生活の中で本を書く

結城浩

2004年10月1日〜10月29日

目次

2004-10-01 10:56:13 - 構成を変更

本を書いている。今日も[ki]の章の続き。 結局、最終節は大幅書き換え。いったん削除して構成を変更。 で、傷口の部分に薬を塗ってちょっと様子を見てみることにしよう。 まあ、明日からは次の章[co]に進んでみましょうかね。

2004-10-01 19:40:02 - うれしい

本を書いている。[ki]の章のまとめとしておまけのトピックを書いていたら、 その話題が、今日の午前中に削除した部分につながっていくことがわかった。 どきどきしながら、注意深く書き進めていく。 すると、削除した部分がすべて復活して、 しかもさっきのおまけのトピックは自然に消えていった。 きれいにおさまって、とてもうれしい! 感謝。

その後、苦労して書いたけれども他の部分とうまくそぐわなかった節をばっさり削除。 そうしたところ、構成がすっきりして無駄がなくなり、とても気分がよい。 ばっさり削除するって大事なのかも。

2004-10-03 22:32:08 - 食材を集める

今日は礼拝。 自分の口で告白することの意味と、 自分の口で自分の意志を表現することの意味を考える。

生協を頼むのを忘れていたので冷蔵庫が空、と家内が言い、 帰りにスーパーで牛乳やシリアルや野菜そのほかの食材をたっぷり買い込む。 私と子供たちは車の中で待つ。 私はいつのまにかぐっすりと眠っていた。

午後からは、何となくコンピュータに向かって今週の[co]の章に書きたいことを思いつくまま書いていく。 参考書に書かれていることを自分の口でもう一度表現しなおしてみたり、 まったく別のサンプルを作ってみたりして、あれこれ試す。 そうやってばたばた書いているうちに、素材は十分そろったように思う。 ちょうどスーパーで食材を買い込んだように。

とりあえず、cvs commitして冷蔵庫…じゃなかったCVSのレポジトリに原稿をcommitする。 素材は十分集まったので、もう一度最初からストーリーを考えつつじっくりと書いていこう。 これが今週のメインの仕事である。

できるだけ無駄になってもかまわないという気持ちでいこうと思っている。 最初は「心の中の校閲者」を呼び出さずに、自由に心を広げる。心を広げて文章を進めていく。 そうしているうちに、きっと心が何かを捕まえてくれることを期待しよう。

聖霊様が、私の書く文章に新しい息吹を吹き込んでくださることを期待しよう。 私自身がおどろくような奇跡を神さまがなしてくださることを信じ、 先取りして感謝しよう!

神さま、ありがとうございます!

2004-10-05 19:30:52 - よいかも

本を書いている。[co]の章の続きをていねいにand/orざくざくと進める。 ごりごり書いているうちに、何かひらめくものがあったので、手に任せてその「何か」を展開してみる。 うーん、なるほど。ちょっと、よいかも。すごく、よいかも。

まだ文章はぐちゃぐちゃなんだけれど、うまく蒸留してやれば、確かな核になってくれるかも。 もう少しブラッシュアップすれば、足を踏み鳴らして踊りたくなるくらいうれしくなるかも。 (かも、ばっかりだな)

あたりまえのこと。あたりまえだとみんなが思っていること。あたりまえ過ぎて、つまらないと思っていること。 そんなものに新しい光をあてて、読者さんに「はっ」と気が付いてもらえるような本になるとよいなあ…。

2004-10-08 10:39:06 - 大いなる無駄

本を書いている。今週はずっと[co]の章を書いている。 全体を一回ざっと書いたが、これだと分量的に2, 3倍あるので、削っている。 この間おもいついたことはまだ蒸留しきれていないけれど、各節に行き渡らせてみた。 なかなかよろしい。

テキストで書いた原稿をPerlでLaTeXに変換し、 それをPDFに直す。 A4の紙に見開きになるように印刷してから折りたたんでホチキスでとめる。 小冊子風になる。 鉛筆を片手にもってそれを読み、気がついたことを書き込む。 コンピュータを開き、書き込みを読みながらテキストを修正する。 小冊子の中で、修正を反映したページは破り捨てる。 …そういうことを何度も何度も(5回とか10回とか)繰り返す。

