キーのないキーボード
- Keyboard without Keys -

夢空間への招待状

結城浩

ふと気がつくと私は年齢不詳の老人の話を聞いていた。 あたりには電子部品が散らばっている。 小さなパーツ屋の店先だ。 あ、 また空想上の秋葉原に来てしまったらしい。

 * * *

「これが何だかわかるかね」 老主人は私にフルフェイスのヘルメットを渡した。 色は黒で、 全体はプラスチックでできているようだ。 見ためほど重くはない。 ヘルメットをくるりと裏返すと、 中にはたくさんの電極がはりついている。 耳のあたりから長いケーブルがのびている。 わからない、 と私は答えた。

「これは新しい文字入力装置じゃ。 いわばキーボードじゃな」主人はふぉっふぉっと笑う。 どこにもキーなんてないじゃないか、 と私は文句を言う。

「いわばキーボード、 といったじゃろう。 自動車が初めて世に出たころ『馬なし馬車』と呼ばれたようなものじゃ。 これはあんたが頭に思い描くだけで言葉を コンピュータに入力できる装置なんじゃ。 馬なし馬車ではなく『キーなしキーボード』じゃ」

 * * *

キーなしキーボードだって?

「使用者はこれを頭にかぶって、 言葉を頭に思い描く。 すると電極が脳波、 正確には頭皮の電位分布をキャッチし、 その分布を分析して、 人間がどんな言葉を入力しようとしているかを判断し、 コンピュータに文字が入力されるわけじゃ」主人は得意気である。

頭に思うだけで言葉が入力される…。 それじゃ、 もうキーボードは使われなくなっていくんですか。 ちょうど馬車が使われなくなったように、 と私は尋ねた。

「いや、 そう問題は簡単ではない。 このキーなしキーボードも、 普通のキーボード同様に練習が必要なんじゃ。 コンピュータと人間の両方の練習がな。 例えば『ビル』という言葉を入力するときに、 利用者の脳波がどんなパターンになるかを コンピュータは学習せねばならぬし、 人間は人間でこのときに一定の心的状態になる必要がある。 その練習はタイピングの練習となんら変わるところはない」

でも、 キーを打たなくていい分、 練習は楽なんでしょう、 と私はヘルメットを主人に返しながら言った。

「逆じゃ。 キーボードの練習の方が習得が速いんじゃ。 不思議じゃろ。 それから『誤変換』の問題もある」

誤変換? だって、 言葉を直接思い浮かべればいいなら、 かな漢字変換なんていらないんでしょう。 誤変換なんて起きようがない…と私が反論しかけると、 それをさえぎるように主人は手をふった。

「もちろんかな漢字変換は基本的に不要じゃ。 使用者が漢字を知らなければ別じゃが。 『誤変換』は、 正確には『誤入力』あるいは 『誤連想』と言った方がいいかもしれん」

誤連想?

「そう、 誤連想。 かな漢字変換ではよく誤って同音異義語を入力するじゃろう。 使用と仕様、 更新と行進、 とかな。 このキーなしキーボードは違う。 使う人の心の中で、 意味的に近い言葉が誤って入力されることがあるのじゃ。 それを誤連想という」

「例えば『机』と入力しようとしたのに『椅子』が入力されたり、 『コンピュータ』の代わりに『パソコン』が入力されたりするんじゃ」

まるで連想ゲームだな、 と私は思わず口に出した。 壮大な連想ゲームだ。

「まさにそのとおり。 ある中年のテストユーザなどは『ビル』 という単語がどうしても入力できなかった。 必ず『ビール』になってしまうんじゃ。 前の晩、 ビルの屋上のビアホールにでも行ったのかもしれん」主人はにやりと笑った。

「プライバシーにかかわる問題も起こる。 特に人名のデータベース入力をさせるとてきめんだ。 自分の知合いの人名を入力しようとすると、 その知合いのプライベートな情報までポロッと入力されてしまうからじゃ。 とかく心はままならぬ」

 * * *

ふと気がつくと私はNTT出版の「AI奇想曲」 (竹内郁雄編・監修)を枕にしてうたたねをしているのであった。 開いていたページにはドンキン博士とファーウェルの脳波キーボードについて書かれていた。 電極を頭につけたユーザが一分間に二、 三文字入力できるという実験だ。 脳波キーボードは決して夢物語ではない。

(Oh!PC、1992年3月30日)