結城浩
1997年8月11日
暑い月曜日。最悪である。 調子は出ないし、やらなくちゃいけないことはやりたくないし。 ぐちぐちいいながらうだうだ仕事をする。 ああ、もうこういう日は早めに切り上げて帰ろう! というわけで新宿の東急ハンズに出かけ、買い物をする。 その後は隣の紀伊国屋書店へ。 最近、ゆっくり本屋を巡っていない。 何だか本を読むのが疲れることが多くて。 新しい知識を頭に入れるのがおっくうなのは年をとったせいか? いや、違う。新しい知識を頭に入れるのがいやなわけじゃなくて、 何だかもっと大切なことを考えなくてはいけないような気分になるのだ。 帰り、暑い風を顔に受けつつ新宿駅に向かいながら、 私はなんということなく歌を歌い出していた。 どうやら私の内なる霊は歌を歌い、神さまを賛美したいらしい。 歌を歌いながら紀伊国屋・ハンズ・高島屋を抜けていく。 ルミネへのエスカレータを上りながら、私は不思議な満たしを感じていた。 私がどんなに愚かであろうとも、神さまがいらっしゃること。 私がどんなに醜かろうとも、神さまがいらっしゃること。 私が信じようと信じまいと、神さまがいらっしゃること。 プラスでもなく、マイナスでもなく、私がここに存在していること。 理屈を越えて、存在は重いこと。 そのような感動が一度に私を吹き過ぎていった。 そうか。ハウツーではなく、ノウハウでもない。 知識を得ることや、うまい方法を考え出すことでもないのだ。大切なのは。 大切なのは誰と出会うか、どのような人格と出会うか、なのだ。 今日午後7時、声を上げて賛美しつつ新宿駅構内を歩いていたのは私です。