1999年8月1日
結城浩
ハレルヤ! 主の御名を賛美します。
このページはホームページを作ろうかな、 作りたいなと考えているクリスチャンのために書かれました。 私自身は牧師でも何でもない一信徒にすぎませんが、 少しでも主の兄弟姉妹のお役に立てればと願っています。
あなたの能力が、あなたの知識が、あなたの経験が、 主なる神さまによって用いられるようにお祈りします。
なお、ここに書かれている内容はあくまでも「お勧め」「ヒント」「アドバイス」にすぎません。 ここに書かれている結城の考えを決して律法的にとらないでください。 兄弟姉妹を裁いたり、自分自身を裁いたりしないようにご注意ください。
天の父なる神さま、あなたのお名前を賛美します。
イエスさま、あなたは天においても地においても、いっさいの権威が与えられています。 天も地も、すべては主のものです。 インターネットの世界もまた、すべて主のものです。 主よ。どうかネットの世界においても主がご支配くださり、よきもので満たしてください。
兄弟姉妹のホームページを通して、電子メールを通して、 その他のさまざまなメディアを通して、主の福音が宣べ伝えられますように。 主の御言葉が一人でも多くの方に伝えられ、主の救いにあずかることができますように。 また、すでに救われたクリスチャンの信仰がますます励まされますように。 しもべの書く言葉をきよめてくださり、あなたの御用のために用いてください。
この小さき祈りを尊き主、イエスキリストのお名前で御前におささげいたします。 アーメン。
このページの内容は、内容に変更を加えず、 作者名(結城浩)と出典(URL)を明記する限り、 自由にコピー・プリントアウト・配付してかまいません。 ホームページからのリンクも自由にどうぞ。 教会での勉強会などで参考資料としてお使いになったり、 教会で、コンピュータやインターネットに関心のある方に配ったりしてくださることを大いに期待しています。 このページを利用するにあたって、結城の許可はとらないでください。
まず何より、ホームページを運営させてくださり、 さらにこのページを書かせてくださった主なる神さまに感謝します。 結城のネット活動のために祈ってくださっている兄弟姉妹に感謝します。 アクセスカウンタに関する記述は、はちこさんからのメールを元にしています。 はちこさんの許可を得てこのページに含めさせていただきました。ここに感謝します。
このページでは、クリスチャンの個人ページを対象としています。 ですから教会の公式ページを作りたい方、 クリスチャン関連団体のページを作りたい方への直接的なアドバイスはありません。 しかし、関係している部分も多々あると思いますので、お読みいただければ幸いです。
クリスチャンの一個人が伝道活動としてできることは非常に限られています。 しかし、このインターネットという時代においては、 ホームページを使って大きなことができる可能性があります。 あなたがどこに住んでいても、インターネットのホームページを使えば、 日本全国、いや世界中にイエスさまの福音を伝えることができるのです。 たとえ日本語のページでも、海外で生活している多くの日本人がいるのですから世界的な意味があるのです。 あなた個人に与えられている時間は少ないかもしれませんが、 ホームページは一年中24時間、 あなたの代わりにイエスさまをあかし続けてくれるのです。
このページでは、技術的内容はお話しません。 HTMLの書き方、デジタルカメラの使い方、ソフトの使い方、 プロバイダの選び方や契約の仕方、 そういう内容に関しては書籍がたくさん出版されていますし、 インターネット上にもたくさんページがあるからです。 このページでは技術的内容は省略し、 クリスチャンに特化した内容、信仰に関係する部分に集中することにしました。 技術的な内容を知りたい方はこのページ末のリンクをごらんください。
これまでにあなたは、 「ホームページでイエスキリストを伝道する」 ということをお考えになったことがあるでしょうか。 そのとき、もしかして、次のようには考えませんでしたか。
「だから、私にはホームページでの伝道はできない」と思いませんでしたか。
モーセも同じように考えました。 あのモーセも「ああ主よ。私はことばの人ではありません。」(出エジプト4:10より) と神さまに言いました。 このモーセの気持ちは、あなたの気持ちに似ているかもしれません。
