コンプレックス

結城浩

2002年4月4日

コンプレックスについて書こう。

中学、高校と、勉強が楽しく、成績もよく、 問題なく大学にも行くことができた私は、 大きな勘違いをしていた。 つまり、大学まで来たからには、大学院と進み、 さらには大学の先生になるのが「普通の」ルートではないか、 などと考えていたのである。 自分の研究テーマなどはあったわけではない。 私は、ただ単に小学校→中学校→高校→大学→大学院→というルートを 通るのが流れである、筋である、それが決まった道である、 と思っていたのだ。 いまから思えば愚かとしかいいようがないが、20代の頭でっかちはこんなもんだ。

その後、さまざまな事情から私は大学から離れ、 プログラミングの仕事を始めることになる。 しかし、私は、どこか心のうちで、道からはずれてしまった、 自分の考えていた未来像からずれてしまった、 という意識を持っていた。 一種のコンプレックスが自分の中に残ることになる。

プログラミングの仕事をはじめて3年ほど経った頃だろうか、 どうしたことか、昔の同僚と飲み会に出席する機会があった。 その同僚は、私が昔、夢想していたルートをそのまま通り、 現実化し、大学の先生にすっとおさまっていたのだ。

飲み会の帰り道、たまたまその同僚と私は電車の中で立ち話をすることになった。

今、思い返してみてもどういう話の行きがかりだったか覚えていないが、 その同僚は、私に、こんなことを言った。あくまで何気ない一言である。

「君は、つまらんプログラムを書いてるんだな。つまらん仕事だ」

そのとき、私の中の何かが爆発した。 私は、ほかの乗客のことなどまったく省みず、 自分に出来る限りの大声を電車の中で出して、相手をなじった。

私は誇りをもって自分の仕事をしているのだ。 何も分からんくせして知った顔をするんじゃない。 ばかやろう。とどなって、私は相手を突き飛ばした。

その同僚は、私の態度にどう感じたのだろう。 私にはわからない。 しかし、私に非礼をわび、馬鹿にするつもりで言ったのではない、 と述べた。

私は、憤懣やるかたなく、電車を乗り継ぎ、 不愉快な気持ちで、妻の待つ自分のアパートに帰った。

その夜、私は、どうにも自分の心の中でおさまりがつかないものを感じ、 私の妻に、今日あった一部始終を語った。全部、全部、ありのままに。 おそらくは、途中から、泣き虫の私は泣いていただろうと思う。

妻は、私の話を無言でじっと聞いていた。 私が話し終えてうなだれていると、 私の涙で濡れた両ほほにそっと両手をあてて、彼女はこう言った。

「でも、わたしは、いまのあなたが好き。 あなたは大学の先生などならなくてもいいのよ。 きっとそうなっていたら、あなたは今よりずっとピリピリしてたと思う。 もっと神経質な生き方をしていたと思う。 わたしは、いまのあなたが一番、好き。 あなたはとても素晴らしい仕事をしているのよ」

私のささやかなコンプレックスは、その日を境に完全に消えてしまった。 その同僚に対する恨みがましい心もまったくなくなってしまった。 そして、私は、 神さまが与えてくださる妻は何と素晴らしいものか、 と深く知ることとなる。

妻に感謝し、 主の御名をほめたたえます。