新しいもの

結城浩

結城です。

何だか暑いですね。
まるで夏のような天気です。
体調を崩した関係で、雑誌の〆切が厳しくなってしまったのですが、
担当の編集の方のご好意で少し延ばしてもらうことにしました。
ありがたいことです。

体調は復帰しているので、無理をしないように注意すれば、
何とか〆切もクリアできることと思います。

ソファに寝転んで、C.S.ルイスのアンソロジーを読んでいると、
(このアンソロジーは奥さんから結婚前に贈られたもの)
何とも言えない気分になります。
まっとうなことを、まっとうなふうに考え、
そしてそれを文章として表現できる人がいるのだなあ…
という不思議な感慨です。

いつから、私たちは、
新しいものがよいものだと思うようになっちゃったんでしょうね。
新しくて、量が多くて、短い時間で、…というような視点でだけ
ものを考えるようになっちゃったんでしょう。

宣伝でよく「新発売」とか「誕生」とかいう文句が登場しますよね。
あれって「新しいものがよい」という暗黙の前提を使っているように
聞こえるのです。

# ソフト業界がその最先鋒ですって…そうですね(^_^;

でも、本当はそうじゃない。
古いものの方がよい場合が多い。
なぜって、長い間の風雨にさらされているから。
多くの人の審美眼にかなってきたわけだから。

「他の人は別に感じるかもしれないが、私はこれがいいと思うなあ」とか、
「確かにそれは新しいが、私にはしっくりこないなあ」とか、
そういう感覚って大事なように思います。

うーん、かといって、最近流行の「だれそれさんは○○にこだわっています」という
言い回しはすごく嫌な感じを受けるのだけれど。

人から聞かれれば「私はこう思います」ということがはっきり言えて、
(必ずしも理由は説明できなくてもいいけれど、
 理由を聞かれたらちょっと微笑むことができて)
しかも、人から聞かれるまでは、自分からわーわーわーわー言わない、
というようなのがいいなあ。

# …という自分の考えをわーわーわーわー言っている自分に気が付きました(^_^;

いつも、私の話を聞いてくださってありがとう。
あなたが私の話を聞いてくださっていることが、
私はとてもうれしいです。
ほんとうに、ありがとう。

またお手紙を書きますね。

今日もし、つらいことがあったなら、
神さまがあなたを慰めてくださいますように。
今日もし、体で痛いところがあったなら、
神さまがあなたを癒してくださいますように。

あなたの方で神さまのことを知らなくても、忘れていても、
神さまの方では、あなたのことをよくご存知で、
あなたのことを、
こよなく、
愛していますからね。

イエスさまは、いつもあなたとともにおられます。