この春めでたく「サクラサク」して上京し、一人暮しを始めた後輩から聞いた話。
一人暮しをしているとどうしても独り言が多くなる。普通に家族と生活していたら口に出さないようなことを口に出すようになる。
「さ、片づけよう」とか、「あ、テレビつけなくちゃ」 とか思わず言っている自分に気がつく。誰も聞いていないのにそんな言葉を言ってしまい、ちょっと変な感じになったりする。
とりわけこの間はひどかった。テレビのお笑い番組を見ていて、一人で笑いころげ、 「おかしいね」 と誰もいないのに同意を求めてしまった。その後、急に自分が一人暮ししていることがさびしくなって、友達に電話をかけてしまった。
…こんな話を後輩から聞いた。一人暮らしをしていて独り言をいいはじめるのは家族の対話のシミュレーションかもしれないな、と私は話を聞きながら考えていた。
* * *
プログラマは根が暗い、と一般に思われている。それは当たってないこともない。
自分でも自分のことを「これはクラい」と思う時がある。それは、コンピュータに向かってぶつぶつ独り言を言い始める時である。プログラムを書き進み佳境に入ってくると、思わずディスプレイに向かって声をあげたくなるのである。
よくあるのが、コンピュータを非難するような発言である。
「違う、そうじゃない」
「ちょっと、待て。いったいそのファイルをどうするつもりだ」
どうするつもりだなんて言われてもコンピュータだって困るだろうに。けれど言っている本人(私)は夢中になっていて自分の発言の異常さには気がつかない。へたするとコンピュータ相手にあやまりはじめたりする。
「すまん、悪かった」
「私の入力ミスだ。疑って悪かった」
いいえ、気にしてないから大丈夫よ、とでもコンピュータが答えてくれると思っているのだろうか。
コンピュータに向かってぶつぶつ言うのは私だけだろうかとふとまわりを見回すと…そういう人は結構いるみたいである。プログラマに限らない。1-2-3をいじりながら 「なんでぇ?」と首をかしげたり、 ワープロで罫線をひきながら、 「そっちじゃないっ!」 と叫んだりする人は少なくない。なんとなくほっとした。
* * *
プログラマが根暗かどうかはさておいて、なぜ独り言をいいたくなるのかを考えてみよう。
はたで見ていたら独り言かもしれないが、プログラマ本人は独り言を言っているつもりはない。あれは独り言ではなく、コンピュータと「会話」しているのである。コンピュータという相手がいる以上、独り言ではない。
例えばC言語でプログラムを書き、コンパイルする。するとコンピュータはエラーメッセージを表示する。
「この行に間違いがある」
「ここは文法にあってない」
「ここにカッコは書けない」
「型が違っている」
これはコンピュータからプログラマへの語りかけである。正確に言えばプログラマからの語りかけに対する返事である。初めの語りかけはもちろんプログラムである。
返事をもらったプログラマはエディタを動かしてプログラムを修正する。それは単なる機械的作業ではない。自分の意図をなんとかしてコンピュータにわかってもらおうとする営みなのである。
わかりきった間違いをプログラマがしでかした場合にはつい、
「すまん、悪かった」
とあやまりたくなる。絶対に自分のプログラムにミスはない、コンパイラのバグだ、と思っていた矢先に自分のミスに気がついたときは、
「疑って悪かった」
と言いたくなるものだ。
第三者から見たら愚かしく見えるかもしれないが、プログラマは決して独り言を言っているのではないのである。
* * *
と、ここまで書いてきて、プログラマがプログラム作成中にぶつぶつ言いたくなるもう一つの理由に気がついた。
プログラマは自分の考えている道筋を言葉にして思考を整理しているのではないだろうか。
この変数をこう使い、こう計算し、こう出力する。そのときにファイルをオープンして…思考が入り組んで来たと感じたときに思わず言葉が出て来る。
「ちょっと、待て。いったいそのファイルをどうするつもりだ」
ここで待たせようとしているのはコンピュータではない。自分自身の思考である。複雑に絡みすぎて把握できなくなった自分の思考を自分の声でコントロールしようというのだろう。
コントロール、というのは正確ではない。思考を言葉にするのは登山家がザイルを岩に固定しつつ登るのに似ている。ヘンゼルとグレーテルがパンをまいて歩くのに似ている。ここまでこう進んで来た、これからこう進んでいこうという道しるべをたてているのである。これを「自分自身との対話」などと言っては気どりすぎだろうか。
* * *
独り言を言っていた私の後輩も、新しい学校に慣れ、五月病にもならず毎日元気に暮らしている。何より結構なのはいろんな話ができる友達がたくさんいることである。ちょっとした悩みごとは、友達とおしゃべりしているうちにどこかへ消えてしまうものであるから。
(Oh!PC、1990年5月30日)