膨大な時間を投入し、たくさんの文章を書き、たくさんの文章を捨てる。 そうやって、良いと思うものだけを少しずつ少しずつ積み重ねていく。 このような、(一見)大いなる無駄のような一連のプロセスが、 どうも私の性に合っているみたい。

「書いたものの最上ではなく、捨てたものの最上で質を測れ」というのはLamportの言葉だったと思う。

2004-10-11 11:56:18 - 苦しい

マックで原稿を書いている。

普段は他の人のおしゃべりはまったく気にならないのだが、 今日はそばに来た小さな女の子が、大声で計算を始めた。 「2たす2は4でしょう! 4たす4は8でしょう! 8たす8は16でしょう!」 さすがにこれは苦しい…。せめて「2のべき」はやめてくれ…(苦笑)。

はっと気がついたら1時間半が過ぎていた。 あと4時間くらい書けば、今日の分は一段落すると思う。

2004-10-14 11:13:57 - 章の終盤

本を書いている。まだ[co]の章を書いている。 でも、そろそろ終盤だ。 現在は、次の章とのつながりが明確になるように調整中。

たくさんよい例題を書き、たくさんきれいな図を描いた。 でも、章のテーマからはずれているものはばさばさと削った。 かなしいような、うれしいような。 たぶん、今日と明日でこの章はまとまると思う。 週末に読み直して、来週から[re]の章に入る予定。 残りは[re], [po], [ra]の3章のはず。

現在のところ[nu][lo][mo][ki][co][re][po][ra]の8章の構成。 今月10月中に[re]を終えて、[po]に入りたい。 来月11月の中旬までで[ra]まで終える。 それからクリスマスまでに(できればクリスマスの前までに)全体を調整して脱稿したいなあ。 でも、全体を見直したら、またいろんな問題が出てきちゃうだろうなあ…。

神さま、神さま。 御旨ならば、どうかこの本を完成させてください。 そして、この本を必要とする方のところへ届けてください。 私の思いではなく、神さまの御心がいつもなされますように。

2004-10-17 17:42:25 - とかげのしっぽ

午前中は礼拝。お昼からお昼寝。午後から[co]の章を読む。

本を書いている。 次の章とのつながりを考えて[co]の章を調整しているうちに、また文章が膨らんでしまい、 予定していた量の2倍になってしまう。私はいったい何をやっているのでしょう。 読み返しているうちに「いや、もっとわかりやすくしよう」と思って書き込んでいくから、 どんどん説明が増えていく。そのうちに構成が崩れてくるから、あちらとこちらを入れ替えする。 順序を整える。そうすると、とかげのしっぽや、プラモデルのバリのような部分が出てくるから、 それを削る。でまたはじめから読み返すと…。こんなことやっていたら、いつまでも続いちゃう、 と思いつつも、また読み返したりして。でも、いいの。楽しんでやってるんだし。 でもさすがに明日からは[re]の章にかかろうよう。

スーパーで、奥さんから頼まれたものを買って帰る。 れんこん、いりごま、さぬきうどん(乾麺)、こおなご。

2004-10-18 10:54:01 - ばさばさ・ばりばり

本を書いている。今日は(まだ)[co]の章と戦っている。 例によってばさばさと削除し、ばりばりと書き加え「私は何をやっているのでしょう」状態。 でも、何とかまとまったことにする。とりあえずcvs commitしてcvs tagする。 明日からは本当に[re]の章へ進む。

2004-10-19 07:05:52 - やっと新しい章

本を書いている。やっと昨晩から[re]の章に入った。 まずはこれまで書いた残骸を整えて、夜だったので図を描きはじめた。

2004-10-19 10:42:16 - 仕事

本を書いている。[re]の章。 図をていねいに描いて、じっと考える。 図はたくさんの情報を含んでいて、描くのに時間がかかる。 でも十分に考えて描いた図があると、説明文はほとんどいらなくなる。

