> 結城浩の日記 > 2007年8月 | 検索 |
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自動書記。 原稿出した。ふみ。 原稿のはじめにいつも近況を書く欄があるのだけれど、いつも悩む。 近況と言われるとつい「原稿を書いている。〆切が〆切が」と書きたくなるからだ。 〆切が迫っていると原稿を書かなければならない。 「ねばならない」になると原稿に向かうのが苦痛になる。 かといって、原稿を書く気分になるまで待っているわけにはいかない。 時間がないからでもあるし、「原稿を書く気分」などに自然になるわけはないからだ。 そこで長門結城の登場ですよ。私は機械のようなもの、という意識始動。 無表情になって机に向かい、コンピュータをオンにしてエディタを開き、 原稿の一行目を書く。二行目を書く。 図が必要になったら図を描く。一覧表が必要になったら一覧表を作る。 後で書くべきことに気がついたらメモしておく。 そして一通り最後まで行ったら、ファイルサイズを見る。 足りなければ、もう一度始めから読んで足りないところに書き足す。 多すぎれば、もう一度始めから読んで冗長なところを整理する。 ファイルサイズを見て、適正な量だったならエディタを閉じて、 ファイルをアーカイブして編集部にメールする。 長門結城モード終了。情報連結解除。
H.YUKI> また図書館に
自動書記。勉強ノートを読み返す。勉強になる。 勉強ノートといっても、実際のノートではなく、 コンピュータのファイルになっている。 それをプリントアウトするのである。 最近は手描きの図をスキャナで取り込むようにもしている。 必要に応じてプリントアウトするのだ。 ちょっと出かけるときなどに勉強ノートをプリントアウトして ポケットに突っ込んでいく。 電車の中や、バスの待ち時間、食事をしている間などに、 その勉強ノートをちらちらと見る。 たいへん面白い。当然である。 参考書を読んで自分がなるほどと思ったことだけを抜粋しているからだ。 面白くないわけがない。濃縮なるほどジュースである。 おもしろがって読んでいると、ふと思いつくこともある。 そしたら、プリントアウトした勉強ノートに思いつくことを自由に書く。 書き込む。新たな展開、より良い比喩、適切な具体例、他のメモとの関係…。 そのようにして、自分の頭を自由に動かしているとき、 勉強って本当に楽しいと思う。掛け値なしに楽しい。 いつも思うのだが、自分が考えていることは、 きっと他の誰かがすでに考えているだろう。 でも、他ならぬ私が「なるほど」と納得することに意味がある。 自分が本当に理解していなければ、 ほかの人に説明する文章は書けない。 喜び、喜べ。学び、学べ。 ここまでで五分。自動書記終わり。
気がつくと日記をしばらく書いていなかったので、五分間だけ自動書記。 先日、家に帰ると長男がプログラムを書いていた。 私のC言語プログラミングレッスンを読んでいた。 コンパイラがインストールされていなかったようなので、Borlandのフリーのコンパイラをインストールした。 九九の練習プログラムをコンパイルしてみせて、 動かして、 「正解が連続したときには表示されるメッセージを変えてみよう」 という課題を出す。 今ひとつわからなかったようなので、if文のスケルトンだけ作って、 「ここの条件式には何が入る?」という問いかけに変更。 そんなこんなで長男と楽しいプログラミングの一時を過ごした。 言葉、言葉、言葉。 言葉を介してメッセージを伝える。 言葉を介して気持ちを伝える。 でも、情報伝達が目的なのではない。 言葉を交わして、このひとときを共有することが、何ともいえず心地よい。 つまりは、言葉は「場」を作っているのである。
夜遅く帰ってみると、 「次男が家内に」本を読み聞かせしているところだった。 何だか楽しそうだ。 お風呂から上がるころには、家内も次男も眠っていた。
食卓のテーブルで本を読んでいると、 長男が何となく所在なさげにしていたので、 「背中を押そうか?」と提案してみる。 「押して」というので布団に長男を寝せて背中を押す。 その間、長男は、きょう考えたさまざまなことを教えてくれた。 私は私でいろんなことを考えてきたように、 彼も彼でいろんなことを考えている。
私は「もう遅いから寝なさい」と言って、長男の頭に手をあててお祈りをする。
午前中は礼拝。 お昼から少し買い物をして図書館に寄り、帰ってきてからお昼寝。 暑いせいか体がだるい感じがする。 腹ばいになって、次男に背中に乗ってもらう。 次男の体重がちょうど心地よい重み。 夜はサラダを中心に。 家族が寝静まってから書き物をする。
