結城浩
1999年8月17日
私は「テーブルをまわす」という話をすることがある。 まわすのは中華料理屋さんのテーブルだ(英語では Lazy Susan というらしい)。 くるくるとまわすと、向こうの食べ物がこっちにくる。
人間関係のことを考えるとき、 そのときに私は心の中でテーブルをまわす。 ある人が「Aさんがこう言ったので、わたしはいやな気持ちになった」 と言うとき、訴えている人の気持ちと同時に、 そのことを言ったAさんのことを思う。 その言葉の後ろにある気持ちを少し想像する。
その後じいっと話を聞いていると、 不思議なことに、訴えている人自身が、 Aさんと非常に関連した気持ちをベースにして 他の人に接していたりすることがわかったりする。
関連した気持ちっていうのは、 非常に類似している気持ちのときもあるし、 まったく正反対の気持ちのときもある。 類似していても場面や題材が違うので、すぐには気付かなかったり、 正反対なので、関連しているとは思えなかったりする。
例えばAさんがBさんに怒ったとする。 Bさんはそれで気分を害する。 けれどもBさんはAさんの怒りと同じような構造でCさんに怒っていたりする(これは類似の方)。 あるいは、Aさんが怒った局面と同じ局面において、 Bさんは極端に無神経な態度でCさんに接していたりする(これは正反対の方)。
このとき、訴えている人と、訴えられている人は同じ直線上にいる。 同じ方向を向いていたり、反対を向いていたりするけれど、 テーブルを180度まわすと、相手は自分になり、自分は相手になる。
だからどうした、というわけではないのだけれど、 ふと、そんなことを思ったので書く。 以上はネット上の誰かを皮肉ったりしている文章ではない。念のため。