今日は火曜日。
火曜日はホットケーキ。
テーブルにはメイプルシロップ。
映画「レインマン」の主人公レイモンドの火曜日の朝食はホットケーキだ。 メイプルシロップをかけて、つま楊子をつきさして、彼は細かく切ったホットケーキを食べる。 火曜日の朝はいつもホットケーキ。テーブルの上にはメイプルシロップがのっていなくてはならない。 彼がそう決めたのだ。
火曜日にホットケーキが食べられなかったり、 テーブルの上にメイプルシロップがのっていなかったりすると、レイモンドは不安に襲われ、 パニックにおちいる。いつもの生活パターンを乱されることは、彼には耐えられないことなのだ。 映画ではそのパニックぶりが、なかば滑稽な、なかば悲惨なタッチで描かれている。
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プログラムをコーディングする手順はプログラマによってずいぶん違う。 先日、他人の仕事ぶりを見ていて気がついたのは、プログラムをプリントアウトする頻度の違いだ。 自分のいま作っているプログラムを、プリンタを使って紙に印刷する頻度が人によってずいぶん 違うのである。
あるプログラマはやたらとプリントアウトする。極端な場合には関数を一つ書くたびにプリンタを動かす。 前に印刷したものとほとんど変わっていないのにとりあえず再度プリントアウトしたがる。 プログラムに加えた変更は紙の上にいったん出さないと気がすまないかのように。
それに対して別のプログラマはほとんどプリントアウトしない。マルチファイルエディタを駆使して 複数のソースプログラムを渡り歩いてプログラムを書き進める。CRTに映された字面だけで 編集作業をつづけていく。
わが身を振り返ってみる。数年前は結構大きなプログラムを書いていてもほとんど プリントアウトしなかった。けれども最近はけっこう頻繁にプリンタを動かすようになった。 いったん紙に出力して、ホッとする。
…歳とってきたのかな?
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プログラムをプリントアウトするとなぜかホッとする。安心する。 そんな気分になったことはないだろうか。プログラムに限ったことではなく、 ワープロで作った文書でも、スプレッドシートで作った表でも何でもよい。 コンピュータのディスプレイの上で仕事をして、その成果をプリンタに出す。 そこでなぜか安心しないだろうか。
プリントアウトして、何枚かの紙を手にして、私たちは思うともなしに思う。 これがプログラムの全貌だ。このくらい仕事は進んでいるのだ。ここまではできた。 OKだ。残りはどのくらいだろうか。 紙束のパラパラとめくりながら私たちの頭にはそんな思いが訪れる。
仕事をしていて頭がゴチャゴチャしてきたり、「ぜんぜん進んでいない」と不安になってきたりしたとき、 私は、とりあえず、プリントアウトしてみることにしている。そこでなぜか気持ちが一区切りつくからだ。 果てしなくつづく長い階段を登るのは疲れるので、ところどころに踊り場を作ってやるようなものだ。
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レイモンドはいつものメイプルシロップがテーブルにのっていないとパニックを起こして泣き叫ぶ。 けれども、私たちは彼を馬鹿にすることはできない。 私たちの毎日の仕事も自分の不安の解消のようなものだからだ。 大切なのは、不安の解消法・パニックの解決法を自分で発見しておくことだ。 こまめにプリントアウトするというちょっとしたことでも、仕事をうまく進める潤滑油になってくれる。 要は、自分の行動パターンを見抜くことだ。
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原稿ができた。…おっと、編集部にメールで送る前に、一度プリントアウトして読んでおこう。
これで、ひと安心。
メイプルシロップはテーブルの上。
(Oh!PC、1990年9月15日)