卒園式

結城浩

2001年3月16日

長男の卒園式。泣けてくるものですね。 特に、最後に、賛美歌をみんなで歌う中、 子どもたちが順番に退場するのを見ていて、 涙が止まらなかった。

とても場違いなのだが、私はそのとき、 「死」というものについて考えていた。 この世ではひととき別れても、天国ではまた会える。 この世の死というのは(ある意味では)卒園式、卒業式のようなものかもしれない、と。

子どもたちは幼稚園で力いっぱい遊ぶ。 風邪を引くときもあるし、友達とけんかをするときもある。 泣いたり、笑ったり、どろんこになったりする。 けれども幼稚園という場所で時を過ごし、 そこでなすべきことをなし、成長していく。 定められた時が過ぎ、卒園の時をむかえる。

「ああ、この楽しい日々がいつまでも続けばいいのに。 明日も、あさっても、いつまでも。 どうして終わりが来るのだろう」

けれどもなぜか始まりがあり、終わりがある。

私たちの人生もこれと似てはいないだろうか。 なぜかは知らず、あるときある場所に生まれ、 人生という時を過ごす。 喜んだり、悲しんだり、愛したり、憎んだりする。 そしていつの日か、主が定められた時に、 この世の命は終わりをむかえる。

「ああ、どうして死などというものがあるのだろう」

けれども確かに「死」というものがある。 そしてそれをしっかりと見すえなければ、 「生」の輝きも、意味も、その大半を失ってしまう。

私たちのこの世の人生には確かに、終わりがある。 そして、かけがえのない今がある。