結城浩
2004年8月3日〜18日
本を書いている。
[lo]の章。 材料はファイルに突っ込んであるので、 あとは書けばよいだけ…のはずなのだけれど、 難しいものですね。 材料を見渡すときにはたくさんのことを頭に入れているけれど、 実際に書くときには、たくさんの材料のことをいったん忘れ、 1つの例題に集中しなくては書けない。 この「忘れる」っていうのが難しい。気が散っちゃうから。 意識的に頭のクロックを落とそう。ゆっくりタイプするのがよいかも。
クロックダウンという技法。
本を書いている。
最近、ふと思い立って『クリエイティヴ・ライティング』を読み返してみた。 この本は読むたびにとても元気になる。元気になるだけではなく、どんどん文章を書きたくなる。 もう何十回も読んでいるけれど、飽きない(短期間で繰り返して読もうとは思わないが)。 私が「文章を書く心がけ」という文章を書いたのは、たぶんこの本を最初に読んだころじゃなかっただろうか。
本を書いている。
どうにもこうにも[lo]の章が固まらないので、もうずっと格闘である。 ちょっと気を緩めるとものすごい分量になってしまうし、 引き締めすぎると表面をなでただけのつまらないお話になる。
ん、もう!!
毎日、毎日、
「この章で私は何を言いたいんだろう、何を書きたいんだろう、何を伝えたいんだろう」
と自分に本気で問わなくちゃいけない。祈りつつ、祈りつつだ。 「あれも、これも、あったほうが何となくよいなあ」や「こう書いたほうが自分がcleverに見えそうだ」という気持ちは蹴飛ばすんだ。
どんどん書いて、どんどん削る。どんどん書いて、どんどん削る。
考えたことは全部ぶちこんで、本当に必要なもの以外はばっさり捨てちゃう。 そうやってぐちゃぐちゃやった後で、あの人に伝えたい何かが残っているなら、 それを大切に大切に磨き、光らせていこう。
ぎゃーぎゃー言いながら書いている。 毎回、新しい本を書くのは新しいチャレンジだなあ。 やれやれ…。といいつつも、本人は楽しんでいるらしいけれどね。
自分の中の「恐れ」(うまく書けないんじゃないか、破綻するんじゃないか)を蹴飛ばし、 自分の中の「おごり」(へへへ絶対にうまくいくぜ。どんなもんだい)を蹴飛ばし、 ていねいに、淡々と、大胆に、細心に、精密機械のように、草原を渡るすがすがしい風のように、 言葉をつむいでいきたい。
お昼はスパゲティ。
午後からマクドナルドで本の原稿書き。 今日も今日とて[lo]の章との格闘である。 ちなみに[lo]の章は(まだ)第2章なのですよ。やれやれ。
しかし、今日は[lo]の章の書き直しが非常にうまくいった。 もういちど大所高所から見直したのが功を奏した模様。 すくなくとも冒頭部分(5分の1)はすべて書き直したけれど、 いままでよりも格段によくなった。 やっぱり、いいたいことをぎゅううっと絞って、そのことにフォーカスを当てたほうがよいのだ。
それから、私の場合には「恐れ」の克服だな。大切なのは。 こういう書き方をしたら、誰か(って誰?)から怒られるんじゃないかという意識があるのだ。不思議に。 それを恐れてしまって、通りいっぺんの説明になってしまう。どこかで聞いたような説明になりがち。 そうではなく、自分の心の奥底からやってくる「これは、こうなんだよ!」という深い主張・納得の塊・物事の本質をぶちまけるほうが、ぐっと来るよな。 もちろん、後から「内なる編集者」(最近のWeb用語ですと「中の人」っていうんですか?)がトコトコやってきて、体裁は整えるのですけれど、 その前にはとりあえず、言いたいことを書いちゃうのが大事かと思います。>自分
それから最近の発見としては、構成を考えすぎるとよくないみたい。 最初っから論理の流れを想定すると、すごく不自然になる。 全体から攻めるのではなく、詳細から攻めるほうがうまくいく。 コンセプトから攻めるのではなく例から攻める。 実例は嘘をつかない。 よい例を見つけ出し、それを提示し、ていねいに(愛をもって)読者に「何か」を伝えようとしてみる。 すると自然に(=理由は説明できないけれど)、適切な順序で言葉を見つけることができそうだ。 構成から先に考えると、余計な(興味深いけれど、当座の役には立たない)話題ばかりがメモとして累積してしまうようだ。 なまじっか興味深いだけに、削除するのがしのびなくて、かえって害をなす。
まとめよう。
あれ?
あれれ?