しかし、主は「だれが人に口をつけたのか」(出エジプト4:11より) とモーセに答えました。 「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」(出エジプト4:12) ですから、私たちも、もしそれが主の御旨にかなうものだという確信があるなら、 恐れずに学びはじめようではありませんか。
技術、文才、能力、知識、 そういった必要なものはすべて主が与えてくださいます。 それよりもまず、主を信じ、神を信じる信仰を堅く持ちましょう。
イエスさまの福音をあかしするホームページを公開するのに、 自分の力でやろうとしてもうまくいきません。 自分の力でやるのをやめましょう。 自分の考えを推し進めるのをやめましょう。 我力で進むのをやめましょう。 主の前に静まり、祈りましょう。 少年サムエルのように「しもべは聞いております。主よお語り下さい」という祈りをもって 準備にあたりましょう。
すべての活動において、主に栄光を帰しましょう。 自分に栄光を帰するのをやめましょう。 あなたが働くのではなく、あなたが働いたのではなく、 主ご自身が働かれるのですから。
ホームページの準備、公開、更新、それらのすべての活動は主をあかしするチャンスです。 活動を進めるにあたってあなたが人に接する、あなたが学ぶ、 そこからすでに信仰活動ははじまっているのです。
「こんどホームページをはじめようと思うんだ」と誰かに話すとき、 それはまたイエスキリストをあかしするチャンスです。 技術的にわからないことを誰かに尋ねるとき、 それもまたイエスさまの福音を伝えるチャンスです。 公開後、さまざまなトラブルが起こったとしても、 それもまた主が万事益に代えてくださり、 イエスさまのあかしとなるチャンスとさせてくださるのです。
ですから恐れないで。 すべての活動は主のために。信仰の確信をもって歩みましょう。
ホームページを作ろう、という意志が定まったら、 どんなホームページにしようか、と内容をイメージしましょう。 どのような内容のホームページにしたらよいか神さまに祈っていきましょう。 クリスチャンの個人ページといってもさまざまな形態が考えられます。 ほんの一例をあげてみましょう。
「どんなページにしたらよいだろう… 神さまは、他の誰でもない私をどのように用いてくださるだろう」 ということを祈りつつ、インターネット上にあるページをいろいろと見てみましょう。 多くのページを見ていくと、
という思いがわいてくると思います。 そうです。ただ読者としてページを読んでいるのと、 作者の目になって読んでいるのとでは自ずから得るものも異なってくるのです。 「私だったらどんなページにするだろう」という積極的な気持ちでいると、 ただのページ巡りでも、大きな学びの場となるのです。
(そして、ただ批判的に見るだけではなく、 各ページの管理者さんへ励ましのメールを送ったり、 管理者さんのために祈ったりしてくださいね)
このページでは教会の公式ページ(オフィシャルページ)作成のアドバイスはありません。 個人の責任の範囲内で公開するホームページと、 教会の公式ページとして公開されるものとでは重みや責任、 注意すべき点も変わってくると私は思います。 教会の公式ページを信徒が開く場合には、 牧師さんや教会とよく連絡を取り合い、祈り合って作業を進めてください。
もしあなたが信仰のページを開くのであれば、 教会で公にし、牧師さんに祈ってもらって作業を進めるのがよりよい、と私は思います。 一人で信仰的な活動をするのは、さまざまな意味で危険を伴います。 誘惑や、霊的な攻撃や、信仰上の逸脱などの危険にさらされる恐れがあります。 弟子たちも二人一組になって遣わされたことを思い出してください(マルコ6:7)。
ただし、あなたと、あなたが所属している教会の関係がどの程度のものか、 私にはわかりませんので、ご自身で祈りのうちにご判断ください。 結城の考えを律法的にとらないでください。