この人生を生きていくにあたって、大小様々な問題があるように感じるけれど、 総じて見れば大した問題ではない。主なる神さまがおられるからだ。 私の場合、問題が過去に対する「後悔」から来ることは少ない。 ほとんどの問題は「未来に対する恐れ」から来る。 一言で言えば、あーだこーだ考えすぎ、悩みすぎるのである。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。(マタイ 6:27)
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ 6:34)
明日のための心配ではなく、今日の感謝を神さまに捧げましょう。
終了しました。多数のご参加をありがとうございました→過去ログ: hyuki-2007-08-10
暑いですね。 Lingrでチャットしましょう。
今回も「書くこと」に関するフリートークです。
お題:真夏の夜のチャット: Free Talk on Writing 2007, Part 4 日時:2007年8月10日 23:15頃〜24:15頃(結城がおねむになるまで) 会場:過去ログ: hyuki-2007-08-10 (シンプルなテキスト版過去ログ)
つい先日第4刷の増刷が決まった 『数学ガール』の宣伝という意味もあるようなないような。 また「今後、どんな本を書いていこうかなあ」 という題材集めとヒアリングができたら楽しいなというのが、 結城の目論見です。
——でもまあ、そんなことはさておき、 みんなで楽しく「書くこと」や「学ぶこと」についてのおしゃべりをしましょうね。 もちろん、ROM(Observer)も大歓迎です。
追記
「チャット参加したいのに、気づいたころにはいつも終わってます」というお手紙をいただきました。 ごめんなさいね。そもそもチャットは多くの場合「ふと」思いつくことが多いもので…。なかなか早く告知するのはできないんです。 「あ、今晩はもう仕事ないか、じゃ、チャットでも」という場合が多いんです。 ごめんなさいね。
夜遅く、家に帰りました。
長男がまだ起きていたので、もう寝なさいと言いました。
次男はぐっすり眠っていました。
奥さんもぐっすり眠っていました。
奥さんの枕元に『数学ガール』が転がっていました。
結城浩です。 みなさん『数学ガール』の応援をいつもありがとうございます。
さて。
先ほど、ソフトバンククリエイティブさんから連絡があり、 『数学ガール』がまたまた増刷されることが決定したそうです。 今度で、ええと…第4刷になります。 こんなに早く第4刷まで達したのは、 おそらく結城にとってはじめてのことです。
『数学ガール』をご購入くださった方はもちろんのこと、 いろんな形で言及・応援してくださっているみなさま、本当にありがとうございます!
前回の増刷のときにもお願いいたしましたが、 もし、みなさんのお知り合いで『数学ガール』が 好きになりそうな方がいらっしゃいましたら、 ぜひ『数学ガール』をご紹介ください。 理系の高校生ならば、けっこう面白いと思ってもらえるんじゃないかと思います。 数学が特に好きならば、中学生でも大丈夫かも。 夏休みの読書にいかがでしょう。
その際には、以下のページもぜひご利用ください。
応援、本当にありがとうございます。
今日も暑かったです。明日も暑いようです。 最近は本を読んで勉強しています。 勉強するのは楽しいですね。 ではまた。
『数学ガール』をお読みになった、ある会社員の方から以下のようなメッセージをいただきました。 ご本人の許可を得て、みなさんとシェアしたいと思います。
読者さんから
高校時代、2進数で表すことができない10進数がある事を学び、数学に興味を持ち始めました。
私が通った高校は工業高校で、数学はあまり熱心に教えられず、微積分や行列は授業ではカットされました。
現在、高卒ながらとある会社の研究開発部門に属し、直接的ではないにせよ、数学の技術を使う事がおおくあります。
「数学ガール」を読むまでは、微積分を教えてくれなかった学校を恨んでいましたが、興味があるにも関わらず、勉強しなかった自分が悪いと気がつきました。 今日、「数学ガール」を読み終え、また、数学を勉強し直そうと決心したところです。
この、きっかけをくれた「数学ガール」に感謝いたします。
結城から
メッセージありがとうございます。
著者として、一種の感動をもって あなたからのメッセージを受け取りました。 『数学ガール』を出版できてよかったなあと思います。
もしかしたら、時にうまくいかないことがあるかもしれません。 思う通りに進まないことがあるかもしれません。 けれど、困難に負けず、根気よく勉強を続けてくださいね。 応援しています!
