引っ越しと主の導き

結城浩

2000年11月1日

現在の住まいが手狭になったので、 ここしばらく引っ越し調査エポックに入っていた。 よさそうな住まいが見つかったのでそこにしようかと考えていた。 しかし、どうも家賃が高い。 でもさまざまな状況がすべて、現在の住まいから出る時期であることを示している。 先日の日曜日に牧師先生や他の方々に、 はっきりとした確信と示しが与えられるようにと祈っていただく。 で、昨日、CGIの本とJavaの本の増刷予定の連絡があり、 それがちょうど敷金と礼金ほどの金額であることに驚く。 これは、神さまからの導きだろうか、と思いつつも、 もう少しだけISIZEで物件検索を続ける。 最後によさげな別の物件が見つかるが、 見に行ったところ、いまいちであることが判明。 めでたく先ほどの物件と契約が進む運びとなった。 神さまが導いてくださる人生に感謝(もしその契約が今後うまくいかなくなったとしても、 それは神さまがそのように閉ざしてくださるのだから、 それも感謝である)。

人生には人間の力では決定不能な選択が山積みだ。 進学、就職、恋愛、仕事、結婚、住居、子育て、介護…、 そのような重要な局面では、人間の知性にいかに限りがあるかを痛感する。 「もし、こうならば、ああなる」ということまではわかっても、 未来を見ることができない人間の力では、確信を持って歩むことはとても困難だ。 そういう経験は誰しも持っていることと思う。 しかし、私たちの命を作ってくださった方は誰か。 この世界を作ってくださった方は誰か。 弱く、愚かで、罪深い私たちを哀れんでくださる方は誰か。 私たちをそのまま丸ごと愛してくださる方は誰か。 私たちの創り主である神さまではないか。 私たちの救い主であるイエスさまではないか。 この方に、いつも信頼しよう。 目に見える状況に振り回されるのではなく、 聖書を読み、主に祈り、主に信頼しよう。 正しい道を大きく開いていただき、誤った道に入り込まないように導いていただこう。 聖霊様に人生をガイドしていただこう。 私たちの前に問題が置かれるのはそのためではないか。 自分の愛のなさを知り、わが身を悔い改め、主に信頼し、主に立ち返るためではないか。

あなたの今日の問題は何ですか。 あなた自身に必要以上に目を向けるのではなく、 目に見える状況に必要以上に振り回されるのではなく、 天の父なる神さまに目を向けよう。 イエスさまの救いと恵みに感謝しよう。 神さまを信じ、神さまにすべてを告白して…人をゆるしましょう。

そして、すべての栄光を主に帰そう!

ハレルヤ、ハレルヤ! 主の御名はほむべきかな!

結城の住まいのために継続的に祈っていてくださっている兄弟姉妹にも心から感謝します。 また引き続きお祈りください。