結城浩
1999年8月3日
今日、聖書を読んでいると「おまえの神はどこにいるのか」という言葉が心に残った。 これは、聖書の中に登場する言葉だ。 神を信じる人に敵対する人の言葉で、典型的な言葉だ。
愛する兄弟姉妹。神を信じる兄弟姉妹。 もしかしたらあなたもいつか、 このような言葉をあざけりとして受けるかもしれない。 「おまえの神はどこにいるのか」 「あなたは神さま神さまというけれど、どこにいるというの」 というように。 でも、それは典型的な言葉、パターンなのですから、 驚き怪しむにはたりません。 (詩篇42:3、詩篇42:10、詩篇79:10、詩篇115:2、ヨエ2:17、ミカ7:10など)
恐れず、不信仰に陥ることなく、 また愛を失うことなく、ただ主に信頼しましょう。
なぜ、国々は言うのか。 「彼らの神は、いったいどこにいるのか。」と。 私たちの神は、天におられ、 その望むところをことごとく行われる。 彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。 口があっても語れず、目があっても見えない。 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。 手があってもさわれず、足があっても歩けない。 のどがあっても声をたてることもできない。 これを造る者も、 これに信頼する者もみな、これと同じである。 (詩篇115:2-8)
(「神さまはどこにいるの」という質問は、 あざけりの言葉ではなく、純粋な問いの場合もあります。念のため)