結城浩
2002年12月17日
たくさんのレビューアさんからのメールを読んでいると、 その多様さに驚くとともに、多くの視点がいかにデバッグ…じゃなくて校正に役立つかがよくわかる。 私もいちおーレビューアさんに送る前には自分で読み直し、 資料を調べなおしているのだが、間違いというのはあるものですね。 普段自分が話したり書いたりしている内容も、 ずいぶん間違いを含んでいるものなのだろうな、と思う次第。
複数のレビューアさんが同じ指摘をする、という話は前にも書いたことがあります。 これは私にとっては決して無駄ではなく、これだけ多くのレビューアさんが 指摘したということは、重要なポイント(あるいは勘違いしやすいポイント)なのだろうと 実際に世に出したときの傾向を推測することが可能になる。
複数のレビューアさんで意見が分かれるという場合もよくある。 しかも、正反対の意見になることがある。Aの説明とBの説明を書いたとして、 ある一群のレビューアさんはAの説明がわかりやすいが、Bの説明はいまいち、とメールする。 しかし別の一群のレビューアさんは、まったく逆にBの説明は素晴らしいが、Aはちょっとね、と報告してくれる。 こういうときは、なかなか判断が難しい。
文章にちょくせつ関係のないレビューアさんの「ちょっとした一言」がものすごく大きな意味を持つこともある。 それは、たとえ話のヒントになったり、別の章の解説文の書き方に影響したり、 あるいはまた、まるごと一章を加筆するきっかけになったりする。 おそらく、レビューアさんが想像している以上に、レビューアさんのメールは私の大きな助けとなっている。
レビュー形式で執筆を進めるスタイル、とても自分の性格にあっているみたい。 すごく楽しくて、生き生きするもの。 私は、自分の書いた文章の間違いを指摘されるのが大好きなのです。 なぜかというと、文章の間違いを指摘してくれるというのは、 私の文章をていねいに読んでくれている、ということですよね。 それがとてもうれしいのです。 あ、もちろん「面白かった」「わかりやすかった」 という一言も宝物をもらったようにうれしいです *^_^* 疲れがいっぺんになくなる気がしますね。