また、もしもあなたがクリスチャン夫婦ならば、 あなたの配偶者と協力して作業を進めるのがよい、と私は思います。 もちろん、これは夫婦がいつも同じ作業をしなければならないという意味ではなく、 夫婦がたがいによく意志疎通して、たがいの活動について祈り合うという意味です。 夫婦における情報公開はとても大切だと思います。 あなたはネット活動をきっかけとして多くの不品行や不倫が行われていることをご存知でしょうか。 その多くは夫婦間の秘密から来ていると思います。 悪魔に機会を与えてはいけません。 後で述べるようにプライバシーはよく守らなければなりませんが、 オープンにすべき相手には情報を徹底的にオープンにするのが安全だと私は思います。 「夫婦」はその重要ポイントの一つです。
配偶者がノンクリスチャンの場合も、ホームページのことを伝え、 それもまたあかしの機会とするのがよいと思いますが、 これは各人の状況も大きく異なると思いますので、 あなたご自身で祈りのうちにご判断ください。 決して結城の考えを律法的にとらないでください。
ホームページの準備と公開の間にはたくさんのできごとがあります。
ここでは以上の内容については省略します。
さあできた!ホームページの公開だ公開だ! … ちょっと待ってください。 ホームページの準備、作成ご苦労さまでした。 でも公開する前に、もう一度よく祈りましょう。 心を静め、イエスさまにホームページをささげる祈りの後に公開をしましょう。
ホームページを公開した後、自分でよく読み返してみましょう。 今度は「作者の目」ではなく「読者の目」で見るのですね。 不思議なもので、意識して読者の目でみると、 これまで見えなかったまずい点が見えてきたりするものです。 あまりはじめから神経質になるのはよくありませんが、 少しでもよいページになるように心がけましょう。
「ホームページ作りました。見てください」
こういうアナウンスをするのはうれしくもあり、 ちょっとはずかしくもあって、何ともどきどきするものです。 「何て言われるかなあ」「恥ずかしいなあ」「怒られたらどうしよう」 「間違ったこと書いていたらどうしよう」 …そんなことをあれこれ考えてしまうものです。 でも、アナウンスしないと誰も見てくれませんから、 勇気をもってアナウンスしましょう。
はじめは、親しい人、特にいろいろと意見をいってくれる信頼できる人に見てもらうのがいいですね。 検索エンジンに登録したり、 教会の週報でアナウンスしたりして、 「広い範囲の読者」に見てもらう前に、 少数の人に感想や意見を求めることはいいことです。
人の意見は貴重ですから、たとえ耳が痛くても、むっとしたり怒ったりしないでよく聞きましょう。 でもあなたがそのページの管理者ならば、その意見を採用するかどうか、 修正するかどうかなどは、あなたが祈りつつ判断しましょう。 このあたりが個人ページと教会の公式ページとの違いですね。 個人ページは個人の責任と判断のもとで、 教会の公式ページは教会の責任と判断のもとで維持運営されるものです。
人の意見はよく聞く。でも判断はあなたがする。判断の際にはよく祈る。 これがよいページを作るコツです。 あなたという一人のフィルタを通って作られたページは、 それなりの統一感あるものになるからです。 人からもらった意見も自分が納得した上で採用しましょう。 このあたりが、個人ページ作成の面白味です。
「プライバシーに注意しましょう」 というのはホームページ公開やインターネットでよく語られる注意です。 ここで私も「プライバシーに注意しましょう」と繰り返して言うことになります。 何を公開するか、何を公開しないかは、 あなたの自由ですが、以下のポイントに注意してください。
こういった内容をホームページに載せる場合には、 十分な祈りと判断のもとに、 それが意味がある場合にのみ行なうのがよいでしょう。 特に注意しなければいけないのが、自分以外の情報です。 他の人のプライバシーをおかしてはいけません。 所属教会の情報などを公開する場合には、 教会の牧師さんに確認するのがよいと思います。
クリスチャンの「あかし」を掲載する場合には、細心の注意が必要です。 「あかし」には個人的な体験が書かれることが多く、 また他の人が関連する場合も多いからです。 他の人の個人情報を許可なく公開してはいけません。 「あかし」がつまづきにならないように注意しましょう。
「自分のページを見る人は限られているから少しくらい公開しても大丈夫」 というのは正しくありません。 ホームページは意外な人からも見られているものなのです。
