君の任務は以上だ。健闘を祈る。なお、このテープは自動的に消滅する…。事務的な口調のこんなセリフとともに手元のテープレコーダから白い煙がたちのぼる。シュワー。たしかこれは「スパイ大作戦」のオープニングシーンだったと思う。
スパイは証拠を残さない。命令が入ったテープは自動的に煙になって消えてしまう。最新の命令はいつもスパイの頭の中にしか保存されていない。
* * *
先日、とあるソフトハウスに友人を訪ねた。パソコンやワークステーションが並ぶ開発現場を見せてもらった時に、机のわきに置いてあったフロッピーケースに気がついた。
ケースの中のディスクを見て、私は思わず笑ってしまった。中には数十枚のフロッピーディスクがあったのだが、そのラベルが滑稽なのだ。どうやら開発中のソフトのバックアップディスクらしいのだが…
…こんなラベルが付いたディスクが並んでいたのである。おそらくこのディスクを作ったプログラマは、あるソフトの日本語対応版を作ったのだろう。そして、開発中のプログラムのバックアップをディスクにまとめたようである。きっと何回もバグの修正を行なったのだろう。
「これで完成!」
と修正のたびに思ったに違いない。ラベルの「完成版」「最新版」という言葉にその意気込みが込められている。けれど彼の予想に反してバグ修正は続き、結局何度もバックアップを取ることになった。その結果、
「ほんとの最新版」
「ほんとにほんとの最新版」
というラベルを書くはめになったわけだ。この先、バグ修正が入ったら、このプログラマはどんなラベルを書くのだろう?
* * *
バックアップフロッピーが全部一カ所に集まっており、時間順序に並べられていれば「ほんとの最新版」を探すのは難しくない。あちこちにフロッピーが散らばっていると大変だ。日付やラベルを手がかりにしてなんとか「最新版」を見つけなければならない。これはやっかいである。「ほんとにほんとの最新版」と書かれたディスクが見つかっても、もしかしたらどこかに「ほんとにほんとの最新版を修正した最新版」があるかもしれないからだ。
* * *
不定期に発行される規格書の中には初めのページに、
Obsolete : #1009
などと書いてあるものがある。これは、「#1009 はもう古い」という意味である。この一行で、「今回発行したこの規格書は、以前発行した #1009 番の規格書の修正版であるから、この規格書を持っている人は #1009 番はもういらないのだ」ということを示している。
いわば、「Obsolete : #1009」の一行によって、#1009 番の規格書は白い煙を上げてシュワー、と消滅したことになる。
もちろん、今消された #1009 番の規格書の中にも、
Obsolete : #997
という一行が書いてあるかもしれない。各版の規格書はそれぞれ昔の規格書を「お前は古い」「そういうお前も古い」と指摘しあって作られている。これはいわば、Obsolete の連鎖である。
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フロッピーのラベルに「ほんとにほんとの最新版」と書いても、規格書の初めに「Obsolete : #1009」と書いても、それが「ほんとに」最新版なのかはわからない。現在の日付と照らし合わせて、最新版らしいというくらいしかわからない。
最新版ができた瞬間に古い版が全部シュワーと本当に煙になって消えてしまうなら、話は容易である。「存在する版」がイコール「ほんとにほんとの最新版」になるからだ。でも、それでは、バックアップの役を果たしてくれない。
ほんとにほんとの最新版はどうやったら見つかるのだろう?
(Oh!PC、1990年10月30日)