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このページでは、 書籍『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』への感想をご紹介しています。 現在は、草稿を読んでくださったときにレビューアさんから送られてきた感想を集めてあります。
このページでは、 書籍『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』への感想をご紹介しています。 現在は、草稿を読んでくださったときにレビューアさんから送られてきた感想を集めてあります。 みなさま、ありがとうございます。
※句読点や括弧、誤字脱字、ネタバレ(○○○○)部分、強調などを修正した他は、読者さんの言葉をほぼそのまま掲載しています。
ユーリちゃんは数年後にミルカさん以上の才能を発揮するかも知れませんね。 とはいえ、昔高校教師をしてたことがあるのですが、ユーリちゃんみたいなタイプってすごく伸びる場合と、 勘が良いだけで終わってしまう場合があったりして、どんな子が本当に数学に向いているかなんて分かりません。
ユーリちゃん鋭い! 「僕」が一方的に教えるだけでなく、こういう問いの応酬にも持って行けるところが、ユーリちゃんというキャラクターの特性ですねー。
(ユーリちゃんの)テンポの速い調子の良さは前作同様、変わっていないのだけど、 どこかたしかに成長しているようにも、感じました。なんとなく、なのですけど、 ひとつには 数学への恐れ が、なくなって、 数学に対して(本来の)ユーリちゃんを展開しているというところ、 なのかな、とも思いました。
「お兄ちゃん。○○○○○は、どこにあるのかにゃ?」
ユーリちゃん、恐ろしい子…! テトラちゃんがliterallyに、地道に粘る力があるのに対して、 ユーリちゃんは根本を鋭く掴む力があるのですねぇ。どちらもすばらしい素質。水平思考と垂直思考?(意味違う)
やはりこの章の何よりのポイントは相変わらずユーリが可愛らしいことですね。 キャラが立っていると、何気ない会話でも読んでて楽しいものですね。 こういう軽い会話のやり取りは、いくら続いても飽きることなくて、なんかこう心が安らぐ感覚が心地よいです。
くすりとしました。ユーリちゃんの機転の利いた掛け合いが好きです。
「たんいえん」
ユーリちゃんは、なんだかんだで言われたことはわりと実行しているので 偉いですね。きちんと復唱して。
それにしても、ほんとうに「僕」以外には男は出てこないですね。 こんだけ女の子たちといっしょにいたら、他の男どもにいろいろ言われまくりですよね。 普通。 いや、もちろん、男を出せと言っているのではありません。 というか、でないほうがいいです。
今回は、「僕」の戸惑いがすごくいいです。ドキドキします。リアルです。
『数学ガール』はちょっと“きれい”すぎるから○○○○○という俗っぽい感じが、かえって新鮮です。
一番最初に思ったのは、すごく読みやすい文章だなあ、ってことです。 「僕」とユーリのなす流れるような会話が楽しくて、 論理パズルなどのちょっと頭を使う箇所が含まれているにも関わらず、スラスラと楽しく読むことができました。 論理学に詳しくない読者さんでもきっと楽しく読めて、 それでいて考えさせてくれるであろう物語の構成はさすがだなあと思います。
まったく鈍感さんだなー。意外と独占欲強いのねぇ。にやにや。
この章は、数学的な内容もさることながら、思春期的な「僕」の葛藤がちょっと懐かしくもあり、 むず痒くもあり、と、数学の解説だけに捉われず物語的なメリハリも忘れずにいて凄いなと感じました。 この数学と物語のバランスがやっぱり数学ガールの魅力ですね〜。
やさぐれモードの「僕」が…! すいません、あんまりひどいので笑ってしまいました! 男の子なんですねぇ、「僕」も。