ホームページを他の人に読んでもらい、 イエスさまの福音を宣べ伝えるためには「宣伝」が必要です(宣伝って「宣べ伝える」ことなのですね)。 自分の知っている人に「ホームページ作りました」と機会があるごとに伝えましょう。 またメールのシグニチャ(メールの最後の署名部分)に 自分のホームページのアドレス(URL)を書いておくのもさりげないよい宣伝です。
例えば、以下のようになります。
---- 結城浩 <myname@example.com> http://www.hyuki.com/ Pray without ceasing. (Bible, I Thessalonians 5:17)
ここでは名前、メールアドレス、ホームページのアドレス、それに聖句が書かれています。
あなたのホームページはいろんな方が読むことになります。 また、さまざまな方から感想や意見をメールでもらうことになります。 すると、ときおり「教派」の違いによる議論が起きることがあります。 「あなたの信仰はここが間違っている」というメールがくる場合もあるかもしれませんし、 「なぜこういうことを書かないのか」というメールがくるかもしれません。 ご存知のように、同じキリストを信じる教会であっても、 その教会のビジョンと役割に応じて、意見を異にする場合があります。 「教派」とくくらなくても、各個人においても信仰の深さや年齢、 置かれている立場によっていろんな意見があって当然だと私は思います。
どんなメールがきても、うろたえないでください。 また、あなたひとりで対処しようとは思わないでください。 いつも祈りを忘れないで、主への信仰を忘れないでください。 おびえたり、怒ったり、相手を裁いたり、 論破してやろうとか、やりこめてやろうという思いではなく、 愛をもって対処するようにしましょう。 具体的には以下のようなことになります。
あなたの時間がゆるすならば、教派の壁を越えて、 同じ主にある兄弟姉妹とメールなどで交わりを深めるのはよいことだと私は思います。 そこにインターネットの大きな役割の一つがあると思います。 インターネットがない時代には、 遠い場所にいる一信徒とメッセージを交換するのは (特に違う教派の教会に属している場合には) 考えもおよばなかったことです。 でも、どうか無理はしないでくださいね。
異端についても注意が必要です。 異端の方からメッセージを受け取ったり、意見を受け取ったりするとき、 個人的にあなたが深く関わるのは避けるのが賢明です。 もちろん、感情的にならないように注意して、 主に信頼し、あなたの意見や信仰を述べることは大切なことです。 しかし「このメールで相手の心を変えよう」などと意気込みすぎないように注意しましょう。
あなたが特に異端に対する重荷を持っており、 そのための訓練を経ているならば話はまた違います。 いつも祈りつつ、聖霊様の助けを得て、大胆に伝道・あかししてください。
いずれの場合でも、あなたが一人で対処するのではなく、 牧師や兄弟姉妹などの背後の祈りが必要です。 一人で戦おうとしてはいけません。
「あかし」という形で、 神さまの愛・イエスさまの恵み・聖霊様との交わりが、いかに自分の生活に喜びを与えているかを 表現するのはすばらしいことです。 古い自分がどんなに変わったか、大胆にあかしすることも大切です。 それは他の兄弟姉妹へのはげましとなり、 ノンクリスチャンへの伝道となるからです。 また、自分自身の信仰がますます強められることにもつながるでしょう。
ホームページであかしをするときには、先ほども書いたように、 他の人のプライバシーをおかさないように細心の注意を払いましょう。 あかしに登場する人が特定される場合にはその人の許可をとりましょう。 できれば、あかしの文章を信頼できる方に見てもらうとよいでしょう。
あかしでもう一つ大切なことは「悲惨な内容に重きを置かない」ということです。 イエスさまはすばらしい方で、私たちを本当のどん底から救ってくださる方です。 しかし、あかしの文章は書き方によっては、 そのどん底の悲惨さだけに注目が集まってしまう恐れもあります。 真実を大胆にあかしするのは大切なことですが、 イエスさまの恵みの大きさが文章の中心にくるように心がけましょう。 あかしの文章にかこつけた、 他の人への「恨み節」にならないように注意しましょう。
