結城浩
2002年12月4日
いつものようにキーの打ちすぎで手が痛くなってきたので、 ゆっくりタイプすることにする。
暗号本の図を描いている。図を描いている。じいっと図を見る。 何だかおかしい。説明文と一致しない。図と文とどちらが間違っているのだろうか。 じっくり考える。どうも、私の理解がおかしかったらしい。図と文の両方が間違っていた。 やれやれ。
家内に「ねえ、本を書くって孤独な作業なんだよ」と言う。 家内は「そう? 楽しそうに見えるわよ」と答える。
家内に「うーん、楽しいけれど孤独な作業なんだよ」と言う。 家内は「そう? わいわいやっているみたいに見えるわよ」と答える。
家内に「あのねえ。わいわいやっているみたいに見えるし、実際楽しいんだけれど、実は孤独な作業なんだよ」と言う。 家内は「そう? とてもそうは見えないわよ」と答える。
家内に「でもね」と反論しようとして、 ふと「確かにそれほど孤独ではないのかもしれない」などと思い始めている自分に気がつく。
せっせと書いている。 祈りながら書いていたら、 おててはそれほど痛くなくなりました。
何だかすっごく面白いんですけどー。
当たり前のことでも、他の人が読んで本当に理解できるように表現するのはとても難しい。 でも、それがうまくいくと、 「ずっと目の前にあって、よく分かっていると思っていたこと」 に新しい光を当てることができる。 そしてその光が読者の「なるほど」を生むのだ。
がんばれ。そして祈れ。 > 自分。
後日談: 上のような日記を書いたところ、たくさんの方から 「結城さんは孤独じゃないですよ」という応援のメールをいただきました。 ありがとうございます。
クリスチャンの方々からはもちろんのこと、 クリスチャンではない方たちからも 「イエスさまがついているではないですか」というメッセージをいただきました。 みなさんのおっしゃるとおりです。 私は孤独ではありません。
感謝します!