文章を書くって、何てつらいんだろう

結城浩

1998年12月5日

午前、マクドナルドで[JB]の執筆。

文章を書くって、何てつらいんだろう。
自分はいろんなことを知っている。
それなのに文章として書き表すのはどうしてこんなに難しいんだろう、と思う。
特に、入門書は難しい。説明するのに使う言葉が限られているから。
いわば武器を奪われているのだ。

つらいのは、自分が「本当には知っていないのだ」と認めなければならないからだ。
表現できたなら、そこまでは知っていることが実証されたのだ。
それはプログラムでも文章でも同じこと。宣教や伝道もね。
何て、いろんなものは似ているのだろう。

恐れずに、自分が何も知らないのだということを認めよう。
そうすればつらさはずいぶんなくなる。
誤った自己像に振り回されず、虚栄のわなから逃れよう。
そして謙虚に調べよう。謙虚に祈ろう。

宣教や伝道は、もしかしたら相手だけではなく
自分の信仰の成長に必要なことではないだろうか。
ちょうど、本を執筆することで、執筆者自身が学んでいるのと似ている。

私には何ができるだろうか。私はどうしたらいいのだろうか。
ああ、これは「5つのパンと2匹の魚」だ。
自分の現状をありのままに主に示そう。そうすれば主はそれを祝福して、
パンを裂いてくださるだろう。そしてすべての必要は満たされ、
ありあまるばかりになるだろう。

天の父なる神さま。あなたは素晴らしい方。大いなる方。
あなたのお名前を心から賛美します。

主よ。いまこの小さき者は本を執筆しています。
自分の栄光ではなく、あなたの栄光があらわされますように。
このすべての活動を通しても、あなたがほめたたえられますように。

主よ。あなたがいらっしゃるから、私には恐れがありません。
あなたはいつも私とともにおられるからです。
執筆が滞ることがあっても、私には恐れがありません。
あなたが必ず最善の道を備えてくださるからです。

あなたこそわが主の主、王の王です。
聖霊様が豊かに油注ぎを与えてくださり、必要な言葉も知恵も与えてください。

主よ、この小さき者がもっともっと謙遜になることができますように。
『私が私の力でやった』と誇ることがないように。
今年あなたが三冊も本を出してくださったことを感謝します。
そのすべての本がひとりでも多くの方の役に立ち、
それぞれの必要が満たされますように。
いま執筆している本も、あなたにおささげいたします。
どうぞあなたの御用に用いてくださいますように。

たくさんの本が書店に並んでいますが、それらと無意味にはりあうのではなく、
ただ主を見上げ、読者の必要が満たされることを願って、
心を整え、誠実に、かつ熱心に執筆することができますように。
いつも祈りつつ執筆することができますように。

この祈りをイエスキリストのお名前を通して
御前におささげいたします。

アーメン。ハレルヤ!


するとイエスは彼らに言われた。
「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」
彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」
…
するとイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、
パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられた。また、二匹の魚もみなに分けられた。
人々はみな、食べて満腹した。
…
パンを食べたのは、男が五千人であった。

(マルコ 6:38,41,42,44)