多忙と感謝と勢いと祈りと…

結城浩

2002年3月27日

何だかとってもとっても忙しい。

でも、感謝なことに、とても落ち着いている。 神さまに感謝しながら歩める人生は幸いです。

仕事の途中でふと 「絵本を読むときのパターン・ランゲージ」や 「技術系メーリングリストで質問するときのパターン・ランゲージ」を読む。 思わず、一気に全部読んでしまう。 自分でいうのも何ですけれど、面白いですねえ。 うん、いいこと書いているなあ、などと思う。

それから読者からのフィードバックを読んで、とても大きなはげましを受ける。 読者からの一言一言を楽しく読み、読者と喜びを共有する。

とはいっても、これらの文章って、あまり自分で書いた気はしない。 どちらのパターン・ランゲージも、 あるとき何かに引きずられるようにしてがりがりっと書いたものだから。 あまり自分で計画して、作戦を立ててやったものではないから。 つまり「これは私が考えて作ったものだ」という意識があまりない。 私は単なる通り道というか、単なる道具というか、そういう感じ。 このような文章を公開してくださって感謝します、神様。

そういえばCunninghamのWikiに出会ったときもそうだなあ。 「あ、このWikiっていうの、面白い!自分でもやってみたい!」 という気持ちがあって、夢中になってスクリプトを読み、コンセプトを理解し、 自分でYukiWikiを組み立てた。楽しかった。 現在WikiClonesを作っている人も同じようなものを感じているんじゃないだろうか。 YukiWikiも次のバージョンを作ろうと考えている。

そういう「勢い」って大事なのかもしれないなあ。 人間のはかりごとってたいしたことがない。 神さまが与えてくださる出会い、神さまが与えてくださる機会、 それに素直に従うというのが大事かもしれないなあ。

Webで活動していると、いろんなものが自然につながっていく、という話をよく日記に書く。 それもまた、神さまの編んでおられる大きな編み物の一部なのかもしれない。 神さまが描いておられる大きな絵の一部。 神さまが建てておられる大きな家の一部。

イエスさまが大工さんの子として受肉なさったというのもなるほどなあ、と思うのです。

よきデザイナー、よきアーキテクト、よきクリエイターとしての神さま。

私の人生に問題や悩みがないわけじゃないけれど、 でも、根本的なところでは神さまにおまかせして安心している。 それはとても大きなことだ。 何度転んでもいいのだ、何回失敗してもいいのだ、 自分が現在やっていることが一見無意味に見えることもあるだろう。 でも、大丈夫。 神さまに導かれる人生に失敗はないのだ。 人間の限られた目には、ほんの少しのことしか見えない。 しかし、神さまはすべてをごらんになっておられる。 すべてのことを益としてくださる。 私たちを丸ごと愛し、私たちの人生に計画を持っておられる。 神さまに祈り、神さまに信頼して歩む人生は、何と素晴らしいことでしょう。 イエスさまのゆえにすべてを喜び、すべてを感謝しましょう。

現在、疲れている人の上にも、また進路や人生に迷いを感じている人の上にも、 神さまの癒しと導きがありますように。 神さまのご計画はあまりにも大きいので、現在という時の意味を見失うときもありますが、 でも、どうか恐れないで。神さまはあなたを愛しておられるからです。 神さまを信じるとき、 神さまはどんな困難の中にあっても、必ず脱出の道を備えてくださる方だからです。

神さまをほめたたえ、すべてを神さまに感謝し、 すべての栄光を主にお返しいたします。