「僕」が問題に取り組んで解決する様子は、私には面白く読めましたが、 一方でどれくらいの人がフォローできるか、ちょっと不安も感じました。 でもでも、この本の数学的な部分が必要な人には、こういうのが大切なのかなー とも思います。難しいところですね…
「僕」の、ハーレムアニメのようなもてぶりと鈍感ぶりはある意味あっぱれですよね。 このあたりは、キリスト教的なものから来ているのか、 それに反するような要素を入れているのか、単に並行しているのか、 私にはよくわかりません。 (ハーレムアニメというのは、なんだかよくわからないけれども主人公が妙にもてまくるようなアニメを称して言う言葉です)。
それにしても「僕」の『ニブさ』にはジリジリしますねぇ…。 結城さんの思うツボにはめられている気がしますが :-)
ミルカさんの 「パターン化されていない無限を、パターン化して記述することはできない」 というセリフにビビッと来ました。
ミルカさんは頭が切れる人でもあるのだろうけれど、 やはり知識量と数学の経験量というのか、そういうものが圧倒的ですよね。 それにひきかえユーリは、いまある限られた道具と、たったいまきいた説明だけで、 ぐいぐい本質に迫っていくような迫力があるように思います。
「○○を扱うため」とミルカさんが言った。
ミルカさんの台詞、洗練されてて格好いいです! ミルカさんのこの発言は、 一言ながらも集合という概念の本質を突いていて、完璧な台詞です。
飛躍前の停滞。 人間のためらい。 うーん、ミルカさん格好いいです。
私が中学校のときの国語の先生が常々、 「学問とは孤独なのです」 と口ぐせのように言ってました。 ミルカさんは、いつもこの孤独に立ち向かっているんだろうな…。
ミルカさんにしては珍しい、とも思うのですが、 テトラちゃんとの出会いのときを考えるとそうでもないのかも。 しかし、ミルカさんは「僕」に何を伝えようとしているのでしょうね。いや、 抽象的な言葉はともかく、もっと具体的なメッセージが隠されていそうなのですが、 私には良くわかりません。
数学的帰納法について、テトラちゃんが不安に思ったところは、昔は自分も同じように感じていた気がします。 おそらく同じように感じている人は多いように思うので、この章で説明されている内容はとても分かりやすく、嬉しいですね。
テトラちゃんかわいいなー。 自然と、子供や動物を見る時みたいな笑顔になります。
この章もユーリちゃん、テトラちゃんパートだったので、 理解しながら読み進めることができました。 「極限」や「無限大」という扱いの難しい概念を、 式で表現・計算することの大変さを実感しました。
テトラちゃん、おっきくなったなぁ。 いつも自分のとまどいを代弁してくれてありがたいと思っていたけど、 この連続のパートについては教わるばっかりだったよ。すごい。 数列の極限の話と同じく、「連続ではない」という 今までのイメージをぶち壊されるようなケースがあること、受け止めました。
ダイナミックな章でしたねー。数学そのものをミニチュアと見てしまうほどの視点。 ついていくのに必死でしたけど、とっても刺激的でした。
この問題を見たときはちょっとのけぞりました :-) 私自身、自分でこの問題を考えて、解答にたどりつくのにしばらくかかって、 面白かったので学生のレポート問題に出したことがあります。 できる人とできない人にくっきりわかれますね。
数学は絶対的な真理を追う物と考えていたのですが、 事象をどういう風に切り取るかの切り口が重要なんだと感じ、少し数学への印象が変わりました。
「僕」が同値関係を知らないのは不自然といえば不自然かもしれませんが。 とてもよく書けた、商集合の概念への導入だと思います。
結城さんの手にかかると、sin,cosは非常に簡単に思える。ユーリとの会話形式で進む説明だと、 小学高学年、中学生でもsin,cosを理解できるのではと思ってしまいます。
ラジアンは《円弧の長さは半径の何倍か》って考えると……
これは本当にそのとおりだと思うのですが、 なぜ学校ではそう言って始めないのでしょうかね?
