結城浩
2002年1月25日
くたびれて電車に乗っていると、 あんなこと、こんなことを文章に書いてやろうと思うのだけれど、 実際に自由に使える時間になってエディタに向かったときには、 その感興は失せていて、何も書くことを思いつかなかったりする。 話すように書くのが好きだ。私は話すように書くのが好き。 実際、文章を書いているときには、誰かに向かって話しているような気がする。 誰かはわからないけれど。口も動かしているわけではないけれど。 私の頭の中では、誰かに話しかけているような気がする。 話すように書いてまっとうな文章になるわけはないのだが、 書いてみると、まあそれなりに読めるものになっているし、 下手に校正すると「勢い」のようなものが失われてしまうし、 日記だからいいか、などと思いながらそのままWebにのせてしまうこともしばしばある。 忘れられないのは、東京で一人暮らししていたときのことだ。 1987年。 そのころ彼女とつきあってはいたけれど、まだクリスチャンではなく、 プログラムをばりばり書く仕事をしていたけれど、 まだWebページはもっていなかった。 朝から晩まで、いや夜中までプログラムをがりがりと書いていて、 その合間に原稿書きをしていて、でもまあ充実していたような気分の時代だ。 恐ろしいのは仕事ではなく、仕事がない休日だった。 朝から何だか落ち着かない。 ゆっくり過ごせばいいものを、ついx86のアセンブラでconデバイスを作ったりして過ごしてしまう。 昼になると近くの商店街の中華屋でニラレバいため単品とビールを頼む。 昼からビールを飲むのは、苦しいからだ。 出されたザーサイをつまみにビールを飲む。 何が苦しいのか、自分でもよくわからないのだが、 たぶん、自分が何をしていいのか、何をすべきなのか、自分が誰なのか、よくわかっていなかったのだと思う。 私は何をすればいいのか。 今日おもいついた何か、ではなく、 おとといもしていて、昨日もしていて、今日もして、明日もしている何か。 私はそれを求めていた。 私はどこにいて、何をすればいいのか。 もちろん、仕事としてプログラムを書いたり原稿を書いたりしてはいた。 でも、それでも、何かが苦しくて、昼からザーサイつまみにビールだ。 ビールでほろよいになると、アパートに帰って、万年床にごろりとなる。 そしてうすっぺらなノートを取り出す。 近所の文房具屋の店先に売っている5冊で300円のノート。 B5版の、5冊がぜんぶ別のパステルカラーになっている安っぽいノート。 手近にあったボールペンで、私は考えることをぜんぶそこに書いていく。 まずは日付け。そして1行あけて、書く。考えることをぜんぶ書く。 最初に書くのは、たいてい「私は何をしているのだろう」という意味の文章だ。 私は何をしているのだろう。私は何やってるんだろう。 こんなに狭いアパートで、昼間っから酔っ払って、誰に読ませるでもない、 何の役にも立たない文章を書いて、私は何やってるんだろう。 ノートを開いて、まずそういう話をぐちぐち書く。 それから、彼女に対して自分がどういうことを考えているかを書く。 そして、信仰のことや、聖書のこと、プログラムのことや文章のことを思いつくまま書いていく。 いま、2002年のいま、Webに向かって書いているのと似ているようなことを、 当時の私はうすっぺらな、パステルカラーのノートに向かって書いていた。 自分が弱い人間だということは、当時からよくわかっていた。 意志も弱いし、優柔不断で、しょっちゅうこけてばかり。 すぐに不安になるし、でも人からはほめてもらいたい。 勉強は好きだけれど、細かい調べ物は苦手。 自分が書いた文章を読み返すのは大好きで、人に見せるのも大好き。 人にものを教えることは大好きで、なかなか上手でもある。 自分ではくよくよ悩むことが多いのだが、 他の人からはいつものびのび楽しそうにしているように思われがち。 人の話を聞くのがうまいが、返す刀で自分の話をたんまり聞かせる傾向も強い。 そんなふうに書いてみると、当時の私と現在の私の間にはそれほど大きな違いはないように思う。 でも、それと同時に、天地ほどの違いがあるようにも思う。 当時の私はまだ結婚していなかった。もちろん子供もいなかった。本も書いていなかった(書こうとして挫折していた)。 神さまのことを学び始めてはいたが、洗礼は受けていなかった。 現在の私は結婚していて、子供が2人いて、本は10冊ほど出版している。 そして洗礼を受けてから14年ほどになる。 時はめぐる。時はめぐる。夢のようにめぐっていく。