結城浩
1997年12月16日
結婚している方がいる。結婚していない方がいる。 片想いしている方がいる。不倫をしている方もいる。 しあわせな結婚をしている方がいる。 夫(妻)との関係や、親との関係に悩む方がいる。 ほんとうにいろんな方がいて、 それぞれの立場での課題や問題を持って生きている。 毎日、生きている。 それって、何だろう、と思う。
あなたの生き方は間違っている、とか、 あなたの考え方は間違っている、 のように単純には割り切れないことが多いのだろう、と思う。
けれどもひとりで考えたり悩んでいたりすると、 無限ループに陥って、同じ所をどうどう巡りしていたりするので、 誰か他の人に自分の状況をしゃべったり、 他の人から(的外れでもいいから)何かしゃべってもらうのが、 何かのきっかけになることも多いのではないか、と思う。 私は毎回、好き勝手なことをネットを通して書かせていただいているわけだが、 書きながら、自分への言い訳として、そんな風に考えている。
もちろん、私自身には人の問題を解決する力はない。 私に許されている範囲は、人の話を聞き、自分の(少々勝手な)意見を書き、 神さまに祈る、というものだと思っている。 あとは、神さまにおまかせである。 そうでなければ、祈りの小部屋など続けてはいられないだろう。
多くの問題が、人間関係から来ているように思う(自分自身との関係を含む)。 特にコミュニケーション不足から来ているように思う。
このようなコミュニケーションが不足していると、 いろんなところに歪みがくるように思う。
なぜコミュニケーションが不足するのだろう? 何かがコミュニケーションを阻害しているのだ。 おそれ、だろうか。
コミュニケーション不足、というより、 規範や基準の喪失から来る問題もある。
このような、シンプルな何かが欠けていると、 また多くトラブルが起きるように思う。
と偉そうに書いているが、まあ、自分のことは棚に上げているわけだ。 いや、逆だな。自分のことしか書いてないのかもしれない。 上にあげたものはみな、自分の心のうちを探ればすぐに出てくることばかりだから。