従順を行うことができるように、聖霊さま、わたしたち一人一人を導いてください。 あなたの恵みに感謝し、あなたの完全な赦しに感謝して、 イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。

あなたの赦しを感謝します!ハレルヤ!

それから、ノンクリスチャンのあなたへ。 今年はいかがでしたか。 どうか、来年こそ、あなたがイエスさまの救いを受け入れる年となりますように。

この世はむなしいものでいっぱいです。 名誉が何でしょう。お金が何でしょう。学問が、知識が何でしょう。 おいしいもの、めずらしいものがいったい何になるのでしょう。 本当によいものを求めましょう。 永遠に新しいもの、永遠に変わることのないもの、いまから10年、20年、いや100年、1000年たっても まったく色あせないものをこそ、求めようではありませんか。 永遠のものこそ最も新しいものなのです。

あなたがとっても賢いことをわたしは知っています。 コンピュータも使えるでしょう、いろんな人に教えたりもするでしょう、 議論にも勝つでしょう、お金も儲けるでしょう、人から賞賛されるでしょう。 でも、それは、あなたが死ぬ直前には、まったく何の意味ももたないものです。 違いますか?  この世に属するものは、あなたが死ぬときにはあなたにとって何の意味も持ちません。 ゼロです。無です。

あなたは自分が死ぬときのことを考えたことがあるでしょうか。 自分が死んだ後、どうなるかを考えたことがあるでしょうか。 あなたはこの世で何をなそうとしていますか。 そのために、いま、自分の時間を何に対して投資しようとしていますか。 あなたの心を尽くし、精神を尽くし、知性を尽くして、ぜひ、この2001年の年末に 考えてみてください。

この世のすべてを得たとしても、 自分の命を失ったら、何の得があるでしょう。 この世に流布している流行の考え、数ヶ月たったら消えうせる流行の思想、空しい議論…。 そんなものにあなたの貴重な時間を使っていてもいいのでしょうか。 あなたを救うことができる方は、たった一人。イエスキリストだけです。 この宇宙で、神さまから私たちに与えられている救いの御名は、イエスキリストだけなのです。 イエスさまはこの地上の生涯で私たちに「愛」を示してくださいました。 異性愛ではない。 イエスさまは、異性愛が1つの影に過ぎないほどに大きな愛を示してくださいました。 自分を犠牲にしてまでも人を救う愛を示してくださったのです。 それがイエスさまの十字架です。

現在、書店に行くと、たくさんの偽キリスト教があります。 もっともらしい哲学を説き、ちょっぴり安心させるだけのなまぬるい宗教があふれています。 扉が広く開かれ、ゆるゆると地獄へ続く道が展開されています。 それを見分けなければいけません。 神ではなく人間に重きを置くことは大きな誤り。 人間の努力で救いが得られるという主張も同じように大きな誤り。 怪しげな新興宗教は論外。

この世に調子を合わせてはいけません。私たちは狭い門であったとしても、正しい門を見分け、 何とかしてそこをくぐることが大事なのです。 イエスさまこそその門です。天国へいたる門、救いの門。自分という呪縛から逃れ、 罪の毎日から逃れる唯一の道。 真の平安と救いと慰めを与えてくださる方、それがイエスキリストなのです。

誰にもいえないあのことも、神さまはすべてご存知です。 自分の命の尽きるとき、あなたは神さまの前に、たった一人で裸で立ち、なんと申し開きをするつもりでしょう。

「あのこと」(具体的内容は個人個人で違うでしょうけれど)ができないくらいなら、 自分は地獄にいってもいいや、 と言っている人がいることも私は知っています。 とんでもない。とんでもないですよ。 そんなまやかしの思いにとらわれてはいけません。

イエスさまの御名だけが、あなたの救いです。 若き日に、あなたの救い主を覚えなさい。 あなたがイエスさまを信じるとき、あなたには希望があります。 人生は空しいものではなくなります。 人生の意味がわかります。あなたの人生の目的が時にかなってあなたに示されます。 人生はとても複雑です。 しかし人生の中にある意味・歓喜・希望・感謝・真理…そういったものは、 イエスさまを通すとき、初めて真に深く味わうことが出来るのです。 自分が正しい道からはずれ始めたときに、 正しく警告を発してくれるのはイエスさまだけ、聖書の御言葉だけなのです。

イエスさまはあなたの心をノックしています。 いま、ノックしています。 あなたの意思で、あなたが心を開くなら、はじめてイエスさまはあなたの心に ——たとえ家畜小屋のように汚くわびしい心であっても—— 来てくださるのです。

あなたがきよい人間になってからイエスさまが来られるのではありません。 あなたがまだ汚れているうちに、イエスさまは来てくださいます。 イエスさまはあなたを聖めるために来てくださるからです。

あなたは自分が病んでいると思いますか。 自分がとうてい救われることがない存在だと思いますか。 だとしたら、大丈夫。 イエスさまは、まさにあなたのためにこの地上に来られたからです。

来年とはいいません。 今日こそ、あなたの救いの日です。 どうか、いま、以下のページを読んで、心をイエスさまに向けて開き、 あなたの口で、祈ってください。

それが、あなたの救いに至る第一歩なのです。 あなたの救いを切に願います。

私は、天国であなたに会えるのを楽しみにしています。