Webには、 ホームページが閲覧された回数を計測するための「アクセスカウンタ」 という仕組みがあります。 インターネットの多くのページではアクセスカウンタを取り付け、 これまでに何人の人が閲覧したか、 「今日」何人の人が閲覧したかなどの調査を常時行なっています。 アクセスカウンタは便利なものであり、 またホームページ運営の励みにもなるものですが、 その反面思いがけない誘惑にもなりうるものです。 すなわち、
一言で言えば、
というこっけいで愚かしい事態に陥ってしまう可能性もあります。 そうなっては、せっかくのホームページが、 神さまの栄光のためではなく、 自分の栄光、あるいは自分の自己満足のためになってしまいます。 自分の信仰の障害になるおそれすらあるでしょう。
もしも、自分がアクセスカウンタにふりまわされてしまうようなら、 アクセスカウンタをホームページから取り外してしまうのも一つの方法です。
アクセスカウンタ以外にも、 インターネットにはホームページに関連して多くのサービスや便利な機能が存在します。 それらを自分のページに採用する場合には、 そのサービスや機能の意味を自分なりによく理解し、よく祈りましょう。
ホームページを公開していると、さまざまな読者からメールがやってきます。 励ましのメールもありますし、そうではないメールもあります。 また「神さまって本当にいるんですか?」という質問のメールがくるかもしれません。 クリスチャンからのメールも来ますし、 ノンクリスチャンからのメールも来ます。
質問のメールをもらったときには、愛をもって対処しましょう。 必ずしも返事をしなければならないわけではありませんが、 どんな場合でも、愛をもって対処しましょう。 文章の内容だけがキリストのあかしなのではなく、 あなたの態度全体がキリストをあかしするのです。 返事すべきではない、あるいは返事する余裕がない、とあなたが判断するときも、 その方のために主に祈りましょう。
返事をするときには、どんなメールに対しても丁寧な文章を心がけましょう。 怒りに怒りをもって返事をしてはいけません。 感情的な文章に感情的に返事をしてはいけません。 日にちをおいてから返事をするのもいい方法です。
相手の字面だけに惑わされてはいけません。 反キリスト的な内容のように思えても、あるいはいたずらメールのように思えても、 その向こうには、もしかしたら悩み苦しんでいる魂があるのかもしれません。 本当の真実を求めている人がそのメールを送ってきているのかもしれません。 ですから、相手の真意をできるだけくみとるように、 相手の本当の心に語りかけるような応答を心がけましょう。
また、読者からの質問は自分が学ぶ機会でもあります。 可能なら、資料にあたったり、聖書にあたったりして学ぶ機会としましょう (そしてよい学びの機会となりました、と相手に感謝しましょう)。 でも、無理はしすぎないように。
ノンクリスチャンへの伝道もさることながら、 クリスチャンとネットで御交わりができることもホームページを開く喜びの一つです。 ただし、これもまた、主にある愛をもって交際するように心がけましょう。
オンラインだろうが、オフラインだろうが、人は弱く、罪深いものです。 また誘惑に陥りがちなものです。 人を裁いたり、悪いことをしたりする存在です。 ネットで人がきよくなるわけではありません。 いつも主に祈り、神さまを信じ、人をゆるしましょう。
Web上で公に意見の交換を行なう仕組みとして「掲示板」というものがあります。 オンラインで気軽におしゃべりしたりできるので、 とても楽しいものですが、掲示板の運営にはそれなりの注意が必要です。 どうしても人間関係のもめごとや、 異端やオカルト関係の人の書き込みなどが出てくるからです。 ホームページをはじめてすぐには掲示板を持たない方がいいかもしれません。 他の人とのやりとりの場数を踏んでから、チャレンジしてみるのもいいでしょう (でも、これもまた、祈りのうちにあなたが判断してください)。
通常、個人のホームページを公開してしばらくすると、失望の時期がやってきます。
ホームページ管理者にとって最もつらいのは「無反応」です。 励ましのメールでも、辛口のご意見でも、何か反応があると嬉しいもので、 ホームページを開いているかいがあるというものです。 でも、無反応はつらいものですし、 ページの内容を更新する意欲がなえてしまうものです。
