結城浩
2004年7月13日
ペンギンちゃんを召喚しましょう。
ペンギン: 結城さん、こんにちはです。
結城: ペンギンちゃん、こんにちは。最近は暑いですね。
ペンギン: そうですわね。でもわたくしは冷房を効かせた部屋からあまり出ないようにしていますので。
結城: うーん、それでは呼び出してしまってすまなかったね。
ペンギン: いいえ、いいんですのよ(にっこり)。ところで何か御用でも?
結城: いや、特に用事というわけではないけれど、おしゃべりをしたくなったので。
ペンギン: あら、光栄ですわ。最近はどんなお仕事をしていらっしゃるんですか? お忙しそうですけれど。
結城: 相変わらずですね。本を書く。連載の原稿を書く。それからプログラムを書く。ネットで巡回…っとこれは仕事ではないけれど。
ペンギン: また、新しい本では読者さんにレビューをしていただくのでしょうか?
結城: いや、まだ決めていません。なかなか苦戦中なので、そういう時間的な余裕はないかもしれませんね。
ペンギン: あら、そうですか。そういえば、昨年出された暗号の本はおもしろかったですわ。
結城: 『暗号技術入門』ですね。ありがとうございます。そういっていただけるとすごく励みになります。
ペンギン: わたくしは数学はさっぱりわからないんですが、何となく暗号というものが身近になった気がします。あの本全体が1つの物語になっているような気がしますわね。
結城: 物語?
ペンギン: ええ、変な表現ですけれど。ある技術を考える人がいる。でもその技術は完全ではない。それを補うために別の技術を考え出す。でもそれもまた別の問題がある…そういう流れが何となく見えてきて、先を読みたくなるのです。ドミノ倒しのような、不思議な技術書ですわね。
結城: ペンギンちゃんにそんな風に読んでもらえて、うれしいですね。
ペンギン: 結城さんはプログラミング言語の入門書などをお書きになっているわけですけれど、あの暗号技術の本を作ろうとお思いになったのはどうしてですの?
結城: 以前日記で書いたことと少しだぶりますけれど、私が暗号のことを意識し出したのは、 オライリーの 『PGP——暗号メールと電子署名』を読んでからですね。
ペンギン: PGPというのは有名な暗号ソフトですわね。
結城: そう。『PGP』の本を読んでいて、まるでスパイ小説でも読んでいるようなどきどきを感じましたね。
ペンギン: そうなんですか。
結城: それからBruce SchneierのApplied Cryptographyを読んだりして勉強しました。 邦訳が 『暗号技術大全』として出版されています。
ペンギン: 「暗号学者の道具箱」として6種類の技術を中心に紹介していらっしゃいますわね。あれもシュナイアーさん?
結城: そうですね。あれは 『暗号の秘密とウソ』からお借りしました。決心したのはデニーズでした。
ペンギン: は?
結城: いろいろと章立てを考えていたんですよ。本の構成ですね。あるとき、デニーズで家族と食事をしながら、 ふと「そうだ、暗号学者の道具箱を中心にすえてみよう」と思ったんです。
ペンギン: へえ…。あのう、家族とお食事をなさりながら、ご本のことを考えていらっしゃるんですか?
結城: あっ、えーと。いつもではないですけれど…。ともかく、暗号技術といっても複雑で多岐に渡っていて、 題材そのものにはあまり困らないんです。困るのは何を中心にすえるかなんですね。
ペンギン: そういうものですか。
結城: はい。数学的な側面、マジック・プロトコル、実装技術、社会的背景や法律、それから歴史。ほんとうに深くて広い分野だと思います。
ペンギン: 歴史といえば、結城さんの本にもヒトラーの頃の暗号機械の話が出てきましたわね。
結城: エニグマですね。歴史や人間ドラマではサイモン・シンの 『暗号解読—ロゼッタストーンから量子暗号まで』が抜群におもしろいですね。
ペンギン: 結城さんのご本の中で最も印象にのこっているのは時計演算と公開鍵暗号のところでしたわ。
結城: ああ、RSAの説明のところですね。あそこだけはどうしても、ほんの少し数式がでてきちゃうんです。ごめんなさいね。
ペンギン: でも、細かい理屈はともかく、RSAが驚くほど単純な数式でできていることはよく理解できましたわ。ほんとうに簡単で驚きました。だって累乗と余りだけなんですもの。
結城: そうですね。
ペンギン: ネットをやっていると、パスワードとか、SSLで暗号通信とか、証明書とか、暗号技術がらみの言葉がときどき出てきますわね。
結城: ええ。
ペンギン: 以前は、なんとなくイメージでわかった気分になっていたのですが、結城さんのご本を読んでから、一歩踏み込んだ感じがいたしますわ。
結城: へえ…。
ペンギン: いえ、本当には理解していないのかもしれませんけれど。
結城: たとえばその「一歩踏み込んだ感じ」というのはどんなものでしょう。
ペンギン: お恥ずかしいですわ。ええと。パスワードを入力するときに「このパスワードは何ビットの鍵に相当するのかしら」と思ったり、証明書と言われたら「認証局はどこになっているのかしら。有効期限は大丈夫かしら。CRLというのもあったわね」と思ったりする程度ですけれど。
結城: それはすごいですよ。
ペンギン: そうですかしら(赤くなる)。それから、ご本の中に何度も出てきた security by obscurity という考え方も、とてもおもしろいと思いました。
結城: 「隠すことによるセキュリティ」を信用するな、ですね。
ペンギン: はい。独自の暗号方式を開発して、それをしっかり隠しておくというのは、素人目にはとても安全そうなのですけれど、実はそうとは限らないのですよね。
結城: そうですね。本当に強いアルゴリズムは、公開されていても強い。
ペンギン: そのような考え方というのは、科学実験の結果が論文で公になっていたり、ソフトウェアがオープンソースになっていたりするのと、何となく似ているのではないかしらと思いましたわ。
結城: 確かに、似ているかもしれませんね。ペンギンちゃんは数学はさっぱりわからないとおっしゃっていましたけれど、ずいぶん深く読み込んでいらっしゃるんじゃありませんか。
ペンギン: そんなことはありませんわ。それに、結城さんのご本には、ややこしい式は出てこなかったですし。むしろ、もう少し数式を読んでみたい、と思うほどでした。あらあら、わたくし、とんでもないことを申しましたわね。
結城: いえいえ。そういう読者さんもいらっしゃいましたよ。概念を理解したから、ほかの暗号技術の詳しい本も読みたくなったとか、もっと難しい本にチャレンジしたくなったとか。
ペンギン: あ、その読者さまの気持ちはわかるような気がしますわ。頭と心が活発になって、もっと学んでみたいという気持ちになるんですの。不思議ですわね。
結城: そういう意見を聞くと、私は「ああ、この本を書いてよかったなあ」と思うんです。私の本だけで閉じてしまうんではなく、もっと広がる。私の本をきっかけ、トリガーにして、何かが始まる。いままで積読だった本も読みたくなる。そのような本をこれからも書きたいな、と思うんです。
ペンギン: 何だか楽しそうですわね。
結城: うん、楽しいですよ。
ペンギン: 今日は召喚してくださってありがとうございました。これからもがんばってよい本をお書きになってくださいね。
結城: こちらこそ。暑いところ、わざわざありがとうございました。