結城浩
1997年12月1日
マリヤは言った。 「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり この身になりますように。」 (ルカの福音書1章38節より) 「あなたのおことばどおりこの身になりますように」 マリヤのこの謙遜で従順な一言が世界を救ったことになる。 御使いガブリエルが処女マリヤに「あなたはみごもって、男の子を産みます」と いったとき、マリヤは一度は「どうしてそのようなことになりえましょう。 私はまだ男の人を知りませんのに」と答えた。 しかしガブリエルの説明(35節〜36節)を聞き、 「神にとって不可能なことは一つもありません」という言葉を聞き、 「あなたのおことばどおり…」と従う態度をマリヤは示した。 そういえばモーセもそうだった。 民を連れてエジプトから出よという命令に一度は逡巡したモーセ。 しかし最終的には神に従った。アロンという助け手を得て。 ここに見られる、神と人間の関係は何だろう。 人間は神のロボットではないが、すべての権限があるわけでもない。 計画し、預言し、約束する神。 しかし人間には選択の余地が残されている。 そこには人間の自由意志があり、 対話可能な神がいらっしゃる。 対話が可能、ということは人格的な神を意味する。 神さまは神さまに従わないかもしれない可能性を残す存在として 人間を創造なさった。 自由意志とはそういうことだ。 何かを選び、何かを捨てる。 きっと、自由意志がなければ「愛」を学ぶことができないのではないだろうか。 マリヤの従順は、愛のあり方の一つである。