小さな小さな教会の、大きな大きな恵み

結城浩

2002年9月9日

夜中「受洗しました」のメールをいただきました。 結城あてには、毎日たくさんのメールが来ますけれど、 この「受洗しました」のメールが格別にうれしいですね。 以下、許可を受けて一部分をご紹介します。

小さな小さな海沿いの町の、小さな小さなプロテスタント系教団の、小さな小さな教会で、大きな大きな恵みに預かりました。 牧師さまが私の名を呼んで、「父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授ける」と高らかに仰った時、 それが自分の罪の赦しの宣告そのもののように思え、(滴礼式だったので)その手にすくった水を牧師さまが私の頭にのせた時、 赦しのしるしをポンと捺されたかのように感じました。

ハレルヤ、感謝します! この方の人生が、これまで以上に主に導かれ、 祝福に満ちたものになりますから感謝です。

信仰は心の中のことですから、 誰に言わなくても信仰を持つことはできます。 けれども、このように洗礼を受けるというのは、 その「心に信じていること」を「公に表明する」という式でもあります。 これはとてもとても大切なことです。 イエスさまご自身も洗礼をお受けになりました。 洗礼をお受けになってから宣教の活動をなさったのですね。

この結城の日記を読んでいる方の中には、 すでに信仰を持っているけれど、よい教会にまだ導かれていない方、 洗礼にまだ導かれていない方もいらっしゃるかもしれません。 その方のために特に祈ります。 どうぞ、聖霊様がよきガイドをしてくださって、 主のご計画の時に、よい教会に導かれ、洗礼を受けることができますように。 またそのような願いと祈りを持つことができますように。 洗礼に至るまでの障害も(もしあるなら)、どうか主が取り除いてくださいますように。 あるいはまた、その障害さえも益に変えてくださいますように。 イエスさまのお名前で祈ります。アーメン!

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、 あなたの心で 神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださった と信じるなら、 あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、 口で告白して救われるのです。

(ローマ人への手紙 10章9節、10節)