散歩をしているうちに、いつの間にか山道に足を向けていたらしい。気がつくと、私は竹林の中を歩いていていた。人もいない。車の音も聞こえない。ただ風が吹くごとにざわざわと音を立てる竹林がずっと続いている。風は冷たいけれど、かえってそれが心地よい。竹の音を聞きながらゆっくり一人で歩いていくと、私の心が静かになっていくのが感じられる。
私は竹が好きである。一本だけ立っているのもいいが、見通す限り竹が続いている竹林もいい。竹林は私の好きな空間である。
私は竹のしなやかさが好きである。風が吹くと竹はぐうっとしなり、ざざざざと音を立ててゆっくり元に戻る。大木のようにどっしりはしていないが、草のように風まかせというわけでもない。風が吹くとしなり、ゆっくり戻る。私はしなやかな竹が好きである。
竹はまっすぐ伸びる。律義に節を作りながら、竹はまっすぐ上に伸びていく。
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私はふと、BASICのFOR文をはじめて理解した少年時代を思い出した。
100 FOR I=1 TO 100 110 PRINT I 120 NEXT I
本に書かれていたこれだけのプログラムを一所懸命タイプして、RUN させた。私はびっくりした。1から100までの数字が瞬時(と当時は思った)に画面に表示されたからだ。コンピュータってすごいなあ、と少年の私は単純に感動した。
私はまた、BASICで書かれたこんなプログラムを読んだときのことを思い出した。
100 FOR I=1 TO M-1 110 FOR J=I+1 TO M 120 IF A(I)<A(J) 160 130 X=A(I) 140 A(I)=A(J) 150 A(J)=X 160 NEXT J 170 NEXT I
私ははじめ何をやっているのかさっぱり判らなかった。でも配列の絵を描いて、一ステップづつ動作を自分の手でシミュレートしてみた。しばらく調べて、私はハッと気がついた。このプログラムは配列の数を大きい順に並べ換えてるのだ!なるほど、すごいすごい。単に繰り返しを行なっているFOR文を二つ組み合わせただけで、こんなに面白いことができるのだ。こんなことを思いつく人って偉いなあ、と少年の私は舌を巻いた。
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あの少年時代からもう何年経ったのだろう。いつのまにか私は、プログラム書きを仕事にしていた。ガリガリとプログラムを書き、ブンブンとCコンパイラを動かす毎日である。今はもうBASICを書くこともなく、FOR文を読むごとに心うち震えることもない。最近はBASICのことを思い出すことさえなかった。
私はどうして今日、こんなことを思い出しているのだろう。FOR文を動かしては驚き、ソートプログラムを読んでは楽しんでいた時代のことが、竹林を歩きながらなぜ心に浮かぶのだろうか。
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「忙しい」とは「心が亡くなる」と書く。私は最近、日々の仕事の忙しさに気を取られ、心を亡くしていたようである。
仕事に集中していると、視野はどんどん狭くなっていく。今、自分が直面している問題で心が一杯になってしまう。それだけしか考えられなくなってしまう。
しかしちょっと気持ちを切り換えて、風の音に耳を傾けたり、竹に目を向けたりしてみると、心は息をふきかえす。
折々の発見や感動は竹の節に似ている。FOR文の驚きで竹の節が一つ作られる。ソートプログラムの驚きで竹の節が一つ作られる。竹の節がないと、いくら背を伸ばしてもすぐに倒れてしまう。きちんきちんと節があってはじめて、真直にしなやかに、竹は伸びることができるのだろう。
竹の節は新鮮な感動のしるしである。
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竹林に入り込み、竹の香と風の音に身を委せているうちに、亡くしていた心が再び戻ってくるのを感じた。
(Oh!PC、1992年12月30日)