Truthさんの「あかし」

クリスチャンの「あかし」をご紹介しています。

私が始めてキリスト教に触れたのは幼稚園のときでした。 母が、家から近いから、という理由でミッション系の幼稚園に1年間通うことになりました。 幼稚園では毎朝賛美歌を歌い、クリスマスにはキリスト誕生の劇をやったことを覚えています。 その後、キリスト教とは離れていましたが、10歳くらいまでは神様を信じ、夜寝るときに神様のことを考えたりしていました。 しかし10歳を過ぎる頃、「誰も神様がいるって言わないし、神様の話をしない。神様はいないんだ。」と考えるようになり、 本当に神様から離れた生活をするようになりました。

高校を卒業し、2年間英語の専門学校に通い始めました。 そのころもまだ神様を信じていなかったのですが、 その学校にクリスチャンの先生がいて英語の勉強に、と英語と日本語の無料の聖書を配ってくれました。 そのときその聖書を使って勉強はしませんでしたが、その聖書はずっと私の本棚に残ることになりました。

その後社会人を3年間経験し、語学留学のため渡米し、1年間滞在しました。 そのときもキリスト教を求めていたわけではなかったのですが、 クリスチャンの家庭に1週間滞在させてもらったり、クリスチャンの主催するピクニックなどに参加したりして キリスト教に触れる機会が多くありました。 その頃も全く頑なな心で冷めた目でクリスチャンの人たちを見ていたように思います。 しかし、日本では使わない、「God loves you」, 「God bless you」という言葉を互いに言い合っている彼らの生活に興味を持ったのも事実で、 彼らの優しい心ある接し方を忘れることはありませんでした。

帰国後再就職をし、その後約5年間一つの会社に勤めることになりました。 外資系企業で、華やかなように聞こえますが利益優先の冷たい会社でした。 運の悪いことに私の周りの一緒に働いている人たちも、できるだけ他の人に仕事を振り、自分の負荷を軽くすることばかり考えているような人がほとんどでした。 あるとき同僚が「やさしそうな人だからこそ使わなくちゃ」と言ったとき、ある種のカルチャーショックを受けましたがだんだんそのような環境にも慣れてしまい、悲しいことに私もその法則に従うようになっていました。 誰かに仕事を不当に振るということは自分にも不当に仕事が回ってくるということです。 忙しいときは夜中の3時まで仕事をしたこともありました。 土曜、日曜がなかった時期もあります。一人で生活をしていましたので食事も外食がほとんどになり、不規則な生活をする日々が続きました。 そのような生活が長く続くわけがありません。

私はとうとう自律神経失調症になり、会社を辞めることになりました。 体もぼろぼろでしたが心もささくれ立ち、砂漠のようにからからに乾いていました。 つらいときにこそ親は助けてくれるものだ、と信頼していた母親も忙しかったこともあり、 私の病気を理解してもらえず、結局一人で半年間療養をしなければならなくなりました。 家で一人で臥せっているとき、私は宙に手を伸ばし、「誰か助けてください」とよく言っていました。

そのような生活をしばらく続けているうち、私は本棚にある学校でもらった聖書を読み出すようになりました。 そしてある日家から歩いて5分くらいの所にある教会に足を運びました。 私は教会に入る勇気がなく、教会のドアの前を通り過ぎようとしたのですが、 そのときちょうどその教会の牧師先生がドアをあけたので、「お話を伺いたいのですが」といってしばらくお話をさせていただきました。 そのとき牧師先生が「人間の愛には限界があるからね。」とおっしゃいました。 私はそこで自分が人間から100%の愛をなんとかして求めようとして苦しみに陥っていることに気付かされました。 自分自身も100%の愛を他の人にあげることができないのに他の人から100%の愛をもらえるわけがありません。 神様だけが100%の愛をお持ちです。

私は体調が悪くその教会にいくことはなかなかできなかったのですが、 牧師先生は定期的にニュースレターを送ってくださりました。 そのうち日曜日の朝に「ハーベストタイム」というキリスト教の番組をやっていることを発見し、 視聴するようになりました。 そして牧師先生から「私は朝起きるとまず聖書を開いて読むのよ」という言葉を聴き、 私も朝ではありませんでしたが毎日聖書を読むようになりました。 この療養の期間は聖書、ニュースレターとTV番組の中から神様からのメッセージと愛を多く受け取りました。

半年の療養生活を終えたのですが、まだ体も本調子ではなく、すぐに仕事に戻りたくなかった私はオーストラリアのPerthへ留学をすることを決めました。 めまぐるしい日本とは違いのんびりした雰囲気のPerthは本当に私にあっていました。 最初の3ヶ月間ホームステイをしていたのですが、一緒にホームステイをしていたブラジルの女の子が近くの教会へ誘ってくれました。 聖書は読んでいたのですが、クリスチャンになろうとは全く思っていませんでしたので最初はしぶしぶ通っていたのですが、徐々に癒されていく自分を感じました。

5ヶ月が過ぎ、最初の1セメスターを終え、夏休みがやってきました。 経済的に余裕がなく観光することもできなかったので教会の無料英会話に通うことにしました。 その頃神様の存在には気付いていたもののイエス様の存在の意味はぼんやりとしたものでよく理解していませんでした。 しかし英会話の勉強の後の聖書のお話の中で、「私たちは被告人で裁判を受けており、 有罪の判決を受けたとしたとき、イエス様は〔私がその人に代わって罪をうけます〕と名乗り出てくださる方 」という説明を聞いたとき、 とても深くイエス様の存在の意味を理解することができました。 そして英会話教室に通うごとに今まで分からなかった聖書の意味を理解するようになりました。

しかし洗礼をする決心はつかず、「私は洗礼をしなくても神様を信じイエス様を信じ、聖書があれば主とのつながりがあるのだからそれで良いのではないか」と思っていました。 しかし主は私をあきらめませんでした。 ある日、私は涙を流しながら「どうか私の罪を許してください」と心から祈っていました。 そしてその祈りの直後、聖書を開くと「さあ、なぜためらっているのですか。 立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。使徒22:16」と言う箇所にあたりました。 私は「あぁ、神様はいらっしゃる。」と思い、素直に洗礼をうける決心をすることができました。

私は人から「こうしなさい」と言われると素直に受け取ることができない性格です。しかし 神様は私の性格をよくご存知で私に一番合う方法でゆっくりと時間をかけ私に手を差し伸べてくださいました。 オーストラリアのパースに私を導き、私を救っていただいたことに神様の愛と奇跡を感じ、本当に感謝しています。

詩篇 107章 1〜16節

受洗日:2003年7月13日

(2004年8月2日公開)

豊かな人生のための四つの法則