私たちは、豪華客船の上でパーティをやっている。

結城浩

2003年8月25日

現代では、もしかしたら「自分の力で自分らしく生きよう」とするあまり、 自分を損ねたり自分を見失ったりする人が多いかもしれない、とふと思った。

「自分らしく生きる」ということを、この世の価値観から見出そうとしても難しいだろうと思う。 自分は人間だから、まず、ごまかしのない人間の姿に直面しなければならない。 人間の醜さに。自分の醜さに。 そして、そこからどうしたら救われるか、何が救いの道かを見極めないことには、 本当の意味で「自分らしく」生きることは不可能だとわたしは思っている。

神さまは、わたしたちの創り主。 創造主である神さまだけが、わたしたちが作られた本来の目的と意味を知っている。 神さまにはご計画があり、そのご計画に沿っているとき、私たちの人生はもっとも輝く。 そして本当の意味で「自分らしく」生きることができる。 それは単調な人生ではない。一人一人は同じ人間だが、異なる性格、異なる顔かたち、異なる環境で生まれたように、 そこには深い意味がある。神さまがご存知の意味が。 わたしたちは、神さまを信頼し、自分が自分の人生の目的に(神さまのご計画にしたがって)歩むことを、祈り求める必要がある。

自分勝手な判断を信じてはいけない。この世の価値観で自分を値踏みしてはいけない。 自分勝手な判断によるゆがんだ自己像を捨てる。 そして神さまを見上げて、しっかりした信仰に立って歩もう。

毎日、いろんな問題がふりそそぐ。 しかしそんなものにゆらがない人生を歩もう。 それには自分の力にたよってはいけない。 全能の主なる神さまにたよるのだ。

考えてみれば、 わたしたちは沈みつつある豪華客船の上でパーティをやっているようなものだ。 パーティの中で、あの子のドレスがきれいだとか、 あいつのヒゲはかっこわるいとか、 この飲み物はまずいとか、そういうことをやっているわけだ。 でも、なにより大事なのは「救命ボートの場所」という情報だ。 甲板の上はパーティの音楽でいっぱいだ。 でも、耳をよく済ますと、かすかに(救命ボートはこっちだ)という声が聞こえる。 そのかすかな声が聞こえないふりをして、新しい飲み物を取りに行く人もいる。 しかし、かすかな声に真剣に耳をすまし、救いの道を見出す人もいる。

何だか冷たいようだけれど、シビアな現実だ。