結城浩
2001年5月10日
思いつくまま書き進めてみよう。 人の言うことを聞く(言うとおりにするという意味ではなく、 耳を傾けるという意味)のは意外に難しい。 書いてあることを読み取ることも難しい。 自分が思うことを言ったり書いたりするのはそれほど難しくない。 自分が言ったり書いたりしたことを相手に理解させるのは難しい。 なぜなら、相手も聞いていないからだ。
人の言うことに耳を傾ける練習、 書かれていることを読む練習ができていると、 自分が言ったり書いたりするときに役に立つ。 まさに「話し上手は聞き上手」。 メールを書く心がけにも書いたけれど、 うまく、効果的なメールを書くコツは、メールを出す前に読み返すことだ。 そのときに、作者の帽子を脱ぎ捨て、読者の帽子をかぶる。 いったん自分が書いたことを忘れ、そのメールを読む人の気持ちになってみる。 そのメールを自分がもらったとしたら、どんな印象をもつか、 どんな情報が得られるか、どんなアクションを起こすか、 そのようなことに思いをめぐらせて読む。 メールを読み直すという習慣を持っている人は、 それがどれほど効果的かを知っている (本当にそういう習慣を持っている人は、 自然にそれを実行しているので、 読み返すという行為を意識していないかもしれない)。
自分から情報を発信するときには、受信の練習をすること。 これは、プログラミングの学習にも、メールを書くことにも、会話にも もしかすると信仰生活にも——信仰は聞くことからはじまる——、どれにでもあてはまることかな。 自分の行動を客観視している、といってもいいかもしれない。
プログラミングの本を開く。書かれていることを読む。 自分の頭で考えることは大事だが、 その前に、目の前にある文字列を読んで「そこには何と書かれているか」を読み取ることは大事だ。 書かれていることを読み取った上で、自分の頭で考えるのだ。 そうしないと、本を開いて勉強しているようであっても、 単に自分の思い込みを強化しているだけになってしまう恐れがある。 思い込みを強化するだけ、というのは、 いわば「自分の幻想の中に生きている」ことだし、 「夢の中を歩いている」とも表現できる。 私は、いま、目覚めているだろうか。
それはさておき、 学習において「素直さ」というのは大事なポイントだと思う。 「熱心さ」や「頑張り」も大事だが、「素直さ」はとても大事。 そしてそれと共に「健全な懐疑主義」も大事。 つまり自分がわからないことをわかったふりをしない、ということだ。 ただし、わからないことがわかるまで先に進まない、というのもまずい態度だ。 だって先に進めば自然とわかることなのかもしれないから。
素直さと熱心さと健全な懐疑主義を持って学ぶのは、 主体的に学ぶ態度にもつながっていき、 自然と学習が「面白く」なっていくものかもしれない。
いろんな学習態度を考えてみよう。
Aと書いてある。なるほど。Bと書いてある。本当かな。試してみよう。おお、確かにそうだ。なるほど。 Cと書いてある。これは違うんじゃないかな。試してみよう。ほら、違うじゃん。 私が勘違いしているのかな。本が間違っているのかな。よくわからないな。詳しい言及があるかどうか、 先に進んでみよう。あっ、前提条件があるのか。試してみよう。なるほど、なるほど。 本が正しかった。…
Aと書いてある。試すまでもなく嘘じゃん。 この本めちゃくちゃじゃん。 よむ価値なーし。
Dはどこに書いてあるかな。 ないな。Zはどこに書いてあるかな…ないな。 Cはどこに書いてあるかな…あった。 よくわからないな。はじめから読むのは面倒だな。 これ、覚えちゃえばいいや。
自分の学習態度ってどうなっているだろう。 どうするのがよい学習なのだろう。