プログラムと図はちょっと似ている。 説明文を書くとき、まず自分が言いたいことを図やプログラムできちんと表現しようと努力する。 十分に練った図やプログラムができあがってから文章を書く。 すると、とても仕事が楽に進む。 1つの理由は、図やプログラムがたくさん語ってくれるから。 もう1つの理由は、書く自分自身がその題材をよく理解できているから。

2004-10-20 11:15:43 - 玉突き状態

今日も、本を書いています。

いま書いているのは[re]の章。 2節目を書いたところで読み返すと、 前の章からはみ出して流れ込んできていた話題によいタイミングだということがわかり、展開。 前の章のトーンになっていたので、[re]の章に合わせて説明の順番を入れ替える。 なかなかよろしい。

流れ込んできた節を展開した結果、分量がふくれてしまった。 玉突き状態というわけではないが、[re]の章のメインだと思っていた話題をこの章から削除。 いちおう最終章に移動してみるけれど、 もしかしたらこれは私が知ったかぶりをしたいだけの文章かもしれないと警戒中 (そういうことはよくある。自分が力を入れて書いた文章だから適切とは限らない。 テーマに不適切な文章を力いっぱい書いてしまう失敗だ)。

現在の原稿のバイト数をチェックしてみると、 量的には一冊の本として十分あると思う。というか、十分すぎる…。 あとは不適切な部分をいかに切り捨て、残す部分をいかに磨き上げるかが大切。

これまで書いた章[nu][lo][mo][ki][co]をざっと読み返してみた。 あちこちまだ荒いところは当然残っているけれど、けっこう面白い。 ちょっとどきどき。

2004-10-22 10:43:52 - 今日も

今日も、本を書いている。まだ[re]の章。 読み返しては削り、削っては書く。 今日は図版を2枚描き、文章を2節分書いた。 疲れたら、後の章の図版をスケッチする。

2004-10-23 00:00:46 - 夜には図を

夜は説明用の図を1つ描いた。それから別の図を作るためのJavaのプログラムを作りかけ。眠い。

夜中まで図を描く。 自分で「どうでもいいじゃん」と突っ込みを入れたくなるようなどうでもよいところをちまちまと直す。 描いては眺め、眺めては直す。でも結局没にしたりして、「わたしはいったい何をしているのでしょう」状態。 文章と同じ。

おおよそ[re]の章で言いたいことは書いてしまったような気がする。 いま書きかけているのは何となく「知ったかぶりっ子」っぽい感じがするので、後で没にするかも。 「せっかく書いたんだから」「せっかく調べたんだから」「せっかく作ったんだから」という考えで何かを盛り込むと失敗する。 せっかく○○したんだけれど、あえて捨てよう、というのも大事だよね。

2004-10-25 00:27:24 - 眠い

何とか、現実的な路線で[re]の章ができてきた。 あとは明日に全部を読み直して、図版との対応をチェックすればよいだろう。

あさってからは[re]の次、[po]の章に入る。 その次の章[ra]はまだぜんぜんまとまってないんだよなあ…。 眠い。眠い、眠い。

あれ、戸がかたかた言ってる。地震?

ともあれ、今日の苦労は今日一日で十分です。 今日の一日を感謝します。 感謝します。すべてのことに感謝します。

感謝していると、感謝することがもっと増えていく。

感謝の指数関数的増加。

2004-10-25 10:45:00 - 仕事

午前中に[re]を終えようと思ったけれど、意外と時間がかかって半分しか進まなかった。

2004-10-26 10:51:21 - 仕事

次男の熱はだいぶ下がった。 子供は、熱を出した後、急に成長したような顔を見せるときがあってどきっとする。 子供の頭をなでながら「あなたはいい子だね。お父さんはあなたのこと、大好きだよ」と言う。

子を持って知る親の恩。 つらつら思うに、わたしは親からたっぷり愛されたのだなあ。でも親には何一つ恩返ししていないような気がする。 おとうさん、おかあさん。親不孝ばかりで、ごめんなさい。

