結城浩
2002年4月17日
いま、気づいたんだけれど、自分に対する否定的な言葉を聞いたとき、 私って、そこから事実だけを抜き出して、自分の反省点とする、 という性格を持っているみたいだ。 いや、性格というのじゃなくて、最近そういう習慣になっている、 という方が正しいかもしれない。 どういうことかというと、自分のやる気をそぐもの、 自分の状態を引き下げてしまうようなものに出会ったときも、 あまりめげなくなってきたなあ、ということ。 感謝、感謝。 年を経て鈍くなってきたというだけかもしれませんけれど。
反省はしても、後悔はしない。
なんて書くとかっこいいけれど、でもそういう風に生きたい、と私は願っている。 私、後悔ってすごく嫌いなんです(私が「嫌い」という言葉を使うのはめずらしい。たいていは「好きじゃない」と書く)。 あのときああしておけばよかった、こうしておけばよかった、 やっぱりあっちのほうがよかった、…そういうのが嫌いなんです。 反省は前向きですよね。あれは失敗だった、こんどはこうしよう、というもの。 でも後悔は違う。過去のことをあれこれ悔やんで、現在の気持ちや気力をなえさせてしまう。 私は、後悔が嫌い。果てしなく時間の無駄遣いのような気がして。 もちろん、失敗した直後は後悔もする。時間の「巻き戻し」をしたくなる。 でも、ほんのちょっとの時間であっても「巻き戻し」はできない。 それは厳然たる事実。
時間は自分のもっとも大切な資産。神さまから与えられている大きな恵み。 その貴重な時間を、後悔に使うのはもったいない、と思う。 「だって、もったいないと思っても、後悔しちゃうんだもの、しょうがないじゃない」 と感じている人もいるかもしれない。 うん、確かにそう。自分の理性でどうにもならないときもある。 でも、習慣の力は大きい。練習の力は大きい。
練習してみよう。
自分が「後悔している」と思ったとき、自分が無為なことに心を砕いていると思ったとき、 気持ちをカチリと切り換える。 自分の頭と心から、あれやこれやと悔やむ気持ちをいったん追い出す。はいはい、出てってくださいね。
そして、心を神さまに向ける。 恵み深い神さま! そして感謝する。 私に命を与えてくださってありがとうございます。 もっと感謝する。 神様、あなたはすばらしい方、私を愛してくださってありがとうございます。 現在の状態をも感謝する。 神様、いま・この現在の状態もイエスさまのゆえに感謝します。 神さまへの信仰を告白する。神様、あなたを信じます。 神さまを信じるということは、自分が用意した解決ではなく、神さまが用意してくださる解決を信じるということでもある。 神さま、私の中にはさまざまな思いがあり、あなたはそれをご存知です。 しかし、神さま。私の思いではなく、あなたの御心がなされることを願います。 他人をさばいたり、状況をのろう前に、自分自身を変えてもらうことを願う。 あなたの思いのままに、わたしを変えてください。
注意するけれど、自分自身を変えてもらうというのは、自分だけが苦労を背負い込めという意味ではない。 しょせんこの世は過ぎ行くもの。 この世のどんなことも、かりそめのものに過ぎない。 この世は練習室、トレーニングルームなのだ。
神さまは、私たちの働きの成果物を求めているわけではなく(伝道などでそういう場合もありますが)、 働きを通して成長する、わたしたち自身を求めているのではないか。 そう、そうだ。 わたしたちはイエスさまの花嫁となるために花嫁修業をしているのだ。 クリスチャンはもう結婚式がすんでいることになるのかな。 でも、まだこの世に住んでいるから、 イエスさまからヴェールをとっていただくまでは、花嫁修業は続く…。
だから、この世で(いわゆる)失敗をしたとしても、それは実は大きな問題ではない。 でも、失敗のゆえに意気消沈して、間違った道に進んでしまったり、 心を悩みでいっぱいにして神さまを見失ったり、 神さまからの愛を受けていることを忘れたり、自分の中に愛を育てることを忘れたり、 …そういうことは大きな問題になる。
逆に、この世で(いわゆる)成功をしたとしても、それ自体は実はどうでもいいことだ。 でも、その成功のゆえに間違った道に進んでしまったり、 心が高ぶって神さまを見失ったり、 神さまからの愛を受けていることを忘れたり、人への愛を育てることを忘れたり、 …そういうことは大きな問題となる。
さあ、今日一日も、神さまに感謝しつつ歩んでいきましょうね!
わたしは衣のすそをあなたの上に広げ、 あなたの裸をおおい、わたしはあなたに誓って、あなたと契りを結んだ。 ——神である主の御告げ。——そして、あなたはわたしのものとなった。
(エゼキエル書16:8から)
詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。
(エペソ 5:19, 5:20)