結城浩
2000年7月18日
編集部の方から、 Web連載『Perlクイズ』のページデザインのお知らせを受ける。 準備は着々と進む。 Web管理者の方、デザイナーさん、ありがとうございます。
コンピュータの雑誌に連載を持つようになってから何年にもなる。 毎月何らかのプログラムを書いて、それについての文章を書く。 そこに新しい話題や、自分のやりたいことや、試してみたい技術や、 最近興味を持っているものなどを盛り込んできた。 雑誌連載は、自分の活動に予算がついているようなものだ、 と思っている(まあ、すべての仕事がそうだとも言えるが)。
まずプログラムを書く。 そして連載の枠組みにはまるように文章を書く。 といっても特殊なことも、気負うことも何もなく、 そのプログラムが何をやっているのか、使うにはどうするのか、 どういう技術が使われているのか、どんな応用が効くのか、 などをきちんと説明すればよいわけである。 読者の身になって必要な情報が伝わるようにし、 「面白そうだな」という気持ちをもってもらえばよい。 文章を書くときの心がけそのままだ。
Web連載ははじめての経験だ。 元の材料としてメールマガジンを使う予定だから、 時間的なコストはあまりかからないはずだ。 しかし、これまでとは違った方向からの読者が登場するかもしれない、 という期待がある。 何が起こるかな、わくわく、という感じですね。
自分を客観的に評価するのは難しいけれど、 私自身はそんなにスーパーな技術力を持っているわけではないと思っている。 いわゆる天才プログラマではないですね。 ただ、 難しい技術的なことを理解する能力はあると思っている(神さまに感謝)。 また、自分が理解したことを、 平易な言葉で 語ることができる能力もあると思っている(神さまにすごく感謝)。
私の中では、 その「平易な言葉で語る」ということの意味ははっきりしている。 聞いている相手に合わせて語ること、 そして、あたりまえのこともきちんと説明することだ。
私は、自分の手でプログラムを書き、 自分の手で文章を書くことができたとき、 その技術を「理解した」と感じるように思う。 世の中には、私よりも技術力がある人は山ほどいるし、 私よりも文章がうまい人も山ほどいる。 でも、私がプログラムを書き、文章を書くのも意味があるのだ。 それはまず、私にとって。私自身のために必要なことだ。 そして私の文章を読んでくれる読者にとって。 私のささやかな文章を通しても何かを学んでくださる方がいる。 そのような読者のために、文章を書くのは意味があると思っている。 たとえ自分が一番でなくても、スーパーでなくても。 気負わず、焦らず、淡々と、愚直に、今日の分の文章を書いていこう。
さて、それはそれとして、 現在執筆中の書き下ろし書籍も早く完成させなければいけない。
話はかわる。 ある方から、 とても素敵な文章とともに 「結城さんのページを紹介させていただきました」 というお便りをいただく。 「自由作文」についての文章のページ。 結城が「自動書記」と呼んでいるのに似ているものかもしれない。 読み返さず、どんどん手にまかせて文章を書いていく話。