前向きに考えるということ

結城浩

2002年4月10日

前向きに考えるということ。

物事がうまく行かないとき、思い通りにならないとき、 事実をねじまげることが前向きなのではない。

事実と評価は異なる。 自分をゆさぶる何か(事実)があったとき、 まず、それをよくない(評価)と感じている自分に気づくこと。 そしてそのよくない(と感じる)ものを、きっかけ、 トリガーとして利用しちゃうこと。 そのあたりにプラクティカルな解決の1つがあるように思います。

高いジャンプの前では必ずかがむもの。ピンチがチャンス。失敗は成功のもと。

もし神さまへの信仰があるなら、 さらに 「現在の状態を通しても、神さまの栄光が表されるように」 という発想の転換も大切なことですね。 神さまを信頼すること。神さまに委ねること。 委ね切れない自分をも委ねてしまうこと。

単なる否定的な言葉、破壊的な言葉、つぶやきとためいき、 は物事の解決にはならない。気晴らしにすらならない。 愚痴や後悔で人生を埋め尽くすには、人生は短すぎる。

後悔。 「あんなに後悔ばかりしなければよかった」というのは後悔の再帰呼び出し。 そんな自分を笑い飛ばし、次に進もう。今日を歩もう。

もちろん「前向きな考えなんか出来れば苦労はないよ」という意見もあるでしょう。 特に、気圧が低いときや、お腹がすいているときや、睡眠不足のときにはそう感じる。 習慣の力も大きい。つい愚痴を言う。つい人のせいにする。つい状況のせいにする。 つい自分を責める。つい、つい、つい…。

どうせ文句をいうなら、 徹底して真剣に、神さまに訴えるというのもよいかもしれない。 いわばゲロを吐くような祈りとでもいいましょうか(失礼)。

自分のちっぽけな枠の中に神さまを押し込み、 自分のちっぽけな箱庭の中に自分を押し込み、 あいちゅが悪い、こいちゅが悪いったってしょうがないよね。

あいちゅも こいちゅも ゆるしちゃえ。

ゆるしたもん勝ち。

さあっ、今日も行こう!