久しぶりに自動書記。ひとくちふたくちワインを飲んで、ちょっぴり酔い気分の良い気分。 こういうときにはエディタを広げ、歌うたうように文つむぐ。 エィエィってどうしてエィエィっていう名前なの?と家内が聞くので、 「このあいだ彼女に聞いてみたら……という理由だから」と答えたところ、 本気で引かれてしまった。 脳内キャラと対話をするという自然な心の動きが理解されないのは悲しい (というのは冗談。理解されるとはあまり思ってなかった)。 でも、お話を書くときには《私が作る》のではなく、 あの子たちに自由に動いてもらってそれを《私が書き留める》というほうが楽だし自然だなあ。 また機会があったら続編も書いてみたいものだ。 あまりにも暑いので窓を閉める。クーラーをかける。窓が閉まっている。 音が気にならないのでリコーダーを吹く。 アクエリオンのサビの部分やアンインストールのサビの部分は意外にシンプルなメロディーであることを知る。 なるほど。 勉強をすることについて。 勉強をすることは書くことと同義ではない。 ほんとうの勉強は書くところにあるわけではなく、考えるところにある。 授業のノートをきれいにとっているけれど、まったく理解していない人がいる。 それよりは、ノートはぐちゃぐちゃでも、授業の内容にくらいついている人のほうが勉強していると言えるだろう。 でも、書くことは重要だ。それはどちらかというと自分の理解を確かめるためだ。 考える。考える。考えているとき、外から見ていると、ぼうっとしているように見える。 勉強しているようには見えない。でもそのとき、一番重要な活動をしているのかもしれない。 それは思考という活動だ。 そのタイミングで声をかけてはいけない。大切な思考という活動が中断してしまうからだ。 細い糸。細い細い糸。それが蜘蛛の巣のように、広く広く複雑なパターンで広がろうとしている。 それがちょうど思考している途中の状態だ。 そのタイミングで声をかけるのは、張り巡らされた蜘蛛の巣をばっさり壊してしまうようなものだ。 それはときにはとても悲しい結果を生む。 私たちはこの世に生きている。生かされている。 それはとても大切な機会だ。 あまり長くはない時間だ。 あたふたせずにていねいに過ごしたいと願っている。 でも、あたふたするのもよいかと思っている。 そうそう綺麗にクリーンに生きようとすると、それはそれで歪みがくるし、 生きる意味をかえって見失ってしまうだろう。 恐れず、大胆に進むことも大事だ。 私たちは、きれいなノートを作るために生きているのではない。 シルバーキャットが寄ってきた。 足元にすり寄って、毛皮をこすりつける。 何だか暑いんだけれどな。牛乳がほしいの? 冷たいのでよければすぐあげるよ。猫舌だから冷たくてよいのか。 はいどうぞ。…きみはいつもおいしそうに飲むね、シルバーキャット。 きみは過去を悔いることも、未来に恐れることもないんだろうな。 何か食べる? ハムがちょっとあった。これあげるよ。 美味しそうに食べるねえ。 広い空間を疾駆することと、深い時間を遡行することではどちらが楽しいんだろうか。 自分の中に潜行することは難しいだろうか。どうだろうか。 眠くなったので、寝る。 神さまへの祈り心を持って、今週も歩め。
今日も暑かったですね。 午前中は礼拝。お昼ご飯はパスタ。 午後から博物館巡り。帰ってきてからゆっくりお風呂。 ちょっとお昼寝をしてから、夕食はとっても辛いグリーンカレー。
最近、よく読書をしている。 Webもいいけれど、本もいいな。
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