こういうの、以前にも書いているぞ…。
(ごそごそ)
これだ。
ちょっと違うけどね。
夜21時前に眠り、夜中0時過ぎに目を覚ました。 奥さんが咳をするので「お茶を持ってこようか?」と聞くと、奥さんはうなずく。 暗い中でうなずいてもしょうがないと思うのだが、気配で分かる私も私だ。 「冷たいのでいい? あっためようか?」と聞くと、奥さんはううん、と首を振る。 暗い中で首を振ってもわからないよ、と突っ込みを入れつつ「わかった」と答える。
食卓にコンピュータを運び、昨日の原稿書きの続きをする。 原稿書きというか、原稿読みだね。 新しい文章を書くのはおっくうなものだが、以前書いた文章を読み返すのはそうでもない。 そして読み返しているうちに頭のエンジンがかかってくる。 2時間ほどかけて、昨日書いた分の何箇所かを書き直す(+131行, -131行)。 うん、書き直したところに関してはまあまあよし。 ちょっぴり、手ごたえがあった。 もしかしたら、今回の本はじめての手ごたえかも。
なかなかよろしい。感謝、感謝。
礼拝から帰ってきて、また文章を読み返す。 うん、よい感じ。スタートが固まったから、その流れでうまく章が進みそうだ。 しかも、枠ぐみがしっかりしたから、軽い枝葉を乗せても大丈夫かも。 しかもしかも、形式的に説明したところでさえもvery practicalな力を帯びてきたかも。 このまま[lo]の章を走り抜けられるとよいなあ。
そうだ、昨日の午後の話を書いておこう。
昨日の午後、仕事に行く前のこと。 私は奥さんに対して度を越したからかいの言葉を投げてしまった。 奥さんは機嫌を損ねたけれど、私に対して特に反撃はしなかった。 私はそのまま仕事に出かけた。
帰り際、いつもは寄らないパソコンショップに立ち寄り、 いつもは買わないプリンタの紙を買った。 買うときに一瞬だけ「ちょっと荷物になるから買うのはやめようかな」と思ったけれど、 買った。 重くてかさばるけれど、まあ大したことはないと思った。
歩いて帰る途中、いつもと違う道を通って帰ろうとしたら、 急に雲が出てきて大粒の雨になった。 あ、まずいな、紙が濡れちゃうな、と思うまもなく、前もよく見えない土砂降りになった。 折りたたみの小さな傘を開いたけれど、まったく役に立たない。 しかも、いつもと違う道なので、帰る方向がよくわからない。
ずぶぬれで、重い荷物を抱えて、ぐるぐると道を回りながら、ふと思ったこと。
…さっき、奥さんに悪いことしちゃったな。
…申し訳なかったな。
…言い過ぎたな。
やっとのことで家にたどりつき、 ずぶぬれのまま、インターネットをしている家内のところにいって、 私は「ねえ、これって、奥さんを大事にしなさいってことかな」と言った。
奥さんは、にこにこしながら私を見て「こんな天気、めったにないのにね」と言った。
本を書いている。
午前2時から午前4時くらいまで、[lo]の章と格闘。 格闘しているときにインタラプトされないというのはとても重要。
ほぼ決着はついた。 ちょっと「書きすぎ」の状態で最後までいったので、 あとは頭がすっきりしているときに枝刈りとお化粧直しをすれば、 [lo]の章は一区切りとなる。 まだ「大変よろしい」とはいえないが「なかなかよろしい」くらいにはなっているだろう。 もう少しで、次の章[mo]に進むことができる。長かった…。
感謝です…。
感覚としては、はじめに[lo]に盛り込もうとした内容の1/3か1/4くらいにぎゅうっと絞り込んで、 適切な例と解説でわかりやすく広げた感じ。そうすると、この章で述べるべきことがクリアになった (まだクリアさは足りないけれど)。 昨日も書いたけれど、この章の悪戦苦闘の教訓は、 頭で作り上げた内容ではなく、適切な例から必然的に流れ出てくる内容を大切にせよ ということだろう。 もっとも、悪戦苦闘の時間がなければ、よい例が見つからなかったんだけれどね。 ともあれ、この教訓は次の[mo]の章を書くときに必ず生かすようにしよう。
本を書いている。
早朝の続きで[lo]の章。またまた最初から読み返し、こまごまと修正する。これはお化粧直しである。 細かい言い回しを直し、冗長な部分を削り、用語統一を心がける。 そういうことをやっていると、練習問題を思いつくのでそれをファイルの末尾にメモする。 [lo]の章半分までお化粧直しが済んだところで根気が尽きて一休み。
できあがってくると、章の構成が「当たり前」に見えてきて、 どうして最初からこの形にできなかったのかと首をかしげる。 不思議なような、不思議ではないような。
ちなみに、原稿を書くときには秀丸を使っている。 でも読み返すときには、毎回プレーンテキストをLaTeXに変換し、PDFを作っている。 きれいなフォントとレイアウトで読み返すと、エディタとは違う視点で読み返せるのでよい。 ひとむかし前のコンピュータでは、LaTeXをこまめに掛けるなんてことはとてもできなかった。 でもいまでは、一日に何十回もLaTeXを使っている。素晴らしい。ありがとう>世の中のみなさま。
本を書いている。
まだ、[lo]の章を書いている。 不要な部分を削るつもりが、どんどん増えていく。 まずいなあ。でも、まずは書いちゃおう。 それから一貫性を失わない単位でばっさり削ることにしよう。
うん、それでいいの。いいの。いいんだってば。 時間はたっぷり使うんだから。無駄に見える書き込みも、長い目では無駄にならないんだから。 先を急いでもしょうがなんだから、いいんだってば。 そうそう。いざとなったら、全部ぜーんぶはじめから書く!というくらいの気持ちで。 いつも。
それいけ!
