結城浩
2000年12月3日
午前中は礼拝。午後から吉祥寺に出る。 パルコで眼鏡を直し、ブックセンターで本を立ち読み。 その後、ブックセンターの隅に座り込み、[DP]の次の章のサンプルプログラムを考える。 その隣ではベビーカーに乗った次男がすやすや眠っている。 向こうの方では長男がポケモンの本を読んでいる。 さらに向こうでは家内が車選びの本を読んでいる。
帰りに八百屋さんに寄ってリンゴやバナナを買い、お惣菜と肉まん・あんまんを買う。 夕方から私だけマクドナルドに出かけ、 さっき考えていた[DP]のサンプルプログラムをコーディングする。 予想したほどシンプルにはならなかったが、一応まとまる。
夕食は肉まん・あんまんとお惣菜、それにリンゴとバナナ。 家族が寝てから[DP]の文章を書き始める。 Visio2000でクラス図を描いていると、 クラス階層のまずい点を発見したので修正。 なかなか順調で、調子がいい。
仕事が調子いいからといって、霊的に健康とは限らない。 仕事が調子いいときには、傲慢になりやすい。 自分の思い通りにすべてが運ぶような錯覚にとらわれたり、 自分は失敗しないという幻想を抱きがちなので注意が必要だ。 何か、うまくことが運んでいるときも、 それは主のあわれみと恵みによるのであることを忘れないようにしなければ。
よい判断ができたときも、うまいアイディアを思いついたときも、 主に栄光を返さなければならない。 冷静に、客観的に考えてみると、その「よい判断」「うまいアイディア」が どのようにして今、自分の心に浮かんだのかを知ることはできない。 つまり、それらを自分の手柄にするのはちょっとおかしい。 いつも、主が必要な知恵を与えてくださることを覚え、 それに感謝をしなければならない。 よいときも、わるいときも、健康なときも、健康でないときも、 主に信頼をおいて生きていかなければならない。 あっ、これは結婚の式文と同じではないか。 「病めるときも、健やかなるときも…」
そうだ。 調子いいときだけの愛は愛ではない。 たとえ調子が悪いときであっても、主に信頼しよう。 調子がいいときには、主に感謝する。 しかし調子が悪いときであっても、主に感謝しよう。 すべてのすべてを、まるごと主に明け渡し、主に感謝しよう。