ペアノの公理を物凄い上手に説明しているなあと感じました。 これだけ感覚的に理解しやすいペアノの公理の解説は初めて見たように思います。 「さすがミルカさん!(というか結城さん)、解説うまいなあ!」という感じですね。
結城さんの本によって、 ペアノ算術が色々な人の身近な概念になってくれればいいなあと思います。 また、結城さんの解説は、「こんな分かりやすい解説があったのか!」というちょっとした衝撃を与えてくれる素晴らしいものでした。 それでは、楽しい小説を読ませて頂きありがとうございました。
いや、正直、「ペアノの公理」がこんなにおもしろくなるなんて思いませんでした。 自分が最初に知ったときは、自然数の構成法+数学的帰納法の原理というくらいで、 「ふーん、そういうものなんだ」と「じゃ、先に行こう」ですませてたんでした。 つまり、これからの「数学」を構成していくうえでの、いわば準備体操みたいなもの、 であって、「おもしろくなくても、しようがないもの」くらいに思っていたんでした。
第4章まで読み進めてきましたが、これまでで一番いいなぁと感じました。 第1章から3章までは、レビューを書くのに2回か3回読んでから書いていました が、本章は、一度目を通しただけでなんだか鳥肌が出る位感動してしまいました。
ユーリが持っている疑問は、私自身も持っている疑問であり、 ユーリが理解をしていく過程が、まったく自分に重なり合いました。
高校生のころ、極限について学びましたが、 たんに受験数学を解くためだけに練習問題を解いたりしていたんだろうと思いました。 本章を読んで、極限とは何かというのが分かったような気がします。
数列の極限の説明は具体的で図も多くとても分かりやすいと感じました。 現実には「知らないで」この部分を読む普通の高校生が、すぐ直感的に理解できるとは思いませんが、 熱心な読者が最初にε-δについて考えるための記述としては最良のものであると考えます。
0.999…=1
の疑惑を段階的に解決0.999…=1
については違和感を感じる人が多いようで、至る所で論争の種になる代物。
数学的には単純で当然な話なのだけど、これを奇異に感じる人をきっちり納得させるのは非常に難しいです。
そういう人相手には、議論しながら段階的に疑問を解消させていくのが一番。
その点、この数学ガールは、ユーリと「僕」の会話の中で、少しずつ、段階的に、疑惑を解決していき、とても頭に入りやすい構成でした。
この章は内容が易しいこともあって分かりやすかったです。 極限値の話は私も高校時代に混乱したことがありましたが、 本章の説明なら理解しやすいのではないかと思います。
「イプシロン・デルタだよ」
物理学科の学生にとっては鬼門ですね。当時は数学好きの同級生を除いてみんな なんでそんな面倒な議論がいるのか理解できませんでした。
イプシロン・デルタ論法という名前はもちろんきいたことがありましたが、 近づいたことはありませんでした。 学生さんたちに評判がわるいという噂(?)もどこかで聞いたことがあるような。
私に理解できるわけがないと思って考えようとしたこともありませんでしたが、 意外と理解できる? もしかしてわかる? という感触を得られました。(^^) (でもまだわかっていないのであった) ついでに、「近傍」という言葉への抵抗感もなくなる気がして、 ちょっとうれしいです。
イプシロン・デルタ論法は、初学者が躓きやすいポイントとのことで、誰にでも理解できる解説をする のは難しいと思いますが、「僕」の解説は非常にじっくり丁寧で、読者が付いていきやすい適切なペースだと思います。
前半を眺めているうちは、 「イプシロン・デルタ論法をゲーデルの不完全性定理にどのように繋げるのだろう?」 と疑問を抱いたまま読み進めていましたが、だんだんと「ああ、これは論理と数学の深い関連を理解させるためなんだな」 と納得しました。 数学から徐々に論理の話へと持っていくことは、 これからの話題がすんなりと読者の脳に入っていくための助けになるんだろうなあ、と納得です。
ぎりぎりまで、意味の世界で述語を定義しつづけて、 最後に表現定理をちょっとだけ使うという作戦は、 ややこしいところを回避して、プログラミングっぽいところを強調できて、すばらしいと思います。
こんなことを目論んだヒルベルトも剛腕だと思うんですが、 それが不可能かもしれないと思ったゲーデルは超人ですね。 今の私たちは、本当にこういう人達の肩に乗ってるんだなぁーと思います。 結城さんの本も、誰かをこういう所に連れてきてあげられる本だと思います。
意味の世界での述語を定義するに際して、 まるで論理式のような記号列を使っているせいで、 述語ではなく自由変数をもつ論理式を定義しているかのような誤解を招くかもしれません。 しかしその誤解そのものが、表現可能性なので、 僕は巧妙な方法だと思います。
