結城浩
2004年11月7日
教会で牧師先生のメッセージを聞いていると、 自分の一週間を振り返って 「ああ、たくさん失敗もあったけれど、神さまの恵みもたくさんあったなあ」 と思う。忙しい中にあっても、そうやって教会に行き、 普段と違う視点から自分の生き方を振り返るのは大切なことだな、と思う。
自分の失敗やまずかったことは、 もちろん神さまに向かって「ごめんなさい」と悔い改めをするのだが、 その失敗がまた繰り返されてしまうこともある。 自分でも自分がいやになるくらい繰り返して神さまに「ごめんなさい」する。
そうやっていると、 「そんなにおんなじ失敗ばかりして、神さまだっていやになるんじゃないかな。 もう悔い改めなぞせずに、なあなあ、でいけばいいじゃん」 という思いが心に浮かぶときがある。 わたしはこれは悪魔の巧みなささやきだと思っていて、すぐに蹴飛ばすことにしている。 ある思いが自分の心に浮かんだからといって、自分がそれに従わなければいけないなんて決まりはない。 そもそも自分の心に浮かんだからといって、自分から来たとは限らないしね。
私は、たとえ同じ失敗をしたとしても、根気よく悔い改めをして、 イエスさまの十字架のゆえにゆるしていただく恵みを味わい、 神さまをほめたたえていきたい、と願っている。 たんねんに悔い改めをして、しつこく神さまに祈ることが大事だと思っている。
なかなか変化しない自分がいる。 なかなか変化しない状況がある。 でも、わたしは、いまここに生きている。
めげた気持ちと敗北感で時間をすごすことも選べるし、 神さまからの助けを信じて勝利を先取りして時間をすごすことも選べる。
実際、そうなのだ。
毎日、自分がどのような態度で生きていくかは、 かなりの部分が自分で選択できるのだ、と思う。 実際にそれを継続していくためには神さまの助けが必要だけれど、 「私はこういう人生を生きます。生きたいです」 という第一歩は自分の意志にあると思う。
ほかの人がなんと言おうとも、私は 「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する」 という人生を選んでいきたい。
神さま、そのような人生を歩ませてください。
だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、 お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 御霊を消してはなりません。 預言をないがしろにしてはいけません。 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 悪はどんな悪でも避けなさい。 (第一テサロニケ5:15-5:22)