結城浩
1997年2月14日
今日はバレンタインデーである。
昨日三浦屋にいった家内の話だと、 チョコレート関係のコーナーには 女子高校生が群がっていておばさんが通れないでいた、 ということである。 みんな直前に買うんだね。
最近「愛」についてよく考える。 祈りの小部屋でもよく「愛」という言葉が登場する。 そのときには「恋愛」を意味していることが多い。 キリスト教で言う「愛」と いわゆる恋愛の「愛」とは 似ている部分もあるが、 違う部分もずいぶんあるように思う。
愛にはいろんな意味があるけれど、 「愛」の一つの意味は 「自分よりも相手を重んじる」とか、 「相手のことを考える」ということだと思う。
そう考えると、 「愛」というのはさまざまな分野でのキーワードである。 例えば 文章を書く心がけ でも、「読者のことを考える」ということを書いたが、 これはまさに読者への愛ではないのだろうか。 Webページを作成する心がけ でも、 メールを書く心がけ でも同じこと。いつも、自分のことではなくて、 相手のことを中心に考える…それはまさに愛の実践に ほかならないのではないだろうか。
さて、そういう「愛」だけれど、 つきつめて考え、我が身を振り返ると、 いかに自分が「愛から遠いか」がわかってしまう。 一瞬なら愛を示すこともできるかもしれない。 ちょっとの時間なら、 自分を忘れ、相手のことを思いやることが できるかもしれない。 けれど、それを「続けていく」のはとても難しい。 ちょっと自分の調子が悪いと、 自分のことばかり考え出す。 相手に迷惑がかかることをじゅうじゅう承知の上で、 行動してしまうのである。
「私は愛から遠い」と自覚することは悲しいことである。 しかし、私が、キリストに出会い、 信仰をもって本当によかったと思うのは、 まさにそのときである。 私は自分の力では「愛を行ない続けること」はできないが、 神さまにはできるからだ。 神さまは聖書を通して、 私を愛してくださっているというメッセージを 送り続けていらっしゃる。 神さまが私に愛を送ってくださるから、 私も神さまの力で愛を行わせていただくことができるのだ。
いま、この文章を読んでくださっているあなたが、 神さまからの愛に気づきますように。