確かに長いですが、数学的な記述が長いんですね。 このあたり〔不完全性定理の証明〕を真面目に入れると、長くなるのはしかたないかなーという気もする一方、 読者を選ぶかな、という気もします。
多くの読者がさらっと読み飛ばす一方で、 こういうのがビビッとくる高校生とかも、それなりにいそうな気がします。そういう高校生に対するメッセージとして、 私としてはこういうのをしっかり書いてあるのは、うれしいです。
確かにこの節は…長い!! めちゃマニアックですが、
とかいった問題を考えてしまいました。
僕は、何のために勉強するんだろう
哲学ですねぇ。 自分が中高生だったころって、あんまりそういうことを考えた記憶がないなぁ。 でも、完全理系だったので古文とか歴史とか まったく不要だと思ってたりして、 現在、もっと勉強しておけばよかったかなと思ったりもしてます。
自分が何をわかっていないかをじっくり考えて、そこにフィットするような参考書を選ぶんだよ
参考書選び、楽しいですよね。本屋さんで何時間も粘って確認して、納得したものを買う時には達成感みたいなものがあります。 「僕」と同じ方法に加えて、私は前書きをよく読みます。 筆者の理念は自分にフィットするか? そしてその理念はきちんと本文に反映されて、私の疑問に応えてくれるか? そんなことをいちいち確かめていたものでした。
村木先生からも本を紹介してもらった
そういえば、中学のときの数学の先生に、 数学事典だったかな?という本をもらって うれしかった記憶があります。 小学高学年から高校受験ぐらいまでが 一番数学が楽しかったな。
僕は別世界に入り込む
本当に集中していると、現実の「自分」という主体さえ忘れてしまうのかもしれないな、とふと思いました。
買った参考書は読まなければだめだし……
ぎくり。 本ばかり買い込んでいる身としては痛いところを…。 本が積み上がっているとなんとなく安心するんですが。積ん読や斜め読みばっかりじゃいけませんね。
たとえ、世界中の人が《わかった、簡単だよ》と言ったとしても、 自分がわかっていなかったら《いや、自分はわかっていない》と言う勇気。 それが大切なんだ。
確かにそうだよなぁと思う反面、なんか考えさせられました。 最近、自分がほんとに無知なんだなあということが分かってきました。 少しでもいろんなことが分かりたいという思いがあるのですが、これもやりたい、 あれも学びたいと思えば思うほど、しっかり理解できていないにも関わらず、 次の題材に気持ちが移ってしまって、結局、何も理解できていないんではないかと思ってしまいます。
『数学ガール』からは「自分の頭で考えること」の大切さを伝えようとする想いが感じられます。 今のネットの使い方に慣れた生活とはまったく逆で、 深く考えさせられました。
それから、この本自体が数学の《わからなくなる最前線》 を認識するのにとても有用だと思います。 ユーリちゃん、テトラちゃん、ミルカさんのパートでレベルが分かれているのも、その1つの要因だと思いました。
朝、とっても静かな環境で、結城さんの本をじっくり考えながら、ペンを動かしながら、読むのは、とても快適でした(^^)。
たとえ、世界中の人が《わかった、簡単だよ》と言ったとしても、自分がわかっていなかったら《いや、自分はわかっていない》と言う勇気。
これが難しい。わかったつもりになって(自分を騙して)、「わかった」と言う方が 何倍も何倍も簡単だというのを、私はすでに知ってしまっています。 でも、時間的に全てのことにはできないかもしれないけど、 自分にとっての大事なテーマはいくつかあって、 それは自分の中に持ち続けて、考えるようにしているつもりです。ここ何年か。 有限の時間の中で、何にどこまで「真剣」を注ぎ込むか——。 「僕」やテトラちゃん達も、その境目をいつか考える時が来るのでしょうか。 それとも、今の決意をこれからも緩めず歩んでいけるのでしょうか。
今回の本も含めて、『数学ガール』のシリーズは、自分のなかで「考える」時間がグーンとふくらんでいく感覚が実感できて、 そういう時間を10代の頃からじっくりもって、過ごせるのはいいなーと思います。 そして、そういう本を(1冊について)1年以上じっくりと、 こつこつと書き上げてこられた結城さんには、頭が下がります。
『数学ガール』のメインの香りは、やはり「ガール」たちの香りですかね〜! ノートとインクの匂いではなく・・・
感じたこと、「わからない」と思うことを、そのまんま率直に(不完全だったとしても)表現していこうとする、テトラちゃん。 そのテトラちゃんの「わからない」や、読み落としに誠実に対応して答えていこうとする「僕」。 そこにまたさらに、より鳥瞰的にピキッ!とした指摘を入れていって心地よい緊張を走らせるミルカさま。 とってもいいアンサンブルです。
緩急の対応がきわめて明確な魅力的な一章だと思います。今日が素敵な春の日ということもあるけれど、 読後感はとてもよい。 「数学ガール」たちを使いこなす結城さんの技もいよいよ巧(たくみ)の域に達してきた感があります。
