ある朝、私は死にかけた

結城浩

1997年11月26日

寒い朝。
道を歩いていた。
いつもの道だ。
いつもの小さな交差点にさしかかり、ちらっと歩行者用信号を見る。
青だ。
横断歩道を歩きながら、私は証券会社のことを考え、
よかった探しリースのことを考え、トーキー!のことを考えていた。
今年初めてのコートのことを考え、今日の仕事のことを考えていた。

ドン。

ものすごい音。
急ブレーキをかけたトラックが、
私のすぐ右、20cmくらいのところで止まる。
トラックは慣性の法則にしたがって前につんのめり、
そして、大きく揺れて停止する。
私は足がすくんだまま、道路の真ん中に立ちつくす。
前方不注意のトラックが、
横断中の私に気づかず、私のすぐそばまで突っ込んで来たのだった。

一瞬の後、私は小走りに横断歩道を渡りきり、
トラックの運転手を見る。
運転手はびっくりしたような、ふぬけたような顔をしている。
きっと私も同じ顔をしていただろう。
(無事、なんですよね)(ええ、なんとか)
運転手と私は手であいさつを交わして別れる。

道を歩いていた人はみな、大きな音に驚いて、立ち止まって私たちを見ている。
この全てが、ほんの数秒の間のできごとだった。

停留所でバスを待ちながら、私は考えた。
本当に、ほんの数秒のことだった。
本当に、本当に、ほんの数秒のことだったのだ。
ちょっとしたタイミングで、私は大けがをするか、
へたをしたら死んだかもしれない。
たぶんその自覚もないままに。

バスに揺られながら、神さまに感謝の祈りをしながら、
私は何とも言えない気分を味わっていた。

死というものは、すぐそばにいる。
テレビに登場する「死」のようなドラマチックな音楽も、派手な画面もない。
ただ、死はすぐそばに、静かにいる。

いま、自分が生きていることは、実際、奇跡なのだ。


「ある金持ちの畑が豊作であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。
『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、
穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分も
いっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

(ルカによる福音書12章16節〜21節より)