恐れるな、わたしはあなたとともにいる

結城浩

2000年4月8日

数日前の話になる。 夜、疲れて帰宅する途中、あんまり疲れているので祈ろうと思った。 仕事のことでいろいろ思い悩んでいたせいもある。 歩きながら「神様、あなたを賛美します。あなたは素晴らしい方。恵みを与えてくださる方…」と祈り始めた。 すると、心のうちに、

恐れるな、わたしはあなたとともにいる。

という聖書の言葉が浮かんだ。 そして続いて、

「わたしがあなたを召したのだ」
「わたしがあなたを呼んだのだ」
「あなたがわたしを求める前に、わたしがあなたを呼んだのだ」
「あなたは何を恐れているのか、あなたはなすべきことをすればよい」

という主旨のメッセージが次々と心に浮かび(正確な文章は覚えていない)、 深い、深い励ましを受け、涙が浮かぶほどであった。 疲れているとき、仕事や生活の中で壁にぶつかるとき、 焦りや不安に襲われるとき、私たちはどうしても神さまから目を離してしまう。 神さまから目を離して、右往左往してしまう。 波立つ湖上の小舟のように。

しかし、そういうときこそ神さまに祈ろう。神さまを賛美しよう。 神さまはとこしえからとこしえまで変わることなく活きておられ、 私たちとともにいてくださるのだ。私たちは何を恐れることがあろう。 「恐れるな、わたしはあなたとともにいる」 と、あなたを愛する主は言われる。 「恐れるな」 と主が言われるのだ。 だから、私たちは恐れずに歩もう。

私たちが現在の状況に置かれることをおゆるしになったのは主だ。 主はこの状況、いまの自分を通して、大いなることをなそうとなさっているのだ。 すべては主のご計画のうちにある。 そのように考えるとき、仕事上の問題に対する態度もがらりと変わってくる。 「恐れるな」 と主が言われる。どのような状況を通しても主の栄光が表されるようにと願おう。

私をお呼びになったのは主だ。 私が主を選んだのではない。努力で信仰を得たのではない。 私にそれに値する何かがあったわけではない。 主のあわれみと恵みとご計画のうちに、主は私を過去の自分から召し出し、 現在の位置に置いてくださったのだ。 主がはじめられたことなのだから、主がすべて最善としてくださるに違いない。 状況を恐れずに、主を信じよう。

主こそわが主。 必要なものはすべて、最善の時に与えられる。 だから恐れずに、 必要以上に未来を思い悩まずに、 主を信頼して、よく祈り、謙虚に、しかし大胆に歩もう。 恐れるな、たじろぐな、と私たちを愛する主が言われるのだから。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

いま、この文章をお読みのあなたは、何かを恐れていますか。何を恐れていますか。 聖書の神さまを信頼し、主にゆだねましょう。 恐れるな、とあなたを愛する主は言われます。

恐れるな、わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
(イザヤ書41章10節より)