結城浩
1999年10月7日
私たちは自分の感情や行動をコントロールしたがる。 「ここでこういうことができたらいいのに」 「何で私はいつもこうなんだろう。あんな風にできたらいいのに」 私たちはついそう考える。 向上心を持つのは結構なことだが、 コントロールしすぎ、制御しすぎには要注意だ。 特に、自分自身をまるで「機械」や「ロボット」のような意識で見るのはあまりよくないのではないか。 ボタンをクリックすると決まったページにいくブラウザのように、 自分の心のボタンをクリックして自分を制御しようと思うのは危険ではないか。
人間は、個別のケアを必要としているのに、 特に疲れているときや打ちひしがれているときにこそそうなのに、 自分から自分を機械化し、十把ひとからげの「処理」をしてしまう危険があるのではないか。 うまく枠にはまらない自分の現在のささやかな気持ち、 「普通」のカテゴリにぴったりはめられない自分のいまの状態、 それをそのまま(AS ISで)受け止めてやるのが人間には必要なのだと思う。
そのようなケアを完全にできる方は神様しかいない。 自分の状況を自分の思考の狭い枠組みにぐいぐい押しこめて疲れ果てるのはやめよう。 いったんすべてを放棄して、神様の前にすべてのカードをさらけだそう。 イエスさまはあなたの現在の苦しさを知っている。 イエスさまは人となられた神だからだ。 「一般的な苦しみ」ではなく、 あなたの、ほかならぬあなたの、まさにいまの苦しみを知っている。 あなた自身よりもよく知っている。 神さまはすべてを知っているからだ。 あなたのすべてを造ったのは神さまだからだ。 イエスさまはいつもあなたとともにおられるからだ。 だから、今、神様に祈ろう。