結城浩
2004年4月20日
先日のこと。
玄関先に詰まれた生協の食材。我が家の食べ物、数日分になる。
私は次男に声をかける。「ねえ、冷蔵庫まで運ぶの、手伝ってくれるかなあ」
「おてつだい」や「じぶんでできるもん」が最近の最大関心事である4歳の次男は、嬉々として手伝ってくれる。 自分の体ほどもある大きな発泡スチロールのケースを両腕を伸ばしてかかえ、よたよたしながらも運んでくれるのだ。 中には牛乳や、冷凍食品や、野菜・果物が詰まっている。
次男「よいしょ、よいしょ」
結城「ありがとう。とっても助かるよ」
次男「よいしょ、よいしょ」
結城「重いのに、よく持てるねえ」
次男「よいしょ、よいしょ。かみさまが、ちからをくださったから」
私と家内は、次男のこの言葉 —— かみさまが、ちからをくださったから —— に心打たれて、思わず顔を見合わせる。
結城「そ、そうだねえ。神さまが、あなたに力をくださったんだよねえ」
私たちは生きている。
まがりなりにも、よろよろしながらも、生きている。 誤解されたり、自分の考えたようにはできなかったりするけれど、生きている。
神さまは私たちを愛しておられる。 イエスさまを賜ったほどに、私たちを愛しておられる。
今日、生きる力を、私たちに与えてくださる。 神さまは、私たちに、必要な力をすべて与えてくださる。
よいしょ、よいしょ。
かみさまが、ちからをくださったから…。