筒井筒、祖母の思い出

結城浩

2003年9月26日

気がつくともうすぐ9月も終わりなんですね。 何だか年齢が上になると、月日が経つスピードが速くなるみたい。

先週の会話。

結城「何だかすごい雨だねえ。秋の長雨かな。《ながめせしまに》」

長男「ちがうよ、台風が来ているんだよ」

結城「ふうん。《むべやまかぜを…》」

長男「《…あらしといふらむ》」

結城「上の句は?」

長男「え? うー…なんだっけ。《ふくからに あきのくさきのしをるれば…》」

結城「なるほど。秋なんだね」

祖母の話。

私の祖母は古典が好きで、私が小さいころから百人一首などを教えてくれた。 教育テレビで「筒井筒」の朗読があるとき、 小さかった(いくつくらいだっただろう、小学生のころ?)私を呼んで、 「浩ちゃん、うたはよく聞いて、よく覚えるんだよ」と教えてくれた。 私は、うなづいてテレビの朗読を聴いた。素直な子だった(^_^)

祖母は、百人一首はほとんど(番号と作者と決まり字も合わせて)暗記していたから、 お正月にやるカルタ大会では、祖母が一番強かった。 そのため、たいていは祖母が読み手になっていた。 父はあまり参加していなかったように記憶している。 母はお気に入りの札《百敷や…》が一枚あって、 その場所を最初にチェックしていた。

祖母の影響もあってか、私は姉の教科書副読本にある「古典便覧」を読むのが好きだった。 月の異名(睦月、如月、弥生…)を覚えたり、十干十二支を覚えたり、 十と十二の最小公倍数である60を過ぎたときが還暦だということを知ったり。

中学時代だったか、高校に入ってからかは覚えていないが、 国語の古文の時間で「筒井筒」が出てきた。 私はそのとき、祖母と一緒に見た教育テレビを思い出した。

などということを書くと、 いかにも国語の成績がよかったような印象を与えてしまうが、 まったくそんなことはなかった。 中学・高校とも、全科目の中で国語の成績が一番悪かった。 いや、ほんとに。 国語の勉強なんて何やっていいかわからないし、 テストの点数も悪いし、作文も好きじゃなかった。 本を読むのはとても好きだったし、実際読んでいたけれど。

国語、 というか文章を書くことが好きになったのは大学に入ってからかもしれない。 さびしかったり、つらかったりすると、文章を書いた。 誰にも見せるわけではないから、好きなことを好きなように書いた。 それは確かになぐさめになった。 大学時代は日常的に文章を書いていた。 ということは日常的につらかったのかな? うーん…(^_^;

何だか思い出にふけってしまった。