結城浩
2000年1月23日
朝、礼拝。その後、喫茶店で原稿書き。とてもよい。 やっぱり、神様に祈ってから仕事をするって大事なんだなあとつくづく思う。
祈りを学ぶのに一番いい方法が祈り始めることであるのと同じように、 プログラムを学ぶのに一番いい方法はプログラムを書き始めることだと思う。 文章書きを学ぶのに一番いい方法は文章を書き始めることだし、 翻訳を学ぶのに一番いい方法は翻訳をしはじめることだろうと思う。 あなたが、何かを学びたいと思ったら、まずそれをし始めるのが一番よいのではないか。
したいなあ、と思うだけではなく何かをし始めてみるとすぐに気がつくのが、 「ちょっと、これは想像とは違うぞ」ということである。 祈ってみると、祈る前とは違う何かが(その何かは人や時によって千差万別)はじまるし、 プログラムを書いてみると、自分がぜんぜん書けず、何からどう手をつけていいやら途方にくれるし、 文章を書き始めてみると、自分の語彙の少なさや文章構成力のなさにあきれるし、 翻訳をしてみると、時間の大半は辞書引きに費やされて泣きたくなるし。 まあ、頭の中で想像するのと、実際にやるのとは天地の開きがあるものだ。
しかし、それはいい傾向であって、 誰しも現実的なチャレンジを行う人はこの「違うぞ」を感じているのだ。 まったく抵抗を感じていない人は幻想の中に生きているのである。 想像と違うことにショックを受けてまた幻想の中に戻ることもできるけれど、 そこでほんのちょっと視点を変えて、 じゃあ、このショックをどう自分の経験として受け止めようかと考えることができたら、 それは大きな一歩となる。 大きなショックは大きなトラブルではない。それは大きなチャンスなのだ。 何で自分にはプログラムが書けないのか、と実感として感じることができれば、 他の人はどうやっているのかとか、 ネット上にあるこのプログラムと同じものを自分が作るにはどうしたらよいかとか、 切実な問題としてプログラミングを学び始めることができる。
まず、やってみよう。 するとたいていショックを受ける。 でもそれはよい傾向だ。 そこでめげずに、現実的に問題に取り組むのだ。 自分にできるだろうか/できないだろうか、と悩むときも必要だけれど、 100万年悩んでいても「実際に」できるかどうかは誰にもわからない。 できるかもしれないし、できないかもしれない。 でも、100%確実に言えるのは、 いつか悩むのをやめて実際に何かを「やりはじめ」なければ絶対にできない、 ということだ。 そのときはじめて幻想が終わり、現実のチャレンジが始まる。 そして、あなたの幻想を終わらせることができるのは、世界中であなた一人だ。
失敗してもいいんだよ。