ここが、わたしのコクピット
- Cockpit -

夢空間への招待状

結城浩

いらっしゃいませ。

かしこまりました。

アイスティーですね。ミルクで。

喫茶店は混んでいた。テーブル席はいっぱいで、私はカウンターに案内された。注文を終え、出された水を飲みながら、私はカウンターの中でくるくると動き回っているバーテンダーに目を止めた。

彼は絶え間なく動いていた。紅茶をいれはじめたかと思うと、グラスを用意し、ウエイトレスが下げてくるコップをさっと洗い、返す刀で足元の冷蔵庫からミルクを取り出してピッチャに注ぐ。年齢は二十歳くらいだろうか。彼の仕草は新種のダンスを踊っているようにも見えたし、複雑な機械を操縦しているようにも見えた。

彼は何がどこにあるのかを知っている。ちょっとかがめば冷蔵庫のドアに指先がかかることを知っている。左後をふりむけばグラスに手が届くし、二歩右に進めばアイス・サーバから氷が手にはいることも知っている。冷蔵庫、ティーカップ、アイス・サーバをはじめとするカウンター内の道具達はすべて彼の支配下にあった。

 * * *

大学三年の頃、私は学生寮に住んでいた。八畳の洋室に二人。入口は一つだが壁で区切られていて一人当り四畳のスペースしかない。しかも大きなベッドが備え付けてあり、実質上の生活空間は二畳程度だ。

私はそこに PC-9801 とハードディスクとプリンタを持ち込んだ。コンピュータと三つの本棚で私の生活空間はいっぱいになった。

普通なら狭苦しくてたまらない、と感じるところである。けれども私はそうは思わなかった。イスに座ったままで本棚のすべての本にアクセスできたし、机の前に置かれたキーボードは私をコンピュータの世界へといざなってくれた。

プログラムを書いたり、本を読んだりしながら、私はよくこう思った。 「ここが、わたしのコクピットだ」 戦闘機の操縦席(コクピット)には複雑な計器や装置、それに操縦竿がひしめいている。パイロットはそれらを縦横無尽に操って進む。無駄なものは何一つなく、狭い空間にすべてが整然と配置されている。私は狭い自分の部屋をコクピットに見立ててちょっと気取っていたわけだ。

私は本棚のどこにどんな本があるかをすべて知っていた。手をどの方向に伸ばせばどの本が取れるかを知っていた。もちろんハードディスクの中身も熟知していた。すべてのツールは自分でインストールしたものだし、しかもよく使いこなしていた。ソフトを使いこなすことは機械に油を注すのと似ている。手入れを怠れば機械はいうことをきいてくれない。ソフトウェアも同じことだ。

私はコクピットの中に住んでいた。

 * * *

思うに、人はみな自分自身のコクピットを持っている。自分の仕事がスムーズに進むようによく整理の行き届いた作業空間があるはずだ。かのバーテンダーにとってはカウンターの中がコクピットに違いない。書斎、執務室、台所、工事現場、運転席、教壇…職業によって場所こそ違うが、自分が誇りを持って仕事をする場があるはずだ。そしてそこでは自分の管理下ですべての作業が進行する。

コンピュータを扱う男のコクピットはどこだろう。それはキーボードである。マウスである。そして何よりハードディスクの中身である。エディタ、コンパイラ、ワープロ、スプレッドシート、データベース。それから日本語フロントエンドプロセッサ。普段から整理されているマシン内の環境が、コンピュータを扱う男のコクピットなのである。

あなたのマシンはあなたにとってのコクピットになっているだろうか?

 * * *

カウンター席でバーテンダーをながめながら、私はしばらくもの思いにふけっていたらしい。ふと気がつくと、そのバーテンダーが微笑みながらグラスを私の方へ差し出していた。

お待たせしました。

アイスティーですね。ミルクで。

彼は、とてもいい笑顔をしていた。

(Oh!PC、1990年8月30日)