結城浩
2003年11月25日
出先で、次男は眠り込んでしまった。 家内は買い物をしなければならないので、 私は次男を抱き、長男を連れて駅に向かう。
駅にて。 私は次男を抱っこしているのであまり動けない。
私「じゃあ、はい、これお金。切符買って」
長男「(切符販売機を探してうろうろ)」
私「あっちのほうだよ。乗り換え切符のボタン」
長男「わかった、これだね」
改札を入る。
私「ホームはどっち?」
長男「ええと…あれだ!」
私「本当かな?」
長男「え? …あっ、違う。逆だ」
私「そうだね。正しいホームを探して。お父さんは動けないから」
長男「ええと、ええと…あっちのエスカレータだ!」
ホームに行く。ちょうど電車が来たので飛び乗る。
長男「ふう…座れた!」
私「そうだね。切符を買っても、ホームを間違えたら全く逆のほうにいっちゃうね」
長男「ほんとうだね」
電車が出発。次男は腕の中で熟睡している。
私「小学校出たら、あなたはどこに行く?」
長男「中学校」
私「うん。中学校出たら、どこに行く?」
長男「高校だね。でも行かない人もいるけれど」
私「ふむふむ。高校を出たら?」
長男「大学だね。行かない人もいるけれど」
私「うん。(電車の広告を指差して)あそこに予備校っていう広告が貼ってあるけれど、予備校って何だろう」
長男「ん? …高校生って書いてあるから、高校生が勉強する?」
私「勉強する、何?」
長男「勉強する学校かな」
私「うん、近いね。学校よりは塾に近いけどね。高校生や、大学に入ろうとしたけれど大学に入れなかった人たちが勉強する塾みたいなものだ」
長男「ふうん」
私「がんばって勉強したけれど大学に入れなかった人で、どうしても大学に入りたいっていう人は予備校に通って勉強する。予備校に行かず、自分の家で勉強する人もいる」
長男「ふうん」
私「どうしてそんなに勉強して大学に入ろうとするんだろう」
長男「わからない」
私「いろんな人がいるけれど、たとえば、よい大学を出ていると、大きな会社に就職できると考える人もいる」
長男「ふうん」
私「大きな会社に就職できると何がうれしいんだろう」
長男「わからない。何で?」
私「大きな会社に就職できると、たくさんお金がもらえたり、長い間会社がつぶれずに仕事ができると考える人がいる」
長男「ふうん」
私「どうしてたくさんお金をほしいと思うんだろう。立派な大学にいって、立派な会社にいって、立派なお墓に入るためだろうか」
長男「(笑う)だって、ご飯が食べられなくなるじゃない!」
私「うん、そうかもしれない。でも違うかもしれない。何のために大学にいくのか、何のために仕事をするのか、何のために、どんなふうに生きるのか、これは誰も教えてくれないんだよ。あなたがよく考えなければいけない」
長男「どうして? どうして誰も教えてくれないの?」
私「本当のところは、誰も教えられないからだ。たとえばピアノを弾きたいと思う人がいるとしよう。その人は「油絵を描きなさい」と言われたらいやだな、と思うでしょう?逆に、油絵を描いて暮らしていきたいな、と思う人は「あなたは医者になりなさい」と言われたら、いやだな、と思うでしょう」
長男「そうだね」
私「自分が何をして生きていきたいか、自分はどんな仕事をしたいか、自分はどんな人生を送りたいか、それは一人一人がよく考えなくちゃいけない」
長男「ふうん」
私「一番かなしいのは、自分で何も考えずに、何となく誰か他の人のいうことにしたがってしまうことだ」
長男「どういうこと?」
私「たとえば歌手になりたい人がいるとしよう。美しい歌を歌って人に喜んでもらいたい、そういう仕事をしていきたい、と思って努力したけれど、うまくいかなかったという人もいる」
長男「何だかそういう人はたくさんいるような気がする」
私「そうかもね。でも、そういう人は自分の夢を描いて、自分はこう生きたいと願ってチャレンジした。それは決して無駄なことじゃない。うまくいくかいかないかはわからないけれど、チャレンジするのは無駄じゃない」
長男「ふうん」
私「でも、自分の生き方についてよく考えずに、何となく他の人がやっているから、友達がこういう生き方をしているから、というので何となく時間を過ごしてしまうのは、とてももったいない。何となく生きてきて、はっと気がついたらとても年をとってしまっていて、もう何かにチャレンジする元気もなくなったというのはかなしい」
長男「かなしい…?」
私「といっても、いつもいつも、自分で考えることができるわけじゃない。自分で何かを選べるわけでもない。お父さんが、自分の生き方を考えるようになったのは大学の時代だった。たとえば高校に進学するときも、お父さんのお父さんが「この学校に行くんだよ」とか何とかそういうことを言うのを聞いて、何となくその高校に行った。将来のことを特に考えていたわけじゃない。まあ、進路に関してはぼうっとしてた。自分の好きな本を読んでばかりいたかな」
長男「ふうん」
私「大学時代、お父さんは、お父さんのお父さんに「仕送り」をしてもらって過ごした。ほら、一人暮らしして、自分の食べるものを買ったり、本を買ったりしなくちゃいけないでしょ。仕送りは大切に使うんだけれど、それで足りないときにはアルバイトをした。家庭教師をしたりね。それから、お父さんは文章を書くことが好きだったから、自分の部屋で一生懸命文章を書いていた。文章を書く練習を何度も何度もやっていた」
長男「へえ…練習するんだ」
私「あるとき、コンピュータの雑誌に投稿した。そうしたら出版社の人から連絡が来て、連載をしてくださいって言われた」
長男「ふうん」
私「そのうちにコンピュータの雑誌に原稿を書いてお金をもらうようになった。自分の好きなことをして、お金をもらえるというのは素敵なことだ。でもそのためには、一生懸命勉強しなくちゃいけない。それから、神さまや他の人にいつも感謝しなくちゃいけない」
長男「それはそうだね」
私「勉強は積み重ねだ。あなたはいま漢字の勉強をしている。漢字を知らなかったら文章が書けない。字がへただったら——当時はワープロなんてなかったから——出版社の人に読んでもらえなかったかもしれない。勉強は積み重ねだ」
長男「ふむふむ」
私「誰でも知っていることを書いても意味はないよね。でも、誰にもわからないように難しく書いても意味はない。だから、新しいことや難しいことをわかりやすく書くことが大切だとお父さんは考えている。…といっても、いつも自分が考えたとおりうまくいくわけじゃない。お父さんもたくさんたくさん失敗をしてきた。他の人に迷惑をかけたこともいっぱいある。でも、祈りつつ、生きていかなくちゃあいけない」
長男「ふんふん」
私「あなたには、あなたの得意なことがある。神さまがあなたに与えてくださった大きな力がある。あなたはそのことを知らなくちゃいけない。神さまに喜ばれる人生を生きるにはどうしたらいいかを考える必要がある。何となく自分の周りの人がこうしているから自分もこうしよう、というだけではいけない。さもないととんでもないことが起こる。間違ったホームに立ってしまい、間違った電車に乗ってしまうかもしれない。神さまを悲しませる方向に進んでしまうかもしれない」
長男「そっか」
私「あなたのこれからの人生には、神さまが素晴らしいことをたくさん用意してくださっているんだよ。楽しみだね!」