結城浩
2000年10月3日
午前中、[MP]の原稿書き。 XML::Parserの簡単な例をいくつか作って解説の文章を書く。 こういう技術的な読み物(規格や規約ではなく、技術者の興味を引くような読み物)を書いていると、いつも考えることがある。
こんなことを書いても誰の役にもたたないんじゃないか。こんな当たり前のことを書いても…
それに対する、自分の中での反論:
いや、そうでもない。 このような当たり前のことをつまらないと思う人もいるだろうが、 これをきっかけとして学び始める人もいるのだ!
自分が知っていることは過小評価し、知らないことは過大評価する過ちは誰でもおかすだろう。 自分が知っていることは、誰にでも簡単なことのように思えるのだ。 だから説明が不十分になり、不親切になり、相手ができないと怒ってしまう。 逆に知らないことは過大評価してしまう。 自分が知らないことを怖がって、ありがたがって、詳しく知ろうとしない。 そういう危険もある。
いろんなことを学ぶのが好きな人で、なおかつ文章を書ける人は、 教える文章を書くのがよいと思う。 自分の知識を誇るのではなく、自分の能力を誇るのではなく、 自分が学んだことを、他の人がより易しく学べるような手助けとなるような文章を書くべきだと思う。 現在の自分には当たり前のように思える情報でも、それが当たり前ではない人はたくさんいる。 しかも、その情報を必要としている人もたくさんいるのだ。
当たり前のことを書くのは意外とたいへんだ。 冒頭に書いた「こんなことを書いても誰の役にもたたない…」というような声をあしらわなければならない。 また「こいつ、こんな簡単なことしか知らないんじゃないか」といわれることの恐れにも打ち勝たなければならない。 わざと難しく書くことは誰にでもできる。 自分はこんなに難しいことだって知っているんだぞ、という文章は誰にでも書ける (そして読者はそういう書き手のプライドをすぐに見抜いてしまう)。 本当に難しいのは、厳選した例を使って、わかりやすく、しかも有益な情報を提示することだ。 これは、とても、難しい。 読み手がすらすら読んでわかるものであればあるほど、 書き手の不断の努力が必要になる。 そして努力以上に、謙虚な姿勢や、読者への愛が必要になる。
文章を書くには、祈りがいるのだ。