* * *

今日から[po]の章に入る。すでにいままでの執筆で「この章に入れるべき題材」はpoのファイルに入れてある。 それをより分けてから読み始める。いったいわたしはこの章で何を言いたかったんだろう、 この章はわたしに何を発見させてくれるんだろう、などと思いながら読む。

それから、オープニングを書き直しする (すでに書いたところをなぞりながらタイプしていると、いつのまにか全部書き直しになっちゃうのだ。 すごく無駄のような、楽しいような)。 二番目の節を書きながら、ちょっとクイズを混ぜたくなったのでクイズを考える。 そのうちに図式化したほうがすっきりするような気がしてVisioで図を書き始める。

図はうそをつかない。はっきりとわかりやすい図が描けなければ、私自身が題材を理解していないのだ。 図を描いていると、時間はどんどん過ぎていく。でも焦らない。 楽しみながら、恐らくは半分以上捨てることがわかっていてもていねいに書いていく。 ていねいに書くことで自分の理解が深まり、「残す文章」の質も結果的に向上するからだ。

本を書くのは、とても楽しい。 現在書いている本が、いつも最高だ。

今日という一日が、わたしにとって最高の一日であるように。

2004-10-27 10:25:21 - 熱 / 没

昨晩から今度は長男が熱を出した。次男の熱もまたぶり返し。 奥さんはめまぐるしく働いているのだが、 守られているようで感謝。

昨日書いていた部分の図を補足しているうちに、 これは不適切な例だということがわかって没。 「頭で考えている状態」と「きちんと表現された状態」とは全く違うんだよねえ。 分量的には二日分くらいバックした。 ちょっとめげるが、30秒くらいで復帰。

今日は、別の章のプリントアウトに朱を入れることにしよう。 このプリントアウトは、めげたときの保険として用意していたもの。

* * *

はじめの2章分のプリントアウトを読み返して朱を入れた。 …け、けっこうおもしろいじゃないか。 後半の章のほうが面白いというイメージを持っていたのだけれど、 あらためて読み返してみると、どうしてどうして、 はじめの章も面白い。うん、いいかも。この本、いいかも。 そっかー、これも「頭で想像していた」ことと違う例なんだな。 判断をくだす前に、ちゃんと確認するって大事だなあ。

というわけで、ごきげんになってしまいました。ふふふ♪

2004-10-28 10:52:14 - 理解と説明

長男は一晩中こんこんと眠り、次男は一晩中こんこんと咳をする。

朝になったら2人とも(熱があるのに)元気いっぱい。うーん。

昨日の没になった節は全部捨てて、新たな例を考え、図を描く。 図だけで2時間かかる。ふみい…。 でも、経験上「図」は「プログラム」と同じくらいの情報を持っている (説明文を書く上では、ということだけれど)。 だから、説明文を書く前に図やプログラムを書くのはとてもよい。 自分の頭の中に説明したいことを思い描きながら図やプログラムを書くのだ。 そうすると、文章を書く段階になったときには、すっきりと物事を理解している。 あたりまえだが、 自分が理解していないことを文章で説明できるはずがない。 また、自分が理解している以上に明解に説明することはできない。

理解は説明に先立つ。

2004-10-29 10:31:03 - 寝かせてから校正

昨日描いていた図を見ながら説明文を書く。 うん、予想通りいいたいことがスムーズに書けた。 練られた図を作った後は、文章を書くのが楽だ。 ついでに前の章との関連も発見してちょっとうれしい。

この[po]の章の話題はあと2つだけれど、 もしかしたら1つを解説するだけでいっぱいになるかも。 いずれにしても、[po]の章にはもう一週間くらいはかかりそうな予感がしてきた。 合間を見て、最終章の骨組みも直しておかなくちゃ。

頭が煮詰まったときには、他の章のプリントアウトを読み返して、再度朱を入れよう。 はじめのころの章って、細かい内容をだいぶ忘れているから、校正にはちょうど良いタイミングだなあ。 このあたりの「原稿を寝かせておいてから校正する」感覚は、 スティーブン・キングの『小説作法』にかなり学んでいるように思う。

※このとき書いていた本は、2005年に 『プログラマの数学』という形で出版されました。