結城浩
2000年6月25日
翻訳と書き下ろしの書籍原稿を書く。
構成がまずいなあと感じていたり、 全体的に沈滞ムードが漂っているときなど、 書きはじめるのはおっくうなものだ。 また、特に、仕事に取り掛かるのがいやになってくる。 そういう経験はどなたにもあると思います。
結城は以前「文章を書く心がけ」で書き始めることのつらさについて少し書いた。 そのときは「書こうとせず、読もうとしよう」と書いた。 「書こう」と思うとつらいから、 まずは「書かなくてもいいから読もうよ」と自分を「だます」のである。 でも、近頃は自分もなかなかだまされなくなってきているのである。 やれやれ。 最近気がついたのは、 (同じことなのだが) 「いやだいやだと騒いでいる自分を捨てる」という技法である。 「原稿書かなくちゃ、読まなくちゃ。いやだいやだ」と騒いでいる自分がいる。 昔はそのような自分をなだめたり、すかしたり、だましだまし仕事をはじめていた。 でも、最近はそのような自分に耳を貸さず、 自分の中の自分をポイとすてて、 さっさと機械的に仕事をはじめてしまう方がよい、 と気がついてきた。
ナルニアに向かうとき、 その多くは、自分の感情や状況に関わらず「入り込んでしまう」ことが多い。 衣装箪笥を抜けるとき(『ライオンと魔女』)も、 絵の中の海に落ちるときも(『朝びらき丸東の海へ』)、 そして鉄道の…も(『最後のたたかい』)。 それと関係があるような、ないような。
全部自分でコントロールしようとしたり、 全部自分の支配下に置こうとしたりすると、 かえって苦しくなるのかもしれない。 仕事なんて、時間が来たら、とっととはじめるのがいいのだ。 もともと好きでやっている仕事。 うまくいかなくても、実際の事柄にぶつかっているうちが花なのだ。 仕事もはじめずに、うーだのあーだのいっててもしょうがない。 自分をいくらなだめても「執筆前の最適な精神状態」になんか、 百万年たってもたどりつくわけがないのだ。
むしろ、自分の内面と折り合いをつけるのは、 一仕事終えて、ほっとしたときの方がいい。 ぽんぽんと自分の肩をたたき、自分の頭をなでてあげて、 「ほらね、何とか今日の分は進んだでしょ。ご苦労様。 神さまに感謝しようね」 と自分に語りかけるのだ。 そして、そのように自分を導いてくださった神さまに感謝し、 今日一日分の仕事を神さまに捧げる。
これも、一つの心がけかな。