「僕」の推論能力は素晴らしいのですが、やや優柔不断と思われる恋愛の方もいよいよ佳境に入ってきたようです。 数学の展開とともにこちらの展開も予断を許しません。楽しみです。
コンピュータをよく引き合いに出していますが(そしてそれは適切ですが)、 すごいのはライプニッツの時代にはコンピュータのコの字さえ存在していなかったということですよね。 よくそういうイメージがわいたなと。
今の私達は、アセンブラとかコンパイラとかが使えるし、 普段たとえば mp3 とかいったファイルを扱っているので、 こういう「バイナリ表現」的な発想にはあまり抵抗を感じませんが、 当時、プログラムストアド方式のコンピュータなんて存在していなかったことを考えると、 ゲーデルの天才ぶりには本当に感動してしまいます。 ゲーデルの不完全性定理は、人類を50年分くらいは進化させたかもしれないなぁー。
大きな衝撃でした。 無限だと矛盾が起きると考えるのではなく、 そういう状態が無限だと定義してしまう、まさに発想の転換ですね。
『数学ガール』が単なる数学読み物や思想書ではないということが本当に嬉しかった。 この本を*結城さんが*書いていることが本当に嬉しかった。そう思います。
『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』の執筆経過は、 まだそのタイトル(内容)を知らない頃から、 結城さんの日記で拝見してきましたが、時は確実に流れるのだということと、 でも本は書かれなければ書かれないのだということの両方を感じて、感慨深いです。
結城さんの文章からは、いつもいつも、 整理された気持ちよさのほか、謙虚さと自信、優しさと強さの両方をいただいてきました。 これからも、いただくことになると思います。
結城さんの文はよーく読むと、あちこちに仕掛けがあって面白いですよねー。 たぶんいくつか見落としているんだろうなーとも思っているんですが。
僕はこの章を読むまで、ε-δ論法は十分理解できていると思っていました。 しかし、この章を読んでε,δ という変数で距離を定量化していると 明確に認識できていなかったことを知りました。奥が深いです。
そして、「可能」性を「存在」性に置き換えて表現することで 集合論の上で対象の性質を説明できることも、今まではなんとなく知っていたようですが 明確にその言い換えを認識していませんでした。奥が深いですね。
このような事は、普通の数学書を読んでいても、一度や二度目を通すくらいじゃ 自分で気付くことはできないですね。僕のこれまでの経験を振り返ると、 なぜか数学とは全然関係ない事をしている最中に、ふと気付くことが多いです。 急にパッと視界が開ける感じで、とても不思議な感覚です。
対して数学ガールは、読んでいる時に具体的な例や 分かりやすく噛み砕かれた説明があるのでその場で気付けます。 読者のレベルにも依るでしょうけど、気付ける人は多いと思います。 この即効性は、普通の数学書で「よく分かんないや」と感じて すぐ投げだしてしまう人にも数学の醍醐味を感じてもらえるため、 数学ガールの良い点だなと思っています。
しかし、これは逆に欠点でもあり、普通は同時に学ぶ項目たちが抜けてしまっているんです。 でも、ふつうの小説と異なり、 数学ガールには巻末に素晴しい参考文献リストが添えられています。 このリストによって足りない部分を補うためのナビゲーションも同時にできているので、 副読書としての完成度がすさまじいと再認識しました。
この章の物語は、まさに自分に向けて書かれていると感じました。
同じ時間を共有できることはとても幸せだけれど、 確実に過去になっていくことの切なさ。 いまを大切にするって、どういうことだろう?
精神的ショックをどうするかというのはどんな職業をやるにしても難しいところですね。 私自身は、悔しかったり妬ましかったりするのも上手く利用して頑張っていこうというふうに思っています。 いつもできているかは別にして。
3人の話をそのままいっしょに聞いているようにして、「わからない」がわかってなかった、ことまで気づく喜び、 心地よさとともに体感できました。いや、もう脱帽。
非常に読みやすいと感じた章でした。 テトラちゃんと「僕」に自分が乗り移ったように理解が進んでいったというか、 自分が登場人物になりきったという感じでしょうか。 非常に楽しく読み進めていくことができました。
ミルカさんが○○○を持ち出したときは、「僕」同様、私もびっくりしたというか、
なるほど○○○かぁ、さすがミルカさんと、自分があたかもその場にいるかのような感じでした。
それだけ、ストーリーの中に自分が入り込んでいました(^^)
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