本を書いている。
いまだに[lo]の章を書いている。 1つの節を書き直してストレッチをし、 また別の節を書き直してストレッチをする。 適切な用語を探す調べものをしてストレッチ。
[lo]の章、どうにも長い。 長すぎる(ファーブルの『博物誌』みたい…ルナールだっけ誰だっけ)。 どうにも長すぎるねえ。 うーん、いったん頭をクールダウンしてからのほうが削るべきところを見つけやすいかも。 じゃあ、明日から[mo]の章に入ることにしようか。
とにかく[lo]の章が形になったのはうれしい。 ほかの章もこの調子でやっつけよう!
…でも今日は眠いから寝よう。
おやすみなさい、よい夢を。
本を書いている。それから、連載原稿も書く。
[lo]の章はプリントアウトして朱を入れる作業に入る。
今日から[mo]の章に入る。といってもすでに題材は仕込んである。 いつ描いたか忘れたけれど、図版もすでに何点かできている。 先日の教訓を活かし、自分が頭で作った構成はいったん忘れ、例題をていねいに解説する。 そうすると自然に説明すべき概念や、導入すべき用語が出てくるので、 それを鳥捕りのおじさんのように捕まえていく。
鳥捕りのおじさんって知ってますか。
私は学生の頃、YMOの誰かだったか冨田勲だったかがシンセサイザーで演奏した「銀河鉄道の夜」という曲を聞いた。 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を元にした曲だ。 その中に、鳥捕りのおじさんの曲があった。 私は、のんびりしていてどこか間抜けなその曲が好きで、次のような歌詞をつけた。 今でも歌える。
鳥捕りのおじさん 鳥捕って過ごす
鳥捕りのおじさん 鳥捕って過ごす
白い鳥から 白いお菓子
黒い鳥から 黒いお菓子
空から言葉がやってくる。それを捕まえる。その言葉から、お菓子ができる。
それが、私のお仕事です。
全部の章をざっと見直して、構成を整える。 教訓を元にして例題を中心に据え、題材を絞り込む方向で整理。
[mo]の章を、じわじわと書き進める。 一節書き直してはPDFにして、じいっと眺める。読者の気持ちになって読み返す。 粘土をこねるように、その節をこねまわしす。 またPDFにして、じいっと眺める。その繰り返しをえんえんと続ける。 気の長い話だ。でも楽しい。
短いインターバルで、何度も何度も同じようなことを繰り返し、 繰り返しているうちに、少しずつ少しずつ、本当に少しずつ望む方向に変化していく。 よくなっていく感触がつかめると、どんどんおもしろくなってくる。
ん?
これって、本を書く話とストレッチの両方に通じるね(今日の発見)。
木曜日は黙々と仕事。 連載原稿書きと[mo]章書き。
例は嘘をつかない。例を頭の中で考えるだけではなく、 きちんと言葉と図にして表現してみよう。 そうすると、その例が示している事柄がはっきりとする。 で、そのはっきりした事柄は、実は最初に自分が頭で想像していた内容とは違うこともある。 きちんと表現することは大事だ。とても大事。
「例は嘘をつかない」という話を、私は以前書いているはずだ。grepする。あった。
これは Javaのマルチスレッド本を書いているときの日記だね。 Active Objectパターンを書いているときの話だ。 「自分の理解」と「例を作る」とを関連付けて書いている。
本を書いている。
[mo]の章を書く。先日書いた節を読み返して書き直し。それから図を描く。 じっと読み返して気になるところを書き換える。 そしてまた読み返して気になるところを書き換える。 そしてまた…。
昨晩は妙にいらいらして、私の機嫌が悪かった。 なので、奥さんに「私、機嫌が悪いみたいだから、もう寝ちゃうね!」と宣言し、 子供の世話や後片付けや戸締りを全部放り出して、とっとと眠った。
眠るのはとてもよい。目が覚めたら、機嫌がよくなっていた。 頭も心もガベージコレクションがすんだあとのヒープのようにさわやかだ。 眠るときにはリファレンスカウントではなくマーク&スイープがよい。 時間はたっぷりあるし、自己参照ループに陥っているセル群もコレクトできるからだ。
奥さんに、昨日は機嫌が悪くてごめんなさいと謝る。 昨日は、 リファレンスカウントによるガベージコレクトしかできなかったんだ、 とは言わなかったけれど。
本を書いている。
[mo]の章をまだまだ読み返している。でも、少しずつ形になってきているのでうれしい。 実例をベースにして、それをていねいに説明しようとしてみると、この章で何がポイントなのかがよくわかってくる。 一見それは順番が逆のようなのだけれど、そうではない。これが正しい順序なのではないだろうか。 実は「実例」のほうが偉いのだ。
※このとき書いていた本は、2005年に 『プログラマの数学』という形で出版されました。