結城浩
2001年9月12日
MLに流した文章から:
『銀のいす』は、しばられている王子がいましめを解いてくれと 訴える部分に感動しました。ああいう選択というのは、 私たちの人生にも(しょっちゅうはありませんが)しばしば 訪れるような気がいたします。
それと似た体験は、『ペレランドラ』の中で、 ランサムがどうやったら《女王》の堕落を防ぐことができるのかを ひとり悶々と悩むシーンを読んだときもありました。 読みながら、私自身も何かを選択する局面に立たされているような そんな気持ちがいたしました。
思いつくまま書きますと、 聖書の「エステル記」の中で、モルデカイがエステルに、 あなたがいまその地位にあるのはこのときのためなのかもしれない (うろ覚えですが)というセリフをいったときの感覚と近いものがあります。
平凡な毎日を送っている。あたりまえの、昨日に続く今日を送っている。 そのつもりだったのに、突然、今日・いま、重大な決断を迫られる。 誰にも相談できない、どんな人間的な知識も役に立たない、 そんな中で何かの選択をしなければならない。 そんな感覚に私は惹かれるのかもしれません。