でも、すぐにはあきらめないでください。あなたは種まきをしているのですから。 十分に耕し、種をまいて、日々の世話をしているなら、主が芽を出させてくださいます。 宣伝をしたり、知り合いにメールで近況をアナウンスしたり、 教会のイベントを(教会の許可をもらって)紹介したり、 他のクリスチャンページとのリンクを張ったり… いろんなアイディアを出して、それを試してみましょう。
たくさんの人が押し寄せてこなくてもいいのです。 あなたの開いたページを通してたった一人でも「教会に行きたくなりました」 「聖書を読もうかと思います」「今度洗礼を受ける決心がつきました」 という方が起こされればいいと思いませんか。 いや、それも言い過ぎかもしれません。 私たちはみな「種まき」をしているのです。その種がどのように成長し、 そのように花開き、どのように実を結ぶかは主がご存知です。 もしかしたら、私たちのまいた種が実を結ぶのを私たちは見ないかもしれません。 洗礼を受ける人が「思い返すと、私の信仰のきっかけというのは (もうURLも忘れてしまったが)あのホームページだったなあ」 ということでもいいではありませんか。 私たちにはわからなくても、主はご存知です。 ですから、あきらめずに、熱心に、根気強くホームページで伝道を続けましょう。
主の恵みによって、あなたのホームページを通して救われる方が起こされるかもしれません。 しかもそのことがあなたに伝えられるかもしれません。 「あなたのホームページを通して主を信じました」 というメールが来たら、それは何と大きな喜びでしょう。 そして、そのときこそ、主に栄光をお返ししましょう。 自分に栄光を帰すのではなく、主の御業をほめたたえましょう (参照ヨハネ4:42)。
ホームページの更新は、流れに乗ってくるととても楽しいものです。 ページの更新、メールのやりとり、掲示板での応答…時間がいくらあっても足りません。 他の人からはげましを受け、感謝され、主のために働いているという自覚は大きな喜びです。 でも、今度はそこがつまづきにならないように注意しましょう。
ネット中毒に用心しましょう。 あなたの人生のすべてがネットワークの上にあるわけではありません。 あなたにはネットの外でのあなたの義務があります。 毎日の仕事や学びがあり、教会活動があります。 聖書を読む時間があり、祈りの時間があります。 ネット以外の人との交際もあります。 家族との交わりもあります。 それを決して忘れてはいけません。 ホームページ更新が信仰のつまづきにならないように、 あるいは家族の断絶の原因とならないように十分に注意しましょう。
ネットを神にしてはいけません。 優先順位を間違えないようにしましょう。 「神への奉仕」と自分に言いわけして、日常の義務を怠ってはいけません。 日常の問題から逃避してはいけません。 よく、神さまに祈りましょう。心を開いて、主に来ていただき、主に探っていただき、 自分の本当の進むべき道をいつも主に示していただきましょう。
さまざまな事情により、ホームページを閉じるときがあります。 しかし、ホームページを開いたのが主のためであるように、 閉じるのも主のためであることを確信しましょう。 どんなことも、どんな小さなことも、主のあかしとなるように心がけましょう。
可能なら、ネットでごあいさつしてからホームページを閉じましょう。 またいつか、どこかで再会するかもしれませんから (クリスチャンとは御国で再会することは約束されていますけれど)。
インターネットではホームページ以外にも伝道の場がたくさんあります。 メールマガジン、メーリングリストなどを運営したり、 またそれらに参加したりすることで、兄弟姉妹の働きを助けることも大切な働きです。 どんな場所にあっても、どんな状況であっても、 割ける時間がどんなにわずかであっても、主はそれを用いてくださる方です。 ですから、信仰をもって、祈りをもって、さまざまな活動を通して主をあかししましょう。
ホームページを公開することだけがあかしではありません。 インターネットだけが伝道の場ではありません。 あなたの日常生活のすべてがイエスキリストのあかしであり、 あなたの行く所がすべて伝道の場なのです。
あなたのすべてがイエスさまに用いられることをお祈りして筆を置きます。 お読みくださってありがとうございました。